7月28日(土)14:00〜17:00
@カタログハウス本社 地下2階セミナーホール
この夏、経済産業省が発表したエネルギー基本計画の見直し案や、各地で開かれた意見聴取会は、どちらも首をかしげざるを得ない内容でした。安心して生活できるエネルギー政策を確立するには、国だけに任せてはいられないと感じた人も多いのではないでしょうか。
自分たちの望む未来を、自分たちで作る。その願いの実現に大きな役割を果たすのが「地方自治」です。私たちの暮らしに密着した政治の場で、今、何が行われ、これから先にどんな可能性があるのか。脱原発の最前線で闘う皆さんに議論してもらいました。
保坂展人●ほさか・のぶと1955年宮城県生まれ。1980年代から90年代にかけて教育ジャーナリストとして活躍し、96年に衆議院総選挙初当選。2009年まで3期11年を務める。国会議員在職中は、国会質問が500回を超える”国会の質問王”として盗聴法、共謀罪、裁判員制度、死刑制度問題を追及。その後、総務省顧問を経て2012年4月、世田谷区長に当選。脱原発を公約に掲げ、「自治体から始めるエネルギー転換」などを推進中。ブログ「保坂展人のどこどこ日記」http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/
上原公子●うえはら・ひろこ宮崎県生まれ。法政大学大学院修士課程中退。元東京・生活者ネットワーク代表、東京都国立市市会議員、水源開発問題全国連絡会事務局、国立市景観裁判原告団幹事を経て1999年5月、国立市長に当選。2期8年を務める。著書に『〈環境と開発〉の教育学』(同時代社)、『どうなっているの? 東京の水』(北斗出版)など。『マガジン9』の前身『マガジン9条』の発起人の一人。現在、自治体議員政策情報センター長、福島原発震災情報連絡センター顧問、脱原発をめざす首長会議事務局長。
小熊英二●おぐま・えいじ1962年東京都生まれ。東京大学農学部卒業後、出版社勤務を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。2007年から慶應義塾大学総合政策学部教授。著書に『〈民主〉と〈愛国〉—戦後日本のナショナリズムと公共性』『1986』(いずれも新曜社)、『私たちはいまどこにいるのか−小熊英二時評集』(毎日新聞社)、『日本という国』『「東北」再生』(赤坂憲雄、山内明美と共著)(いずれもイースト・プレス)など。
菅直人●かん・なおと1946年山口県生まれ。東京工業大学理学部卒業。80年衆議院総選挙で初当選。2010年6月、第94代内閣総理大臣に就任。2011年3月11日、地震災害ならびに原子力災害対策の陣頭指揮にあたる。2012年8月、第2次補正予算案、再生可能エネルギー特別措置法案、特例公債法案の成立を受け辞任。現在、民主党最高顧問、脱原発ロードマップを考える会顧問。オフィシャルweb http://n-kan.jp/
●第1部は、保坂展人さんと上原公子さんが、「地方自治と脱原発」をテーマに語りました。世田谷区長に当選して以来、保坂さんが行ってきたエネルギー政策は大きく分けて以下の6つ。
(1)東京電力に区内の電力使用量の情報公開を要望
(2)PPS(特定規模電気事業者)からの電力購入
(3)電力自由化の促進に向けて枝野幸男経済産業大臣と話し合い
(4)東京電力の事業者向け電気料金の値上げに対する対応
(5)エネルギーの地産地消
(6)今夏の節電の取り組み
いくつかの活動はメディアでも大きく取り上げられ、目にした方も多いのではないでしょうか。このうち(5)エネルギーの地産地消は、ユニークで新しい太陽光発電プランです。
「個人宅の太陽光発電に補助金を出している区が多いのですが、世田谷は思い切ってやめました。以前は、発電量に応じて上限20万円まで補助金を出していましたが、これから1000軒、2000軒と増やすとなるとても区の財政が持ちません。代わりに始めたのが『せたがやソーラーさんさん事業』です。区の外郭団体『世田谷サービス公社』が太陽光発電システムを大量購入してメーカーにコストダウンを求め、区民に低価格で提供します。国と東京都の補助金46万円ほどを使えば、7〜8年でもとが取れる仕組みです。すでに1100件の問い合わせがあり、400件が見積もりをとっています。これだけの住宅密集地で太陽光発電が普及するのは世界初です」(保坂さん)
こうした保坂さんの取り組みについて、上原さんは「自分たちで町を運営しようと決意すれば、自分たちでコントロール可能であることを見事に示してくれた」と絶賛。同様の動きが広がることに期待を込めて、今年4月に立ち上げた「脱原発をめざす首長会議」について語りました。
「前福島県知事の佐藤栄佐久さんは、原発に反対したことで身に覚えのない汚職で逮捕され、辞任に追い込まれました。行政のトップといえども、反原発を掲げると大きな圧力がかかるのです。『脱原発をめざす首長会議』に全国から77人の首長(元職含む)が名を連ねたことは、まったく新しい時代に入ったことの表れです」(上原さん)
経済界は今でも”原発がなくなれば経済が回らない”という主張を繰り返しています。しかし、それが欺瞞であることに気付いたのが同会議に参加する首長たちです。
「原発事故が起きれば、住民の生命と財産を守るという首長の職務をまっとうできません。政府は放射性物質の影響を”当面は心配ない”と言いますが、住民の不安は残りますし、福島では人が住めない地域もあるわけです。どんなに安全だと叫んでも、どんなにお金を使っても、原発事故が起きれば回復できません。原発がないと経済がなりたたないのではなく、原発は経済を含めてすべてを壊すものだと、全国の首長が気付きました」(上原さん)
国のエネルギー政策を転換させるのは、本来ならば、国会議員が動いたほうが早いかもしれません。しかし、自治体の長が立ち上がることは、「自分たちの力で、自分たちの未来を守る」という強い意思表示の1つです。同じことは、市民にも言えるでしょう。昨年、東京や大阪で大規模な署名活動が起きた「『原発』住民投票」や、毎週金曜に官邸前などで行われている抗議集会にも、主体的に動きだした多くの市民がいます。
「原発都民投票に主体的に関わった人たちは、都議らに対するロビー活動もして、『政治家ってこんなものか』と気付き、あくまで自分たちが主権者であることを知ったようです。官邸前の集会は若い人が目立ちますね。私の世代とは違って、ツイッターなど新しい手法を使い、自分たちの手で社会を変えようとしています」(上原さん)
●第2部は、小熊英二さんの講演から始まりました。小熊さんは歴史社会学の観点から、「ドイツと日本の違い」「震災前の日本社会」「日本はどう変化していくのか」の3つについて論じました。
「ドイツは2022年までに脱原発を決めましたが、日本は未だそこに至りません。両国の違いは70〜80年代にあります。日本国民のメンタリティーは、しばしば『お任せ民主主義』と評されます。制度自体は民主主義でも、国民の参加意識が著しく低く、その割には不満が強いことが特徴ですが、ドイツも60年代くらいまでは同様の傾向がありました。しかし、70〜80年代には解消し、参加意欲や自己実現意欲が強い国になっています。実はドイツに限らず先進国はそうした流れがあるのですが、なぜ日本だけが違うか。答えは、70〜80年代が経済的に豊かだったからです」(小熊さん)
小熊さんは、ドイツのベストセラー『リスク社会』(ウルリッヒ・ベック著・1986年出版)を例にあげて説明します。
「『リスク社会』という本は、原発や食糧問題、雇用問題、家庭崩壊問題などさまざまなリスクについて書かれた本です。著者のベックはドイツの社会学者で、『危険』と『リスク』を分けて表現していました。『危険』は天災など諦めるしかない危機のことで『リスク』は人災。リスクは減らすことができるため、リスク社会になると人々は行動に移るようになるとしています。ところが、日本でこの本が翻訳された時は『危険社会』というタイトルで、雇用や家庭崩壊問題の項は抜かれました。経済的に豊かだった日本にとって、まだ深刻な問題ではなかったからです。ただ、3・11後日本も変わりました。原発によるリスクを減らすために情報を集め、行動している人は数千万人単位にのぼるはずです」(小熊さん)
3・11後に見られる日本人の変化は、「ずっと前からじわじわと進んでいた変化の極地」と小熊さんは言います。振り返ると、私たちが歩んできたここ20年間で、日本人のメンタリティーは大きく変わってきたようです。
「お任せ民主主義という指摘は半分しか当たっておらず、昔から日本の政治には町内会や商店会などの声が色濃くインプットされていました。自民党の最大集票基盤は財界、土建屋、町内会、商店会で、たまに革新派議員が当選すると商店会などが圧力をかけた。しかし、それが通用したのも90年代いっぱいまで。大規模小売店舗立地法の廃止に代表される規制緩和や、財政難でばら撒きができなくなったことで組織力が衰え、どこにも所属しない人が急激に増えました。今、脱原発デモに来ている人も組織に属していないケースが多い。ポピュリズムでは政治を動かせない時代に入りました」(小熊さん)
今後の日本社会の変化の過程では、政治のあり方に大きな変化が求められるようです。
「今の戦いは、古い日本と新しい日本の戦いです。自民党はいまだに公共事業などと言いますが、そのルートに乗っていたら日本に未来はありません。組織で動こうとすると、大阪維新の会のような勢力に負けてしまうでしょう。時代の趨勢として、社会の変革が求められています。デモや集会では『再稼働反対』と声があがりますよね。あれは大飯原発だけのことではないのです。ネットで見かけた『3・11以前の日本を再稼働することに反対』という言葉は、言い当てているなと思いました」(小熊さん)
小熊さんの講演のあとは、引き続き保坂さん、上原さんを交えたトークセッションです。保坂さんは世田谷で実践してきた取り組みから、小熊さんと違った見方をする部分もあったようです。
「区長になってから、町内会や自治会とは一緒に祭りのやぐらを組んだり、災害時の防災協定を結んだりしています。そうした団体は高齢化も厳しく、昔に比べて機能しなくなったのは事実ですが、3・11で変わった社会での町作りに汗を流しているところもあります。既存の組織を変えるには、中に入っていくことも大事です」(保坂さん)
上原さんも、地域の祭りなどをうまく活用した町作りに可能性を感じています。
「京都では町内会や商工会の高齢化が進み、『このままでは祇園祭ができなくなる』という危機感が生じて、新しく建つマンションの入居者に祭りへの協力を求めました。私が市長を務めた国立市は、一橋大学の学生に商店街の空き店舗を貸す取り組みを行っています。最初は、古くから商店街に店を構える人や地元議員がいい顔をしませんでしたが、成功したらみんな寄ってきます。それぞれの地域に合った形で、若い人が参入できる仕掛け作りが大切だと思います」(上原さん)
商店街の活性化については小熊さんも賛成で、「素人の乱のデモを主催する松本哉さんのリサイクルショップは、北中通り商店街という、高円寺の中ではメインから外れた区域にあります。松本さんは商店街の副会長も務めており、地元のおばあちゃんたちとの交流も深い。そうやって変わっていかないと」と話しました。
●第3部は、特別ゲストで菅直人さんが登場。3・11直後の官邸の動きについては、様々な報道がなされていますが、実際はどうだったのか。また、顧問を務める「脱原発ロードマップを考える会」(72名の民主党議員が参加・賛同)は何を目指しているのか語りました。
「官邸に一人でいる時に考えていたのは、『もし最悪の事態になったら』ということでした。福島第一原発には6機の原発と7つのプールがありますが、最悪の時はこれらが順次メルトダウンを起こします。もしそうなると、本当の意味で死ぬ覚悟がないと近づけなくなります。現実に旧ソ連では、チェルノブイリ原発を石棺化するために軍人が動員され、数千人も亡くなったと言われています。もし日本でそうなったら、という思いは常に頭を離れませんでした。また4号機の使用済み核燃料プールが、余震の強い衝撃で倒壊したら、チェルノブイリの10倍、100倍の放射性物質が放出し、首都圏を含む250Km圏で避難が必要でした。3千万人を避難させる、言葉で言うのは簡単ですが、現実的にどういうことになるのか」
菅さんは、今もなお電力会社が「原発がなければ電気料金が上がる」と主張していることについて「まるで福島の事故がなかったかのような話だ」と批判し、ロードマップを考える会の方針を説明しました。
「2030年までに再生可能エネルギーを40%まで増やすと同時に、国全体の電力消費量を20%下げます。原発は2025年までのできるだけ早い時期にゼロにするという考えです。政府のエネルギー・環境会議が出した2030年までの計画では遅すぎる。少なくとも原発ゼロという目標を明確にする必要があります」(菅さん)
原発ゼロは多くの国民が願う目標です。菅さんは、目下、脱原発の方針を国として明確にするための法案提出に注力しています。
「『脱原発基本法』という法律を民主党から提案する予定です。党内手続きで難しい面もありますが、与党から法案を出す意味は大きい。なんとか党内にきちんとした脱原発の土俵を作りたいと思っています。同時に、超党派の国会議員で作る『原発ゼロの会』でも法案を提出したい。こちらはもっと踏み込んで、88年に故・高木仁三郎さん(原子力資料情報室設立者)が制定を求めていた『脱原発法』のような内容になるかもしれません。いつまでに原発をゼロにすると具体的に定めた法律ができれば、内閣であっても拘束されることになります」(菅さん)
菅さんの講演後、他の登壇者のみなさんからいくつかの質問がありました。最初に手を挙げたのは上原さん。
「菅さんは国民の声に敏感な人だと思っていました。ただ、野田首相の”鈍感さ”を見て思うのですが、官邸に入ると官僚に取り囲まれて民意は聞こえにくくなるのでしょうか。もしくは大臣になっただけでもそうなのか」という質問について、菅さんの答えは「半分は当り」。民意に答えたくても、なかなか実現できない内幕を明かしました。
「脱原発・再稼働反対と明言するには、急な停電による被害が出ないことをハッキリさせなくてはなりません。首相が『大丈夫だ』と言っても、経産省は『我々の計算によると危険だ』ということでしょう。政治家個人の責任で物事を進めるのは至難の業です。私の厚生大臣時代、薬害エイズ問題に取り組んだ時は、当時の橋本総理の合意と自社さ政権の了解を得て、ようやく原告の1人・川田龍平さんに謝罪できた。諫早湾開門を巡る訴訟の時も、官僚に上告する案としない案の両方を用意するよう何度も言いましたが、彼らは上告する案しか持ってこない。官僚を説得するには大臣の2、3人では無理。党もしくは国会の決定がなければ難しいと言わざるを得ません」(菅さん)
小熊さんからは、2つの質問がありました。「民主党の代表選が9月だとすると、ここ1〜2カ月が正念場だと思うが、この見立ては正しいか」「議員として脱原発を目指すために、国民に何をしてほしいか」。これに対して菅さんは、「私も1〜2カ月が正念場だと思う。今、消費税議論が3党合意で方向性がみえてきたところで、原発問題の巻き返しが来ている」と答えました。ただ、この事態には”楽観も悲観もしていない”というのが率直な気持ちのようです。
「私はわりと諦めの悪い男で。最初に立候補した時は、『あきらめないで参加・民主主義をめざす市民の会』の代表でした。原発ゼロは何としても実現したい。原発の問題をどうするかを決めるのは、本来なら国民投票ですが、残念ながら日本では憲法改正についての国民投票以外は憲法では認められていません。必然的に選挙で意思表示することになりますが、地元の議員に『脱原発基本法』に賛成しますかと聞いて欲しいですね。賛成する候補者が大勢当選し、まとまりができればかなり効果的ではないでしょうか」(菅さん)
最後に、小熊さんが「政界の中にいて、デモ、効いていますか?」と質問すると、菅さんは「そりゃ効いていますよ。だから、推進側の人たちはみんな黙っているんです」と答えました。自分たちの力で社会を変えるという、これまでにない時代の流れは、しっかりと前進していると実感できる一言です。政治を動かし、社会を転換させるため声をあげることの大切さを再確認させられるマガ9学校でした。
●アンケートに書いてくださった感想の一部を掲載いたします。(敬称略)
学者、地方自治の現場に立つ方々、国政の場で活動する方と、あらゆる立場の方たちのお話が聞けたところがよかったです。原発の話のはずがそこから逸れていったのも、むしろ原発の問題は原発だけにとどまらないことを痛感させてくれました。(匿名希望)
菅さんの脱原発への意欲・情熱は本物だと感じました。根回しなど大変だと思いますが期待しています。保坂さん、上原さん、小熊さんのお話もキレがよかったです。(南舘通)
小熊英二さんの話は面白かったです。日本の仕組みが1995年頃を境に壊れてきたことは、なんとなく感じていたことで、わかりやすかった。菅さんの冒頭の話は生々しく、3・11の頃を思い出しました。(匿名希望)
面白かった。これからの民主主義についてもっと考えたいです。(匿名希望)
小熊さんの、「地方に大きな道路を通すと地域がつぶれる。大型開発は地域をつぶす」というお話に同感です。まさに90年代以降、私の故郷でも起きたことです。「原発の再稼働に反対というより、3・11以前の日本の再稼働に反対」というのは、よいフレーズを教えていただきました。(斉藤聡)
自治体と国の前に、都市と地方の壁もあると思います。それをどう乗り越えるのかが課題だと思いました。(匿名希望)
原発を語るとき、私がどうしても外せないのは、命と健康、特に子どもの命と健康です。パネラーの皆さんもきっと思いは同じだと思うのですが、立ち位置が少し違うように思ったのが残念です。ただし、皆さんがやろうとしていることに対しては、深く敬意を表します。私もがんばります。(風呂貴子)
小熊さんの、歴史などの流れから俯瞰した物事の見方を聞かせていただいたり、上原さんや保坂さんが現実に進めている具体例を聞かせていただいたり、いろいろな視点の話を聞けてとても有意義な時間でした。(匿名希望)
菅さんの構想の実現に大いに期待します。少し元気をいただけた気がします(多難でしょうが…)。(匿名希望)
新しい日本と古い日本の戦いという言葉に納得! まさにそういう感じだと思った。保坂さんや上原さんの具体的な活動を聞いて、本当に社会は自分たちで考え話し合って作っていくものなんだなと思った。自分の住む市がどのような政策を持っているのかきちんと調べて、自分の意見を伝えたいと思また、菅さんの強い決意を聞くことができてよかった。あきらめないで運動を続けようと思う。(渡紀子)
菅直人さんの脱原発への熱い思いを聞けて、よかったです。1部2部では、地方自治ができること、新しい動き、変えなければいけない部分、さまざまなことを保坂さん、上原さん、小熊さんの3者の視点から学ばせていただきました。(高山拓也)
菅さん、保坂さん、上原さんという政治家からじかに情報を伝えていただいてたいへんありがたかった。立派な政治家を支え、応援することが国民の責任だと思わせられた。(匿名希望)