尖閣諸島や竹島、さらに北方領土といった「領土問題」に、どう向き合ったらいいのか。恥ずかしながら私には、まだはっきりとした結論が出せていない。そこだけ見れば、自分のものを自分のものだと主張することは間違っていないだろうし、かと言って、必要以上に相手を刺激したり傷つけたりする言動を取るのは違うと思う。
ということで、参考になる見方を得たいと意識して集会や催しを巡るうち、林博史・関東学院大教授(日本近現代史)の講演で、マスコミではあまり報じられていないいくつかの事実を耳にした。一つの糸口として紹介しながら、領土問題へアプローチする道筋を考えてみる。
まず尖閣諸島。日清戦争さなかの1895年、閣議決定で日本領に編入されたことは周知の通りだ。だが、それに先立つ1880年には、明治政府による「琉球処分」を受けてアメリカ大統領の仲裁により、沖縄の八重山・宮古を中国(当時は清)に割譲する分島案を日本が示し、いったんは日中双方が合意していたそうだ。地理的に見て、尖閣もこれに含まれていたと解するのが妥当だろう。
「琉球王国が復活できなくなる」という理由で中国側が反対に転じ、条約は調印に至らなかった。だが、当時の日本がこの地域をどう捉えていたかを浮き彫りにする出来事だったことは確かだ。結局、尖閣を編入した3カ月後、日清戦争の講和条約で日本は台湾の割譲を受ける。
竹島は1905年に日本の領有が閣議決定され、島根県になった。朝鮮半島や旧満州の利権をにらんだ日露戦争のさなかである。しかし、県の役人がその事実を韓国側に伝えたのは約1年後で、その間の日韓協約によって韓国の外交権は剥奪されていた。韓国には、もはや反論する術はなかったのだ。そして、1910年の日韓併合へとつながっていく。
政府の閣議決定によって領有を決めた手法や、戦後のサンフランシスコ平和条約の解釈などから、日本の領土だとする日本政府の理屈は間違っていないと思う。ただ、こうした経緯をたどると、尖閣も竹島も「戦時」に日本領とされたことに注意が必要だ。中国、韓国がともに「日本に奪われた」と主張するゆえんである。しかも台湾割譲や日韓併合につながる「侵略の一歩と受けとめられている」と林氏は指摘していた。
その意味では、中国や韓国にとって尖閣や竹島は、すぐれて歴史認識に関わる問題である。だからこそ、あれだけ感情的になるのだ。
外交は理性的、論理的になされるべきで、感情論と一線を画すべきなのは言うまでもない。しかし、相手がどういう気持ちでいるのか、少なくとも常に思いを馳せ、最低限の儀礼的な態度を取るべきなのも、また外交の基本だろう。日中全面戦争の発端とされる盧溝橋事件が起きた7月7日に、野田首相が尖閣国有化の方針を正式表明するなんていうのは、ハナからケンカを売っていると取られても仕方があるまい。もちろん、いきなり大統領が竹島や北方領土を訪問してしまう韓国やロシアのやり方も、強く批判されるべきだが。
日本の領土をめぐるアメリカの戦略についての林氏の解説にも、納得させられるものがあった。戦後、「日本周辺に紛争の種を残して日本を孤立させる」ことを狙い、日本がアメリカを頼らざるを得ないように仕向けていたというのだ。サンフランシスコ平和条約が日本の領土について明確な表現をしていないのも、意図的だったとみる。
北方領土を例にとると分かりやすいが、1956年に日本政府がソ連と「2島返還」で合意しようとした時に、牽制したのはアメリカだった。「2島返還に応じれば沖縄を返還しない」なんて脅しまでかけてきたらしい。米ソ冷戦の時代だけに、日ソの対立要因がなくなって仲良くされると困るからだ。
そう考えると、尖閣をめぐって日本が中国と争う今の状況も、沖縄・南西諸島での中国監視の役割を自衛隊に担わせようとしているアメリカにとっては、都合が良いのだろう。尖閣に日米安保条約が適用されると表明したものの、はっきりと日本の領土だとは言わない理由が理解できる。日中の対立が高まることで最も利を得るのはアメリカ、というのでは、とてもやるせない。
もう一つ。第2次世界大戦後の領土問題をめぐるドイツの対応も初めて知った。ポーランドやフランス、ロシアからの要求を、すべて呑んだそうだ。敗戦国ゆえに受ける数々の圧力はあったのだろうけれど、太っ腹である。林氏は「領土を失っても、今日の欧州のリーダーたる地位を築く出発点になり、国としてはプラスだった」と評価していた。
今の日本の政治家に目を向ければ、仮に相手国の要求をすべて呑んだとして、その後、綿密な戦略を立てて実行していく能力は到底もたないだろうから、個人的に「丸呑み」には賛同できない。ただ、そうであったとしても、そこまで選択肢を広げて今後の対応を探っていくことは必要だと思う。思い込みや感情を極力排して広範な視点で考えるというプロセスこそが、さまざまなアイデアを生むきっかけになるからだ。
1930年代以降の戦前の排外主義の責任は「軍部だけにあるわけではない」と林氏は分析していた。勢力拡大をもくろむ政党政治家や、部数増につなげたいメディア(新聞)が煽り、歯止めをかけようとする人たちを攻撃して、どんどん強硬な方向へとエスカレートしていったそうだ。そして、それを支持した国民がいた。「領土問題」をはじめ、現代の政治や社会への教訓になるのではないだろうか。
林博史さんには以前、インタビューにも登場いただいています。
ただ「自分の主張を押し通す」だけでは、物事が何も前に進まないのは人と人との関係も同じ。
「外交はきれい事だけではできない」からこそ、多面的な見方や慎重な対応が必要なのでしょう。
感情論に流されて、さらに対立が激化するなんて、誰も望まないはずの事態だけは回避したい。
歴史の教訓からも、学ぶべきことはたくさんあります。
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