2014年9月23日(火・祝)
14:00〜16:30(開場13:30)
@新宿NPO協働推進センター
鈴木耕●すずき・こう 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
三上智恵●みかみ・ちえ ジャーナリスト、映画監督。東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画「標的の村〜国に訴えられた沖縄・高江の住民たち〜」は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。これまで300回を超える自主上映活動が続いている。現在、次回作の準備を進めている。
※今回のレポートは、学生ボランティアの海気月色が担当しました。
いま、沖縄の基地問題は最大の危機に瀕しています。本土にいる私たちは果たしてどれだけの共感を持って沖縄基地問題を考えられているのでしょうか。
今回のマガ9学校では、映画『標的の村』や、コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記」連載でお馴染みの三上智恵さんがTVディレクターとして制作したドキュメンタリー『海にすわる』を上映しました。その後、長年沖縄と関わり続けてきた鈴木耕さんが、沖縄の「いま」と「未来」とをお話ししてくださいました。
『海にすわる〜辺野古600日の闘い』は、10年前に制作された作品です。詳細は、作品HPより引用させていただきます。
「日米の安全協力体制に刺さったトゲ」ともいわれる普天間基地の返還問題。移設先として名護市辺野古の名前があがったのは1996年。以来激しい反対運動が展開され、17年たっても埋め立てに着手できていない。
しかし、長年に渡って抵抗を続けている辺野古の人々のことを知る日本人がどれほどいるだろうか? 彼らを追いかけたドキュメンタリーは、数えるほどしか作られていないが、その中に英語版を含めおよそ1万枚のコピーが出回り、今現在も大学や勉強会で繰り返し上映されている伝説のドキュメンタリーがある。それが本作『海にすわる〜辺野古600日間の闘い〜』だ。制作は『標的の村』の琉球朝日放送。
1995年の米兵少女暴行事件に端を発した沖縄県民の怒りが、普天間基地の県内たらいまわし問題にからめ捕られていく過程に疑問をぶつけながら、日々の辺野古報道にあたった地元ローカル局のカメラは、徹底して追い込まれながらも必死に抗う県民の側に立つ。まさに『標的の村』(2013)の原点だ。
辺野古の基地建設は「普天間基地は少なくても沖縄県外」と約束した鳩山総理の登場で白紙になるかと期待されたものの、すぐさま元の方針に戻り、2013年、辺野古移設が唯一の解決手段と日米が繰り返し合意するなかで、今最大の危機を迎えている。
沖縄を揺るがすオスプレイ配備と辺野古はどうつながるのか?
日米両政府は、なぜかたくなに辺野古にこだわるのか?
「高江のSLAPP裁判は辺野古の前哨戦」とはどういうことか?
そして今年、辺野古で何が起きるのか?
これらの疑問への答えが、この47分の中にある。
テレビ放送の枠を超え、本土には伝えられていない辺野古の真実満を持してスクリーンに映し出す。
ドキュメンタリー上映後は、今夏沖縄へ行ったという鈴木耕さんからのお話がありました。「非常に素人写真ですので、さっきの動画(三上智恵さんのドキュメンタリー)と比べられると困るんですけど」と言いながら、お世辞ではなくメッセージ性の強い十数枚の写真を見せてくださいました。
まずは、「勝つ方法はあきらめないこと」と書かれた横断幕の写真(1)。辺野古テント村にあったもので、鈴木さんが思わず「すごい」と心が揺さぶられた横断幕だったそうです。三上さんのドキュメンタリーの中でも、おじいやおばあを含む多くのうちなーんちゅ(沖縄の言葉で「沖縄の人」を意味します)が、基地移設問題に対して根気よく闘い続ける姿が映し出されていました。「勝つ方法はあきらめないこと」――横断幕のスローガンは、沖縄で闘う方々の姿そのものです。ちなみに、この写真は鈴木耕さんのツイッター(@kou_1970)でも公開されていました。
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続いて、座り込み用の仮設(簡易式)テントの写真(2)。仮設テントなので毎朝張り直し、毎夜持ち帰るということでした。そんな仮設テントの横にはある日から、トラックの泥落としという名目でギザギザとした鉄板が置かれた(3)そうです。もし誤ってこの上に転倒すれば怪我をしてしまいますし、真夏の太陽がこの鉄板を高熱にもさせています。そのように非常に危険な鉄板が、基地建設を進めようとする沖縄防衛局によって、突如として仮設テントの横に置かれたというわけです。
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さらに、某セキュリティ会社の警備員がデモ隊の通る道に立たされている写真(4、5)。炎天下で立たされている彼ら。その後ろにある車の中で、機動隊が待機しているとこのことでした。某セキュリティ会社の警備員は、うちなーんちゅのことばで話しかけられても心が乱されないようにと県外から派遣されてきた方が大半だそうです(警備開始当初は、沖縄県内から派遣された方もいらっしゃったそうです)。
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写真解説が一通り済んだ後は、鈴木さんも乗船したという「平和丸」のお話をお聴きしました。「平和丸」は「海にすわる」活動を行うカヌー隊の安全を監視する船だそうですが、海上保安庁が暴力的に乗り込んでくることもあるそうです。「海にすわる」活動を展開する一般市民に対して、海上保安庁はあまりにも暴力的で強硬な策に出ているようです。それでも、それだからこそ、「海にすわる」活動が終わることはありません。「勝つ方法はあきらめないこと」――横断幕の文字が思い出されます。
その他、座り込みに参加する人たちのために、交通の不便な土地には地元の人が無料送迎車を提供していたり、熱中症を気遣うことば掛けをしていたり、「闘い慣れている」うちなーんちゅのお話は、長期戦に対しても崩れない、崩れないための徹底した心意気と行動とを教えてくれました。また、鈴木さんは普天間基地返還後の土地利用についても、自著『沖縄へ――歩く、訊く、創る』での主張(たとえば医療特区を展開するなど)を中心にお話ししてくださいました。
質疑応答の時間には、参加者の方からたくさん質問をいただきました。祝日にもかかわらずご参加いただいたみなさまに、心より感謝申し上げます。
追記
三上さんのドキュメンタリーや鈴木さんのお話は本土にいる私にとって、強烈で切実なものでした。沖縄以外に住む人たちが沖縄についてより大きな関心を持つこと、権力に対して諦めずに闘い続ける根気強さ、穏やかな暮らしを望む人たちがデモをしなければならない現状――沖縄問題最大の危機は無関心なのではないかと私自身大きな反省をしました。この思いを忘れず、行動して参ります。(海気月色)
●アンケートに書いてくださった感想の一部を掲載いたします。(敬称略)
映画を観て、あらためて反基地の人々の怒りと体制側の力優先の怖さを思い、さらにしっかり沖縄を考えていきたいと感じた。基地問題への危機感がさらに高まった。また、鈴木さんの行動力と分析をお聞きし、自分なりの学び・行動をしっかり考えていきたいと思う。仲間にも伝えたい。(匿名希望)
迫力のドキュメンタリーでした。鈴木さんの写真も現在の様子がよくわかりました。反原発運動を続けてこられた祝島の皆さんと同じですね。辺野古の皆さん、本当にお強い。しかし、基地をどうするのが一番いいのか、解決策がみえない。(匿名希望)
「政権を替えても、誰が首相になっても変わらない」という声は多いが、確かに国民(市民)が変わらなくては、何も変わらないと思う。本日のドキュメンタリーに、沖縄の市民の姿を見た! 感激しました。(匿名希望)
本土メディアでは知らされていない、沖縄の事実や側面を知ることのできるよい機会となりました。(匿名希望)
観に来てよかったです。辺野古の闘いがどのように行なわれてきたか、その大変さが伝わってきました。鈴木耕さんのお話も、わかりやすく等身大で体験談を語ってくださったので、時間があっという間でした。(匿名希望)
ドキュメンタリーは丹念に作られていたとの印象。質疑応答の時間では、我々にできることの一端を教えてもらった。(匿名希望)
『海にすわる』は感動的だった! へこたれない姿勢を学びたいが…あの強さはどこから?? 10年前の映像ということで、今はいないおばあやおじいが映っていたのかな。(匿名希望)
辺野古の状況がよくわかってよかったです。鈴木さんのお話がすごくよかった。私たちが知らないこと、たくさんありますね。またマガ9学校に参加したいと思います。(匿名希望)
沖縄の情報に触れる機会が少なすぎるとあらためて感じました。(匿名希望)