先週のコラム『森永卓郎の戦争と平和』で「日本の若者に戦争への危機感がないのは、『自分は関係がない』と思っているからだろう。だから、私はいっそのこと若者たちに徴兵制を適用したらどうかと思う。そうすれば、戦争の恐ろしさを、自分自身のこととして、考えるようになるだろう。もちろん若者だけではなく、国会議員にも任期を終えたら戦地に赴く義務を課し、国家公務員は人事異動で前線に配属できるようにすべきだ」というくだりを読んで、私はマガ9創刊間もない頃に行ったインタビュー『世界から見た今のニッポン 日本で兵役外労働に就くドイツの若者たち その1 その2』を思い出しました。
ダニエル、マルクス、ガブリエルという19~24才の青年たちとの対話はとても刺激的。彼らは兵役を拒んでいながら、徴兵制度を真っ向から否定しているわけではありません。たとえば、「兵役はいらないという意見もあるけど、たとえば兵役義務のないアメリカだと、兵士になりたくないけど、それ以外に仕事がないから、軍隊に入隊する人がいる。ドイツでは学校の成績が優秀なやつだって兵役の義務がある。どっちがいいんだろう?」(ガブリエル)、「ドイツでは戦後、軍隊をもつ際に『職業軍人だけだと同じような考え方の人間が集まって閉鎖的な集団になる。だからいろいろな人間を軍隊に入れるべきだ』と考えた。それで兵役制度をつくったんだと思う。(軍隊が)社会とかけ離れた存在にすると危険なので、常に新しい人間を入れようということ」(ダニエル)、「でも、兵役外労働がなくなったら政府が困るんじゃないか? 社会福祉の仕事はいつも人手不足。それを兵役外労働で補っているんだから。ぼくたちだったら安いコストで済むし」(マルクス)など、彼らの言葉に私の目からはうろこがたくさん落ちました。
ところで、今月発行の雑誌『世界』(岩波書店)に自民党の野田聖子総務会長へのインタビューが掲載されました。野田総務会長はそこで「安全保障も少子化とリンクしてくる。本当に安全保障を考えるなら、50年もつものを考えなければならない」と安倍政権による集団的自衛権の行使を容認する姿勢に異論を呈し、「いまの日本に、どれだけそこに若者を行かせられるでしょう。そして、国の借金がGDPの6%ある状態でどれだけ国防費に回せるのでしょうか」「人を殺す、人が殺されるかもしれない、というリアリズムを語るべき」とも話しています。
上記のドイツの若者へのインタビューは9年前のものですが、ぜんぜん色褪せていません。軍隊とは何か? 国を守るとはどういうことか? を考えるのにとてもいい材料を与えてくれます。ご一読を。
(芳地隆之)
ベトナム戦争終結の一因に、議員達の厭戦があったと聞いたことがあります。議員達の子供、親せきの徴兵が原因です。それ以来米国では、貧乏人を生むシステムに変え、彼らを奨学金だので釣り、兵士として戦地へ向かわせる職業軍人制度に変えましたそうです。
上に匿名で寄稿された方の意見に私は同意いたします。
アメリカの有閑階級たちに時々みうけられるように、このことを自分の家族に対する愛情、すなわち家族愛と表現すれば、それは大変に美しいことのように聞こえます。
ところが、全体主義者や国家主義者や日本の天皇崇拝排外主義者でさえ、自分の家族や自分の愛児には大変やさしい男ややさしい父親になりきることができるのです。
かつて見たベトナム戦争の映画プラトーンでは、ベトナム人の村を空爆しベトナム人を平気で銃殺する米軍兵士が廃墟からでてきたベトナムの子犬をとても大事にかわいがる場面を私は思いだします。
丸山南里