*今回は、マガジン9学生ボランティアの海気月色が担当します。
10月25日、渋谷で「特定秘密保護法に反対する学生デモFINAL@SHIBUYA」が行われました。このデモを主催したのは、マガジン9でもインタビュー記事が掲載されている「特定秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL)」という、とてもかっこいい(かっこよすぎる)学生団体です。
SASPLによれば、当日は2000人がデモに集まったということです。
私にとってこのデモは、ほぼ初めてのデモ参加となりました。「ほぼ」と付けたのは、集団的自衛権の行使容認が閣議決定される日にもデモには参加していたのですが、圧倒されてしまい、お恥ずかしいことにただ見物に行ったという感じになってしまったからです。
その際に若者の集団を目にしていましたが、いま思えば彼らこそSASPLでした。彼らが声を上げている場は、若者のエネルギーで満ち溢れていてきらきらと輝いて見えました。大学の友人などに「集団的自衛権、おかしいよね」と話すと、「『とりあえず』過激な人」とされているようで多少孤独を感じていた私でしたから、同世代が声を上げている姿にどれだけ励まされたかわかりません。
デモをしている方々の姿自体は、上記の集団的自衛権のデモ以前からも拝見していて、感動して涙ぐんでもいたのですが、自分が実際にデモに参加するということがなかなかできずにいました。
なぜそのような私が今回のデモには参加できたのか――それはおそらく、SASPL主催の秘密保護法の勉強会への参加やツイッターなどを通して、SASPLとの関わりが間接的にも直接的にも増えたからではないかと自分なりに分析しています。
10月25日までSASPLの姿をSNSなどで見ていたことでデモが身近になったといいますか、「デモに参加して反対の声を上げるのが普通でしょ」とようやく実感として自信を持てたといいますか、デモに参加することが「起きる、朝食を食べる、大学に行く、昼食を食べる、デモに行く、夕食を食べる、眠る」という風に、私の生活に落とし込まれたといいますか。私にとって今回のデモに参加することは、覚悟だとか勇気だとかあるいは大きな一歩だとかではなく、「知り合いもいることだしとりあえず行ってみよう!」という大変気軽な感覚しかなかったように思います。
いままで口では「デモに行って当然」と言っていましたし実際にもそう思ってはいましたけれど、今回はそれが簡単に行動に移せたわけですから、SASPL偉大なり、です(笑)。
もちろん(かどうかはわかりませんが)究極の理想としては、「デモに行く」ことがない生活が考えられるかもしれません。しかしそのような生活は、民主主義を維持していくためにはありえないことだと私は思っています。声を上げるのが面倒だとか過激だとか、声なんか上げてもなにも変わらないだとか、そもそも民主主義はなかっただとか、いろいろな意見があると思いますけれど、それはただ楽をしているだけというか、民主主義にただ乗りさせてもらおうというだけの話であると思います。
民主主義では、だれもが声を上げる権利と同時に義務を負っているのではないでしょうか(と、このような綺麗事を言うことすら非難されては息苦しいですが…)。ですからたとえば「学生で未熟だから」という風に自分の立場を理由に発言をしないことは、それは結果的には民主主義の否定であり、私としては自分で自分の首を絞めているようにしか思えません。特に、社会人とは異なり、学生はあまり利害関係がないはずですから、大いに発言ができると私なんかは思ってしまうのです(私もそうでしたが勇気が必要でしょうけれど…)。
ところで個人的にSASPLで革命的にすごいと思っていることがあります。それは彼らがこだわり抜いている「見せ方(魅せ方)」です。パンフレット、グッズ、デモ中のコールなど、とことんこだわり抜いています。
そして中身も、というかとにかく彼らは中身をきちんと詰めています。中身も外見もかっこいい――そこが本当にかっこよく、どれだけの努力がそのかっこよさの中にあるのか、これは想像を絶するものだと思っています。そしてこのようにかっこよく見せる(魅せる)活動というのはすべて、少しでも多くの人に関心を持ってもらい、実際にデモに参加してもらうという目的に尽きるのではないかと考えています。というかおそらく外見だけがかっこいいというだけでは、2000人もの人が賛同するはずがありません。
とにもかくにも彼らの見せ方(魅せ方)は、デモを確実に参加しやすいものとさせているはずです。デモに参加しようかどうか迷っている人たちの背中をそっと押してくれているはずです。「今日は渋谷に遊びに行くかー」と言うことと、「今日はデモに行くかー」と言うこととの間に大きなギャップを感じさせない、デモ参加が過激でも悲観でもなく普通であり、その上かっこいいとさえ思わせるような見せ方(魅せ方)は本当にすごいと思います。
若者が、メディアの報じる政治に無関心な若者の「イメージ」に取り憑かれ、SASPLのかっこよさを見逃してしまうのはあまりにもったいないことです。私たち若者のリアルはメディアに作られるものではなく、私たち自身がそれぞれ創っていく、創っていかなければならないものだと思っています。私たちはメディアの中で生きているのではなく、現実に生きているのですから。
さて25日のデモに実際に参加した感想ですが、とにかく私としては楽しかったですし感動しましたし、一言で言うのなら「最高」でした(「いいね」どころではなく「最高」でした)。サウンドカーから音楽が流され、おしゃれなプラカードを持ち、渋谷の街へ――どこかの音楽フェスティバルさながらの雰囲気でした。「トクテイ、ヒミツ、ホゴホウ、ハンタイ!」と言うラップ調の声や、涙なくしては聞けないスピーチに、渋谷の街を歩く人たちの視線は釘付けでした。
もちろん批判的な視線もありました。私はデモ中にSASPLのパンフレットを配布する係でもあったのですが、おしゃれな格好をした人たちが、制服を着た人たちが、同世代の人たちが、冷笑しているようで、それはもちろん悲しかったというか、ああこれもひとつの現実なのだなと思いました。急に差し出されたパンフレットですから怪しまれるのは当然かもしれませんが、デモ慣れしていないのかなんなのか、そもそも「いや無理だから」というような完全拒否的視線を老若男女問わずいただきました。ですけれど中には、「これだけ集まってよかったね。この動きをもっと広めていかなきゃね」と言ってくださる方もいましたし、歩道橋の上から手を振って応援してくださっている方もいましたし、外国人観光客らしき方々のほとんどは気軽にパンフレットを受け取ってくださいましたし、なによりも振り返れば本当にたくさんの人たちが後ろに続いているという「現実」に心から感動し、励まされました。私はいろいろな意味で涙ぐみました。悔しさと嬉しさで涙ぐみました。さすがにパンフレットを配布しながら泣くのもどうかと思って堪えましたが、どうやらたくさんの方が感動して泣いていたようです(私だけでないのなら……泣けば……よかったです……(笑))。
今回のデモを通して、「ああこれは、これから、ここから、変わっていくのだ」という希望を確かに感じました。あの光景を私は一生忘れてはいけないというか、一生忘れられないです。そしてこのデモの様子は、テレビや新聞(しかも第一面!)で取り上げられていたりツイートされていたり、それらはすべてとてもとても嬉しかったのですが、私はなによりもあの場で実際にSASPLのデモに参加できて本当に良かったと思っています。
SASPLのような若い世代が動くことは、私は間違いなく希望だと思っています。そしてSASPLという存在は、これからの若者にも影響を与えると思っています。もっとかっこいい若者がこれから生まれるのだと思うと、絶望だとか悲観だとかではなく、できる限りいまの私にできることをしようという思いが湧いてきます。また学生以外にもたくさんの大人や子どもがいたあのデモの光景に、私は世代を超えたいい意味での繋がりを感じ、これもまた大きな希望でした。SASPLはいま生きる若者や大人、そしてこれからの若者にとっての架け橋だと思っています。
特定秘密保護法が施行される12月にも、SASPLによる官邸前抗議行動があります。月並みのことばですが、私は最後まで諦めずに反対の声を上げ続けたいと思います。少しでも気になった方は、まずはSASPLのツイッター(@S4SPL)などをフォローしてみてください。ひとりひとりにとって大切ななにかがきっと伝わってくると思います。ひとりだけれどひとりではない私たちには、ひとりひとりに大切な声があります。
Don’t give up the fight――この声が忘れられません。SASPLの皆さま、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。(海気月色)
若者が大勢動くと、大手メディアが報じるような海外のデモっぽくなりますね。かっこいい!
民主主義の理想は市民が常にデモなどを行って権力を監視する社会です。
権力はいつだって腐ることができるそいう存在です。
そのためにも、デモは、市民の監視はできれば日常的で楽しいのが理想だと思います。
楽しくなくちゃ続かない。
[…] 、実際にデモに参加してもらうという目的に尽きるのではないかと考えています。 [引用元] 「特定秘密保護法に反対する学生デモFINAL」に行ってきました!|こちら編集部 | マガジン9 […]