もはや、その法律の内容を詳しく覚えている国民は、ぐんと減ってしまったに違いない。憲法改定の手続きを定めた国民投票法のことである。18日、静かに施行された。
国民投票法が成立したのは、安倍政権(わぁ懐かしい)のもとの3年前だった。衆院では自民・公明が採決を強行。参院では18項目もの付帯決議がつき、積み残した課題について、施行までに結論を出すはずだった。しかし、政権交代の影響もあって、その舞台となる憲法審査会は、衆参ともに発足すらしていない。
国民投票法の中味や問題点を勉強し直そうと、施行に合わせて開かれた「護憲派」の学習会に出かけた。選挙権はじめ成人年齢の18歳への引き下げ、公務員に認められる投票運動の範囲、最低投票率制度の導入の是非、テレビ・ラジオを使った意見広告の規制、等々。この法律には、まだまだ詰めなければならない論点がたくさん残っていたことを思い出した。
そもそも国民投票法のような手続き法は、改憲・護憲の立場を超えて、誰にでも中立・公正に感じられることが必要不可欠だ。3年前に、もうちょっと時間をかけて精査していれば、きちんとした中味になっていたかもしれないのに…。大方の疑問点が解消されていたなら、「護憲派」の不満だって世論が許さなかっただろうに…。無理矢理やるから、あとあとまで、こじれるんだよ−−。
当時の様子を思い起こしながら、改めて、そんな感想を持った。もちろん、主権者の一人として、「3年間」の責任の一端が自分にもあることは反省しながら。
日本弁護士連合会(日弁連)は4月に、国民投票法の「施行延期」を求める会長声明を出している。護憲派の中には「廃止」の主張も根強い。与党になった社民党は、憲法審査会をつくらせないことで、事実上、国民投票法を骨抜きにしようとしているようだが、強引な成立過程を振り返れば、対抗策として許容される手段だとは思う。
一方で、国民投票法の制定に反対していた「護憲派」からも、「憲法審査会を早く立ち上げ、そこで国民投票法の課題を含めた憲法論議をするべきだ」と主張する人が出てきた。たしかに、どんなに不備の多い法律だとしても、施行されてしまった以上、いつ、どんなきっかけで悪用されないとも限らない。少なくとも、今のまま放置するのではなく、何らかの手だては必要だろう。
しかし、国民投票法の課題を国会で議論し直す場合でも、憲法審査会を舞台にすることには反対だ。なぜなら、審査会はもともと、改憲の原案を審議する場だから。つまり、どんなに「改憲の中味と切り離して、国民投票法の課題解決を」と呼びかけたところで、「改憲の一里塚としての国民投票法改定」と捉えられてしまう宿命なのだ。「改憲派」にしても、純粋に「公平・中立な国民投票法を」と考えている良識ある人々にとって、そうした批判を受けるのは不本意なのではないか。
この際、「いつ使われるかもしれない」という「護憲派」の疑心暗鬼を解くために、いったん国民投票法を廃止する。そして、以前の憲法調査会のような組織を国会に置いて、国民投票法を再構築するところから、やり直してはどうだろう。ここまでこじれてしまった糸をほぐすには、新しい器で心機一転、リスタートした方がいい。
これまでの議論の蓄積がすべて消去されるわけではないのだし、今の状態のまま、いたずらに時間だけが浪費されて何も進まないよりは、よほど建設的な気がする。その過程で、自衛隊の海外派兵をはじめ、自公政権時代の憲法問題を検証するということにすれば、「護憲派」も乗りやすいはずだ。
名目的にも実質的にも、明確に改憲と切り離した場を設けることこそ、中立・公正という国民投票の理念にかなう。それは、護憲論・改憲論の垣根を超えた草の根の憲法論議を広げる早道でもあるだろう。
国民投票法が施行されました。
「マガ9」では次のような対談も行ないました。
http://www.magazine9.jp/taidan/008/index2.php
憲法問題は、時の政治と無関係ではいられないものですが、
国民が主体の議論においては、
憲法の議論と、改憲護憲の議論を分けて行なうことの必要性を感じます。
憲法改正は政治家が決めるのではなく、
国民投票で国民が決めるものだ、という基本的なことについても
認識が当たり前になる、そんな社会を目指していきたいと思います。