(撮影:高松英昭)
「女性」ってこういうもの、「母親」ってこういうもの、「アラフォーの独身(私のことです)」ってこういう感じ――イメージというのか、レッテルとか偏見とかいうのかわかりませんが、自分自身もイヤな思いをすることがあるにもかかわらず、自分のうちにも刻まれている「こうしたもの」から自由になるというのは難しいものだなとつくづく思います。
「ホームレス」とは、「Home Less=家がない」ことを意味する言葉のはずですが、無意識にそれだけではないニュアンスを含めているように思います。「“ホームレス”という人がいるわけじゃない。家をなくした“ホームレス状態の”人がいるだけだ」とはよく言われる言葉ですが、それを頭で理解するだけでなく実感するには、もう一歩、路上にいる人と近づくきっかけが必要です。
路上にいる「その人」と出会い、顔を覚え、名前で呼んで、何度か言葉を交わしたら、ひとつの言葉ではくくれない存在になっていくでしょう。そこから、普段見えている街の景色も違ってくるかもしれません。でも、多くの場合、そんなきっかけなどないまま、駅の構内ではお互いに目をそらして、すれ違いながら生活しています。
東京都人権プラザで開催中の「高松英昭写真展 Street People」には、そんな路上にいる人たちと、写真家・高松英昭さんが20年かけて「出会ってきた」写真が並んでいました。
友人と重ねた手があり、故郷へ戻るためにこだわったというダブルのスーツ姿があり、子どもみたいな照れた笑顔があり、気どったよそいきの顔があり、そして孤独な寝場所にたたずむ姿があり…。目をそらしてすれ違ってきた路上の人たち一人ひとりの、豊かな表情や醸し出す雰囲気にひきつけられます。単純な言葉ではくくれない、さまざまな個性が迫ってくるようです。
(撮影:高松英昭)
この写真展には、2009年に出版された写真集『STREET PEOPLE――高松英昭写真集』(太郎次郎社エディタス)の作品も一部展示されています。
6年前、この写真集を手にしたときのインパクトをよく覚えています。カラフルな街を背景に、堂々とポーズをとり、カメラをまっすぐに見つめる人たち。路上にいる人とすれ違うようにしてきた私は、初めてその目を見たような気がしました。そして、数年後、私はちょっとした偶然からその写真集に登場する人たちのうち何人かと出会うことができ、顔や名前を覚え、言葉を交わすようになりました。「路上」が前よりも近くなり、街の景色が違って見えるようになった気がします。
写真展の挨拶文には、高松さんのこんな言葉が書かれています。
路上で生活している人たちがいる。
それを認めてしまえば良い。否定すれば、彼らの存在自体を否定してしまうことになる。
子供たちによる「ホームレス襲撃」も数多く起こっている。大人が存在を否定している人たちへの襲撃である。存在を否定することは「殺人」に等しい。
だからといって、路上の人たちを放って置けば良い、ということではない。路上で生活する多くの人たちは社会的支援を必要としている。同時に、社会は彼らを支援するための「理由」を求め続けている。多くの場合、分かりやすく、共感しやすい「支援する理由」を求めているのではないか。
「それだったら、支援する必要があるよね」という感覚だ。
そして、支援されるにふさわしいフレームの中に当事者たちを閉じ込め、「支援する者」と「支援される者」という一方的な関係を作り上げていく。そのフレームから外れた人に対しては容易に批判的な視線を向ける。生活保護受給者に対するバッシングや路上の人たちに対する強制的な追い出しは、その典型である。私自身、路上で生活する人たちとどう向き合えば良いのか、自問自答を続けている。
その問いは、路上の人たちに対するものに限ったことではない。
自分と違う立場にいる人たちと、どういう関係を築いていくのか、それが私の撮影テーマの土台となっている。
社会問題の底流にあるのは「お互いの関係性」だ。
社会とは個々の人間関係の集合体であり、あらゆる社会問題は「他者との関係」が問われている。
人間関係は複雑で多様だ。
だから、
たとえ共感できなくても、「他者への想像力」を手放してはならない。
この写真展が、路上ですれ違う人との関係を変えるきっかけになるかもしれません。
東京都人権プラザ企画展「高松英昭写真展 Street People」
http://www.tokyo-jinken.or.jp/plaza/tenjishitsu_201502.htm日時:2015年8月1日(土)~11月29日(日)
午前9時~午後5時
入場無料/会期中無休
場所:東京都人権プラザ 第2展示室
(〒111-0023 東京都台東区橋場1-1-6)
*
高松さんは、写真集『STREET PEOPLE』にも小説を載せている友人の作家・星野智幸さんとともに、写真集の印税を賞金として、ホームレス状態を経験した人だけが応募できる「路上文学賞」を主宰しています。路上文学賞については、2014年にマガジン9で掲載した星野さんのインタビューでも触れていますので、あわせてご覧ください。
(中村未絵)
こんにちは。私は2014年から自分のペースで東京新宿の路上生活者の、毎週日曜午後に行われるボランティア活動に参加しています。ボランティアに参加すると、知識や書だけではわからないことも多く知ることができます。
例えば、見回りボランティアではおにぎりと福祉相普段等のチラシを配っていますが、私は彼ら彼女らの[手]を意識して配るように努めています。 路上に生きている彼ら彼女らも、私たちと同じく心臓は鼓動して、手に生きている証である温もりを持っているのです。 境遇は違えど同じ人間なんだと、ボランティアを始めて分かった事ですし、今まで生きているにも関わらず、無視の態度をとってきた自分に対して恥ずかしさを覚えました。
ボランティアに参加していると、通行人の方の奇異に満ちた視線を覚えることもあり、何故、至近距離で路上に生きている人がいるのに、多くの人は素通りするのかと疑問を覚えます。 同じ路上、社会で生きながら、見えざる障壁が存在することを痛感します。
社会や学校などで、彼ら彼女らと直接話したりする機会が多くあれば、同じ人間であると理解と共感の念が育まれるのではないでしょうか。
異なるものを排斥するのではなく、それを受容する感性と社会作り。今の日本に大切な課題であり、私たちにも求められていることだと思います。