人間はいろいろな感情の中で生きている。同じような暮らしをしている庶民同士でも、あるいは庶民同士だからこそ、自分と比較してあれこれと他人にマイナスイメージを抱きがちである。そこを起点に、仲違いしていく。
でも、それが権力側によって仕向けられたものだったらどうだろう。意図的にではなくても、仕組みや取り組みに庶民を「分断」させる要素が内在しているとすれば、けんかをさせられることで権力側に都合が良いように利用されていることになる。
原発にまつわる事象っていうのは、まさにそうなのではないか。最近、当事者の話を相次いで聞く機会があり、改めてそんなことを考えている。
福島第一原発から西に約50キロの福島県二本松市に暮らし、ドキュメンタリー映画「内部被ばくを生き抜く」(鎌仲ひとみ監督)に登場している佐々木るりさん。3・11以降の避難、除染、子どもの保養活動や食生活――。有形無形に多大な被害を受けているにもかかわらず、「私の無関心が原発を推進してきた力だった」と自らの反省を口にして、何ともやりきれない気持ちになった。
親として、子どもたちのために何ができるか。「避難するのが一番いいと、みんな分かり切っている。でも、事情を抱えていて、逃げられない」。地元に残って生活している人から「1億円もらっても避難できない」なんて声も聞くそうだ。それなのに、避難しないことを責める声が見知らぬ人から寄せられるのも、分断の一側面だろう。
これからどう暮らしていこうか考えると、不安は解けることがない。経験したことのない事態なので、今も毎日が試行錯誤の連続だ。極限のような精神状態が続くと、だんだん「危機感を保ち続けられなくなってくる」。そして、放射能の危険から目をそむける人が増えてくる。いつ終わるともしれない大変な状況に常に直面しているのだから、それを簡単に批判することはできまい。
一方で、放射能への恐怖を変わらずに持ち続けている人たちが、だんだん少数派になっているという。「そこまでこだわらなくても良いだろう」といった言葉を向けられると、どうなるか。「ただ脅えながら自分の殻に閉じこもるようになる」そうだ。
同じ原発事故の被害者の中で分断が起き、少数派が同じ立場の人たちから疎んじられていくのだ。そこには、情報操作や施策などを通した権力側の仕掛けが少なからず影響している。原発事故の被災地で危険を訴える人が減れば、安全をアピールしたい権力側には好都合になる。
原発の計画段階で行われてきたことは、もっとあからさまだ。青森県・下北半島最北端の大間町に建設中の大間原発。炉心予定地からわずか約250メートルのログハウス「あさこはうす」を拠点に、母・熊谷あさ子さんの遺志を継いで反対運動を続ける小笠原厚子さんが語ってくれた。
特に印象に残ったのは、ただ1人、用地買収に応じない熊谷さんに対する、親類や友人、同級生らを巻き込んだ「働きかけ」だ。たとえば、事業者の電源開発が、熊谷さんの親類と分かったうえで雇用する。すると、その親類は熊谷さんから離れていく。うしろめたい気持ちがあるから、町で会っても避けるようになる。親類の葬式に呼ばれなかったこともあるそうだ。
一方で、「地域振興」の名の下に繰り広げられてきた営みの数々。祭りで電源開発の社員が山車を曳いたり、花火大会に多額の寄付をしたり、道路掃除に漁業作業の手伝いと、あらゆる機会を利用する。原発に反対していた町民も社員たちと交わり、雇用や仕事をちらつかされるうち、やがて用地の買収に応じていく。
こうした様子を見ているうえ「町が潤うから」「国策だから」と言われ、他の町民も心の中では反対だと思っていても声に出せなくなった。自分の生活に浸透してくれば、なおさらだ。もちろん、熊谷さんに対する説得も執拗で、町長や議員らが入れ替わりで1カ月に25日、自宅を訪問してきたこともあったそうだ。
そこまでやるのか、という感じである。弱者である庶民が、自分たちの利益のために、同じ立場の庶民を責めるようになる。権力を持つ側が、そうした図式を巧妙に作り出す。庶民同士を分断させることで、建設反対派を孤立させていく。
「原発」がいろいろな場面で庶民を分断させる具になりやすいのは、当たり前のことだけれど生命やお金と密接につながり、さまざまな部分で生活に深くかかわってくるからだろう。分断を仕掛ける側にとって、人間の急所と直結しやすいからこそ弱みを突きやすいのだ。
同時に、背後には、そうした権力者を消極的にであれ支えている「私たち」の存在があることを、真摯に受けとめ、反省しなければならない。
分断を突きつけられた弱者を守るために、庶民の価値観や姿勢が問われている。はねのけるには、はっきりと意思を表さなければならない。多くの人がつながることが不可欠だ。
衆院選の結果は、それを示している。
自民党以外の各党が「脱原発」を唱えるようになったため、即時ゼロなのか、2030年代なのか、といった時期が最大の判断基準になってしまった。脱原発同士で潰し合いをさせられているうちに、何も言わない自民党に漁夫の利をさらわれた。政党や政治家という権力側が、有権者たる庶民を分断してしまったと言える。結果として、脱原発は曖昧になった。
選挙なのだから過半数を取るべく、どうやって訴えの中身を練り、広範な層を結集するか。同じ脱原発派が分断されないように、まずは浅くても広く浸透させることを第一に臨むべきではなかったか。
政権が代わったこれから。さらに押し寄せてくるであろう「分断」の大波を超えるために、多様な局面で多くの人とどうつながるか。来年の大きなテーマに据えたい。
原発立地予定地での、あまりにあからさまな「分断」工作については、
今週の「マガ9対談」でも、
下北半島出身の愚安亭遊佐さんが語ってくれています。
立ち位置や考え方は違っても、
「何も心配せずに穏やかに暮らしたい」思いは多くの人に共通するもののはず。
その周囲に存在する溝を、どう埋めていけるのか。
原発問題に限らずさまざまな場面で、向かい合うべき問いだと思います。