とても不遜な呼び方だけれど、いわゆる業界用語で「雁首取り」と言う。大きな事件・事故が発生した時、マスコミが容疑者や被害者の顔写真を入手する作業のことだ。
駆け出し記者の頃、恥ずかしいことだが問題意識も薄く、言われるままに事件や事故の取材をしていた。顔写真集めも、読者の関心に応えるために、さらなる情報収集のきっかけにするために、あるいは事件・事故の悲惨さや被害者の無念を伝えるために、必要だと教え込まれていた。
経験者なら分かると思うが、顔写真は簡単に入手できる時には驚くほどあっさりと入手できるのだが、取れない時には泣きたくなるほど苦労しても取れない。もっともらしい必要性を並べたところで、結局はどこが早く取って報道するか他紙や他局との競争だから、ゲームみたいな感覚だった。入手することが目的化していたのだ。今の現場も、それほど変わるまい。
では、そうまでして報じた顔写真が間違っていたら? マスコミ関係者なら考えたくもない出来事が昨秋、実際に起きた。しかも、何社もの新聞・テレビが一斉に同じ間違いを犯すという前代未聞の大失態だった。
記憶されている方も多いと思うが、兵庫県尼崎市・連続変死事件のX被告(当時64)=昨年12月に兵庫県警の留置場で死亡=だとして掲載された顔写真が、事件とは全く関係がない50代の女性Aさんの写真だったのだ。Aさんの代理人を務める在間秀和弁護士の話を聞く機会があったので、「事件」の経緯を振り返り、問題点を考えてみたい(詳しくは、浅野健一氏「尼崎事件誤写真を検証し犯罪報道の大転換を」〈創1月号〉参照)。
Aさんの顔写真は、昨年10月19日からX被告としてテレビで放映され始め、各テレビ・新聞に広がった。約20年も前の集合写真から切り取ったものだった。
Aさんが気づいたのは、同23日の読売新聞朝刊を見て。最初は「自分に似ているな」というくらいだったが、孫から「この写真はバーバ」と言われ、ショックを受けるとともに確信した。しかし、「名乗り出るとマスコミがどっと来る」と思うと言い出せず、悩んだ末に、夫と仕事上の付き合いがある在間弁護士に相談したのは29日になってからだった。
Aさんは当時の写真を何枚か持参しており、在間弁護士はすぐに間違いだと分かったそうだ。何とかしたいと考えて、別件で取材を受けたことのある読売新聞記者に連絡し、翌30日の夜に事務所に来てもらう約束をした。
「私たちにどうしてほしいのか」。当時のAさんの写真数枚を見せて説明すると、やって来た同紙社会部次長はこう尋ねたそうだ。ひどい言いぐさだと感じ、「読売新聞としてはどうするつもりなのか。すぐに何らかの措置を取ってほしい」と強く求めたところ、「この場では間違いだと断定できない。会社に持ち帰らせてほしい」と言われたので、お引き取り願った。
で、在間弁護士は同窓生の元全国紙記者に相談する。「兵庫県警の広報からマスコミに連絡してもらっては」との助言を得て、同夜、県警広報に電話をすると、「特定のメディアへは取り次げない」との返答だった。ところが、間もなくして各マスコミからの問い合わせ電話がかかりだし、記者も続々と事務所にやって来た。どうやら県警広報が記者クラブに伝えたらしい。
記者らにAさんの写真を見せると、すぐに間違いだと納得したという。Aさん本人が取材に応じ、「買い物をするにも周囲の目が気になり、普段の生活ができない。テレビを見るのもつらい。憤りを感じている」と訴えた。その結果、同夜からの「おわび・謝罪報道」のオンパレードへつながっていく。
大阪に拠点を持つ全国紙、全国ネットのテレビ局、通信社では、9社がAさんの写真をX被告として掲載・放映した。読売、毎日、産経の各新聞、共同通信、NHK、朝日放送、毎日放送、読売テレビ、関西テレビである(毎日新聞・2012年11月1日付朝刊)。
朝日新聞や神戸新聞などは、同じ顔写真を入手していながら掲載しなかった。朝日の場合は、X被告と面識がある知人ら10人以上に確認を依頼したところ、半数以上が「印象が違う」などと否定したからだそうだ(朝日新聞・同年11月1日付朝刊)。賢明な判断である。もっとも、使わなかったマスコミの中には、10月30日より前にX被告の弁護士から「顔写真は本人のものではない」と知らされていながら他紙・他局が使うのを傍観していたところがある、なんて話も聞かれるそうだが…。
その後、間違えたマスコミ各社の社会・報道部長ら責任者が次々にやって来て、Aさんに謝罪した。その数、10社ほど。「真摯な謝罪だった」とはいうものの、1社につき30分ほどの時間を取られるAさんにとっては、ある意味「2次被害」とも言える状況だったらしい。
事態が落ち着いた11月中・下旬ごろから、在間弁護士は間違えたマスコミ各社に対して「賠償について考えるべきだ」との文書を送った。弁護士としての責任にかられてのことだった。「事件」の経過を記し、「賠償請求せざるを得ないので、賠償金額を検討してほしい」と求めたという。Aさん自身はお金が目的ではなく、賠償金は報道被害の防止に取り組むNPOなどに寄付する旨も書き添えた。
ところが、あれだけ真摯に謝罪したはずのマスコミ各社の態度が、賠償の話になると急に変わった。「写真を間違えただけで、Aさんの社会的な評価をおとしめたわけではない」との開き直りさえ感じるという。同様のケースで写真週刊誌に対して90万円の賠償を命じた25年前の判例があり、先例として持ち出してきているそうだ。それを大きく超える金額は払わない、との意思表示なのだろう。
そもそも、なぜ今回の間違いは起きたのだろうか。
在間弁護士が各マスコミの責任者に尋ねると、間違えた顔写真を警察から入手したりマスコミ間で融通したりしたことについては一様に否定し、「独自の取材で入手し、複数の関係者がX被告だと証言したので、たまたま横並びで使用した」と答えるそうだ。では、具体的にどんな取材をして、どんな偶然が起きたのだろう。そこが開示されなければ、当事者が「また同じことが繰り返されかねない」と不信感を持つのはもっともだと思う。
最近になって、Aさんは裁判を起こすことも考え始めたそうだ。焦点は、間違えたマスコミの過失の有無と損害額だが、マスコミ側は過失があったことは認める方向らしい。となると、裁判を起こしても過失の有無は争点にならず、真実の究明ができないことになりかねない。自分の社内での具体的な経過は隠したまま、安い金額の賠償で済まそうとしているように見える。なんか、ずるいよね。
どんな経緯で顔写真を入手し、どんな確認をして掲載・放映したのか。取材源の秘匿は分かるけれど、実際に大きな被害をAさんに蒙らせたのだから、可能な限り明らかにすべきだろう。
ところで、在間弁護士は今回の「事件」の背景を「競争が生んだ悲劇。競争が報道の本来の役割を見失わせている」と分析していた。
私の経験を振り返っても、顔写真を入手しようと走り回っていた頃、他紙や他局が報道しているのに、自分が入手できていない時の焦りは大きかった。そして、上司らの叱責に気持ちが追い詰められていく。いま振り返れば、たいしたことではないのだけれど、コップの中で競争している者にとっては重大な事態だった。
今回も、あるテレビ局が最初に顔写真を入手・放映し、他社が必死で追いかける構図だった。そういう時って、X被告かどうかを確認する側も「本人だろう」という前提で聞きがちだし、確認を受ける一般の市民にも先入観ができてしまい、「違う」「分からない」と言いにくくなりがちだ。そんな状況で、どこまで報道を自制できるか。現場の記者の問題というより、システムや組織の問題に違いない。
それから本質的なテーマとして、何のために容疑者・被告の顔写真を掲載・放映するのか、人権の観点から問題はないのか、マスコミ各社は改めて真剣に検討し直すべきだ。
言うまでもないことだが、逮捕・起訴されたとしたって判決が確定するまでは「犯人」ではない。顔写真をさらされた容疑者・被告が無罪になる可能性まで視野に入れて対応しなければならない。それに、裁判員制度では市民が裁判員となって判決を下すのだから、予断を与えないためにどうすべきかというアプローチも当然必要だ。
結局は、容疑者・被告の顔写真の掲載・放映をやめることこそが、今回の大失態の教訓を活かす道なのだと思う。
何かの事件の「容疑者」が逮捕されるたびに、
その顔写真が掲載されること、
当たり前のようになっているけれど、
有罪判決を受けるまでは「無罪」のはずなのに、と考えると、
そのおかしさが浮き彫りになってきます。
そもそも誰のため、何のため? 改めて考えたい問題です。