B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吠えてみました」

 「ここにいる人の8割は自白させられますよ」
 24日に再審で無罪判決を勝ち取った「布川事件」の元被告、桜井昌司さん(64)が、そんな風に話していた。判決6日前の院内集会で「やっていないことを、なぜ自白してしまったのか」と問われた時のことだ。
 「捜査する側には『確証なき確信』っていうルールがあるんだそうです。いったん逮捕したら有罪の前提で調べる。留置場に入れられて、『やっていない』と言い続けても心が折れちゃうんです」
 布川事件のもう1人の元被告、杉山卓男さん(64)も「捕まった時点で犯人にしようとストーリーが出来上がっていた。『もういいや』で『自白』してしまった」と語った。
 布川事件とは、1967年8月に茨城県利根町で62歳の男性が殺害され、現金11万円が奪われた強盗殺人事件である。1カ月半後に、桜井さんは窃盗容疑で、杉山さんは暴力行為容疑で、それぞれ別件逮捕された。「いわゆる不良だった」とはいえ、2人とも20歳そこそこだった。
 支援団体「桜井昌司さん・杉山卓男さんを守る会」のホームページによると、桜井さんは警察の取り調べで「お前が犯人だ」「アリバイが言えないのは犯人の証拠だ」「お前と杉山を現場で見た人がいる」「お前の母ちゃんも、早く本当のことを言えと言っている」と責められ続けた。「犯人にされてしまう」と不安になっている時に嘘発見器にかけられ、「みんな嘘と出た。もうダメだから話せ」と突きつけられる。何を言っても犯人にされてしまうと自暴自棄になって「嘘の自白」をしてしまったという。
 一方の杉山さんは、取調官に「桜井がお前とやったと言っている」と、桜井さんの署名の入った調書を見せられた。そして、「俺はやってないんだから、後になればきっと分かってもらえる。やらないと言っているだけでは、いつまでも調べが終わらない」という気持ちから「嘘の自白」をしてしまったそうだ。
 やっていないなら否認を通せばいいじゃん、と考えるのはたやすい。でも、自分が逮捕されて、取り調べられる立場になったことを想像してみてほしい。
 そもそも、普通に暮らしている市民にとって、警察署に入る機会自体がそうそうあるわけじゃない。逮捕されて身に覚えのないことを問い詰められれば動揺もするし、何が起きているのか分からなくなるだろう。私が取材の過程で見た警察の取調室は、一様に狭くて、薄暗いか無機質かで、こんな場所で連日朝から晩まで取調官と対峙するだけで、ものすごいエネルギーが必要だと感じた。庁内で漏れ聞いた取り調べの口調は、怒声だったり詰問だったりで、決して普通の会話ではなかった。
 しかも、夜は留置場に閉じ込められる。一日中世間から切り離された世界にあって、弁護士を中心にした強力な支援でもなければ、何より精神的に参ってしまうに違いない。疑いをかけられた側は、捜査する側と対等ではないのだ。自分がその立場に置かれたら、やっていないとしても否認を貫ける自信はない。
 もちろん、2人は「裁判で本当のことを言えば分かってもらえる」と信じて、公判で犯行を否認した。しかし、実際は「検察官は無実の証拠を隠し、本当のことを言わない。裁判官も見抜けなかった」と桜井さん。杉山さんも「裁判官は検察官に騙され、犯人扱いの予断の審理だった」と振り返る。
 犯行現場に残された指紋や毛髪をはじめ、2人につながる物証はなかった。結局、有罪の根拠とされたのは「嘘の自白」である。2人とも無期懲役が確定し、仮釈放まで29年間にわたる身柄拘束を余儀なくされた。
 再審の無罪判決は、捜査段階での2人の自白について、(1)犯行そのものやこれに直結する重要な事項の全般にわたり、供述の変遷が認められ、その程度は容易に看過し得るものではなく、その変遷に合理的な理由を見いだすことも困難、(2)客観的事実と整合しない可能性が高いと思われる点や、客観的事実に照らして不自然と思われる点も少なからず散見される、(3)自白調書が捜査官らの誘導等により作成されたものである可能性を否定することはできない、などを挙げて、「信用性を肯定することはできず、さらにはその任意性についてもそれ相応の疑いを払拭することができない」と結論づけた。
 でもね、言うまでもなく自白調書は、無期懲役を言い渡した原審と同じものだ。原審できちんと審理していれば(1)や(2)の判断なんてとっくに出来ていたわけで、弁護団が言うように「最初の1審から無罪だった」だろう。2人は「嘘の自白」をさせられてしまったがために、雪冤に逮捕から43年余もの歳月を要してしまった。考えさせられるところ大である。
 再審の過程では、「自白」を録音したテープが改ざんされていたことや、捜査側に不利な目撃証言が隠されていたことも明らかになった。今日も止まない冤罪事件を見ると、当時と事情は変わっていない。再発防止のために、取り調べの全面可視化、検察が持つ証拠の全面開示、代用監獄の廃止といった制度の整備が早急に求められているのは間違いない。
 同時に、もっと根本のところで問い直さなければならないことがある。
 「何をしても許されるのが警察官と検察官。社会が許している。間違った行為をしたら、どなたでも罪や責任を問われる社会にしたい」。無罪判決後の記者会見で、桜井さんは強調した。
 無辜の民に虚偽の自白をさせたとしても責任を追及されない警察官や検察官だけではない。一方的な犯人視情報を垂れ流すマスコミ。その心証に操られ、真実を見抜こうとしない裁判官。さらに言えば、こうした冤罪の構造に目を背けたまま許容している我々国民――。結果的に真犯人を取り逃がしてしまったのはなぜなのか。布川事件から学ぶべき教訓は多い。

 

  

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第48回 やっていないのに
「自白」したとしても責められない
~布川事件の無罪判決に
学ぶべきこと
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    布川事件の犯人とされたこの二人を、1996年に仮釈放されてから
    15年にわたって撮り続けたドキュメンタリー映画
    「ショージとタカオ」が現在上映中です。こちらも是非ご覧ください。
    そこに映っているのは、フツーのおじさんの姿です。

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どん・わんたろう

どん・わんたろう:約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。 派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。 「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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