死刑存置論者でも、この刑罰に冤罪や誤判が絶対に許されないことは否定できまい。執行されてしまえば、あとで無罪と分かった場合に取り返しがつかないからだ。もちろん、すべての事件で冤罪や誤判が許されないのは事実だが、いかなるお金や謝罪をもってしても何物にも代えがたい生命は戻ってこないという真理を忘れてはならない。
死刑執行後に有罪が覆るという恐ろしい事態が、現実になるかもしれない。1992年2月に福岡県飯塚市で発生した「飯塚事件」。死刑の執行後に申し立てた再審請求の審理の過程で、捜査段階での疑惑が明らかになってきたのだ。全国的にはまだあまり知られていないこの事件の動きについて、主任弁護人の岩田務弁護士の話を聞く機会があったので、経緯や問題点を検証したい。
事件は、登校中の小学1年生の女子児童2人が行方不明になり、翌日、隣接する同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いのがけ下で遺体となって発見された、というものだ。首を手で絞められたのが死因だった。
事件発生から2年半後の94年9月、小学校の近くに住む久間(くま)三千年・元死刑囚が逮捕され、殺人罪などで起訴される。久間・元死刑囚は一貫して犯行を否認し、66日間の取り調べでも自白をしなかった。福岡県警は強引な捜査をすることで名高いだけに、これはかなりのことである。
しかし、99年の1審・福岡地裁は死刑を言い渡す。自白だけでなく直接的な物証もない中で、DNA鑑定や目撃証言などによる7件の状況証拠を積み重ねて有罪とした。判決は「個々の状況証拠も単独では被告人を犯人と断定することはできないものの、これを総合すれば被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定できる」と述べている。
物証がないまま、いくつかの状況証拠を組み合わせて有罪を認定する手法は、たとえば、昨年11月に再審無罪が確定した「東電女性社員殺害事件」の2審・逆転有罪判決(無期懲役)でも採られた。そもそも、無理をして導かれた有罪=死刑判決だったのだ。
にもかかわらず2審・福岡高裁、最高裁も死刑を支持し、2006年に判決は確定した。そして、08年10月、死刑が執行された。判決確定から執行まで2年余というのは、最近では異例の速さである。久間・元死刑囚は70歳だった。
飯塚事件の状況証拠の中で、最も有力とされたのがDNA鑑定の結果だった。「MCT118型」と呼ばれる手法で、92年に警察庁の科学警察研究所(科警研)が実施した。遺体のそばに付着していた血液などから採取したDNA型を鑑定した結果、犯人のものとみられる型と、久間・元死刑囚が任意提出した毛髪から採取した型が一致したとされた。
この方式は、ほぼ同時期に発生した「足利事件」でも使われたが、元受刑者の再審請求審で再鑑定したところ異なる結果が出て証拠能力を否定され、無罪判決に至っている。飯塚事件で用いられたのは、足利事件の半年後。当時はDNA鑑定の導入初期で、精度も高くはなかった。
久間・元死刑囚の死刑が執行されたのは、検察が足利事件でDNA型の再鑑定実施を認める意見書を出した直後だった。判決確定からの期間の短さと併せて、何かウラがあるのではと感じさせるような執行だったことは確かだ。
執行前から再審請求の準備をしていた岩田弁護士らは、相当なショックを受けたそうだ。「考えられることはやってきたつもりだった。DNA鑑定は怪しいとは思っていたが、証拠が十分に開示されておらず、どうにもならなかった」。死刑執行からちょうど1年後の09年10月、久間・元死刑囚の妻が福岡地裁に再審を請求した。
昨年9月、審理は大きく動く。鑑定時にDNA型を撮影したネガフィルムを、福岡地裁が保管していた科警研から取り寄せ、弁護団に開示したのだ。現場にあった血液などの試料は使いきって残っておらず、このネガだけが現時点で検証可能な唯一の物証である。
で、弁護団が法医学者にネガの解析を依頼したところ、新たな事実が明らかになったという。
ネガには、公判で証拠採用されたDNA鑑定書の写真よりも広い範囲が写っていた。そして、写真に焼き付けられなかった部分に、久間・元死刑囚のものでも被害者のものでもないDNA型が写っていた。弁護団は、これが真犯人のDNA型であり、科警研が意図的にカットして焼き付けた、つまり証拠を改ざんして真犯人のDNA型を隠ぺいした、と主張している。
また、久間・元死刑囚のものとされたDNA型は、犯人の血液や体液が混じる可能性がないところからも検出されていたり不鮮明だったりと、不自然な点があるという。
弁護団はネガの鑑定書を「新証拠」として地裁に提出し、解析した法医学者の証人尋問を求めている。だが、検察は「証人尋問は不要」との意見書を提出した。①写真を焼き付ける段階で一部をカットしたのは書面の寸法の問題だった、②弁護団が真犯人のものと主張しているDNA型は染色ムラだ、などと反論しているそうだ。
また、このネガ自体は1審で証拠採用されており、法廷でも示されていることなども挙げて、「再審開始に必要な明白な証拠にも新規の証拠にも当たらない」と強調している。さらに、飯塚事件には状況証拠がいくつもあり、「足利事件とは証拠構造が違う」との見解も示している。
それにしても最大の問題点は、当時のDNA鑑定で使った試料が全く残っておらず、再鑑定ができないことだ。岩田弁護士によると、何十回と鑑定ができる量があったはずなのに、実施したことがはっきりしているのは3回の科警研による鑑定分析だけ。しかも、証拠として裁判に提出された以外の記録は担当技官の私物として扱われ、退職時に廃棄されているそうだ。なんとも不自然な行為ではある。
状況証拠を支えた目撃証言にも多くの疑問点があるようだ。遺体発見現場付近で久間・元死刑囚の車と同じ特徴を持つ車とすれ違ったというものだが、時速25~30キロで山道の下りカーブを走行中の十数秒間のことで、しかも運転中に後ろを振り返って見ているという。弁護団は、当時と同じ状況をつくって証言のような記憶を再現できるか実験したところ、30人のうち1人もなし得なかったとして、「目撃証言には自ら体験しなかった事実の情報が混入している」とする専門家の鑑定書を地裁に提出している。
これを裏付けるように、再審請求で開示された捜査報告書から、この目撃証言の調書が作成された2日前に、担当した警察官が久間・元死刑囚の車を見に行っていたことが判明した。証言者の供述内容が、次第に詳しくなっている様子も浮き彫りになった。警察官による誘導が疑われるわけだ。
再審請求で明らかになった「新証拠」をもとに死刑判決を見直すと、状況証拠は崩れ、有罪の根拠はなくなるという。岩田弁護士は「久間さんを犯人とする方向で『証拠』が集められていた」と指摘。とくにDNA鑑定の改ざん疑惑に対して「鑑定するのが仕事で、実験結果をきちんと出して証拠化すべき人たちが、とんでもないことをしていた。検察によるフロッピーディスクの改ざんよりもタチが悪い。裁判所もなめられている」と強く批判していた。
近く開かれる裁判所と弁護団、検察の3者協議で、ネガを解析した法医学者を証人尋問するかどうか、地裁の判断が示されるそうだ。大事なポイントだから、ぜひとも証人尋問を実施し、出来る限りの審理を尽くしたうえで再審開始の可否を決めるよう強く望みたい。
もとより、冤罪が証明されたとしても、久間・元死刑囚の生命は取り戻せない。あえて死刑の是非は措くとして、それでも確定判決に少しでも疑わしい点が出ているのならば、今からでも徹底的に解明に努め、少しでも真実が究明されるように努めるべきだ。それこそが司法関係者の役割に違いない。
死刑が執行された後に、冤罪だったと判明する。
許されることではないのはもちろんですが、
もし、すでにそれが「起こってしまった」のならば、
求められるのは一刻も早く事実を明らかにし、
再発を防ぐ手立てを取ることのはず。
同じようなことがまた、繰り返されることだけはあってはなりません。
冤罪による死刑判決と死刑執行という恐ろしい事態の再発防止には、死刑制度の廃止と終身刑の導入を考える必要があると思います。警察、検察の恣意的な捜査と裁判、時の権力による意思、国策など、死刑判決が常に真正で公正、普遍的であるとは言い難いのは過去の歴史が物語っています。もし刑罰が犯人の更生を求めるものであるのなら、一生をかけてその罪を償うべきであり、その機会を与えるべきであり、被害者・家族もそれを見とどけるその機会を奪うのは刑罰の主旨に反するのではないでしょうか。冤罪の危険性も含め死刑制度の見直しこそが再発防止の一番の手立てだと思います。
冤罪による死刑判決が過去にあった事実を今回初めて知りました。さらに読み進めていくと冤罪による死刑判決の真相が世論に出ることを恐れて、再審請求した後に死刑が執行されるなど日本の隠蔽体質が浮き彫りになっているかと思われます。最近までは死刑制度の廃止に反対していた私ですが、このような事実が存在するのであれば、仮釈放を認めない(認める)終身刑を普及させることが、このような冤罪による死刑を生み出さないのではないかと感じた。この機会に是非、司法制度の見直しを推し進めるべきではないでしょうか?
冤罪による死刑問題を取り上げている以上死刑是非論は必要でしょう。冤罪で人殺ししてはいけないから死刑廃止を求めます。