「脱原発」の安売り合戦になってしまった感がある衆議院選挙だけに、早くも当選した後の公約破りが心配になっている。杞憂であることを願うばかりだが、前回衆院選での教訓から、そうそう性善説に立てなくなってしまっているのはやむを得まい。
3・11以降、「あいつは本当の反原発・脱原発じゃない」というセリフを何度も聞かされた。発信元は、反原発・脱原発を唱える人々だった。「本当の反原発・脱原発ってなんだろう」と考え続けて、それを見極めるために今回の選挙で自分なりに注目しているテーマがある。各地の原発から出た使用済み核燃料の「再処理」に対する姿勢である。
再処理をやめるか、続けるか。やめるのなら、続けるのなら、その後の課題にどう相対するか。そこには、上っ面の言葉で逃げることができない重要なテーマが内在し、まさに各党・各候補の真の姿が浮かび上がるからだ。
再処理をやめる場合、続ける場合、それぞれに想定される問題点を、なるべく分かりやすくまとめてみる。あえてここから書くけれど、再処理とは、使用済み核燃料からプルトニウムとウランを取り出し、再び燃料に加工すること。その燃料は原発で使われる。核燃料をすべて再利用する「核燃料サイクル事業」の要で、国策として進められてきた。
1つ目の選択肢。「再処理を続ける」というのは明快だ。原発から使用済み核燃料が出ることが前提なので、通常は原発の運転を続けることを意味する。ただ、重大な懸念がある。青森県六ヶ所村の再処理工場が計画通りに稼働できるかどうか、まだはっきりしないのだ。
再処理工場は1993年から建設が進められ、これまでに2兆円以上が投資された。97年に稼働するはずが、トラブル続きでいまだ試運転にとどまっている。完成予定は実に19回も延期され、今は来年10月。事業主体の日本原燃(電力各社が出資)は「今回は順調」と言っているようだが、信用できるかどうか分からない。
計画通りに再処理工場が稼働できなかったら、どうするのか。いったいいつまで、どれだけの費用を投じ続けるのか。そして、それまでの間、使用済み核燃料を増やし続けていいのか。再処理の継続を主張するなら、そこまで踏み込んで説明すべきだ。
2つ目の選択肢。「再処理は続けるけれど、原発はやめる」というのも、あり得る話ではある。すでに六ヶ所村や各原発に貯蔵されている使用済み核燃料がたくさんあるから、工場が稼働するのを待って当面それらを処理する必要があるという理屈になろうか。
しかし、その場合には、取り出したプルトニウムをどうするか、という問題が生じる。言うまでもなく、プルトニウムは核兵器の原料になる。原発という「原子力の平和的利用」を理由に抽出が認められているわけで、原発をやめた日本が余分なプルトニウムを持つことになれば、核不拡散の観点からアメリカをはじめ国際社会が黙っていない。これまではMOX燃料に加工して青森県・大間原発(建設中)などで使う予定だったから、「じゃあ代わりにどうするか」を打ち出さなければならない。
3つ目の選択肢が「再処理をやめる」だ。原発をやめると同義に捉えられているが、原発をやめないで再処理だけやめる、というのも理論的には成り立つ。どちらにせよ、再処理をやめるのならば、大きな2つの課題について解決策が不可欠になる。
1つは、六ヶ所村をはじめとする青森県との関係だ。
以前にも当コラムで取り上げたが、六ヶ所村議会は今年9月、再処理を中止する場合、村内に保管されている使用済み核燃料(約2900トン)を排出元の各原発に持ち帰るよう求める意見書を採択した。98年に日本原燃と結んだ覚書が根拠になっている。同じ下北半島のむつ市では、再処理まで使用済み燃料を保管する中間貯蔵施設の建設が進んでいるが、再処理をやめるのなら搬入を認めない意向を地元は明らかにしている。
政府が9月に決めた新エネルギー戦略は、地元と日本原燃の約束(覚書)を「尊重する必要がある」としている。再処理をやめるのなら、使用済み燃料を青森県内に持ち込んで保管してもらうことができなくなるのだ。
かと言って各地の原発には、すでにプールで貯蔵している使用済み燃料があるから、六ヶ所村から送り返されれば少なからぬ混乱が生じる。原発によっては、貯蔵容量を超えてしまう可能性がある。原発が止まったとしても、大量の使用済み核燃料との共生を強いられる各原発の地元に、大きな不安を招くだろう。
青森県の自治体や住民に頼み込んで使用済み核燃料を引き続き預かってもらうのか、各地の原発に送り返すのか、それとも全く別の場所に保管するのか。それぞれ、地元をどうやって説得するのかと併せ、再処理をやめる場合に逃げることのできない論点になる。
で、仮にこれがクリアできたとしても、使用済み核燃料をどう処理するか、という根本的な問題が残る。これがもう1つの課題だ。新エネルギー戦略は「青森県を(放射性廃棄物の)最終処分地にしないとの約束は厳守する」と強調しており、最終処分地を探さなければならない。
従来、使用済み核燃料の再処理後に出た高レベル放射性廃棄物は、地下300メートルより深いところに10万年単位で埋設することになっている(地層処分)。しかし、ご存じの通り3・11の前から、どこに埋めるのか、最終処分地のメドは全く立っていない。
新エネルギー戦略には、使用済み核燃料を再処理せずにそのまま地中に埋める「直接処分」の研究開始が盛り込まれた。ただ、直接処分の場合の廃棄物の体積は、再処理の場合の約3倍に増えるとされる(読売新聞・9月24日付朝刊)。毒性が高いプルトニウムが入ったまま埋めることにもなり、ますます最終処分場を受け入れるところはなくなるだろう。
日本学術会議は9月、高レベル放射性廃棄物を最終処分する政策を転換し、「暫定保管」とするよう政府の原子力委員会に提言した。数十年~数百年間、地表か浅い地中に回収可能な形で暫定的に管理し、この間の技術の進歩を待つ、という考えである。再処理をやめれば、使用済み核燃料も対象になりそうだ。
それにしたって、数十年~数百年単位で保管する場所は決めなければならない。六ヶ所村や各原発にしてみれば、すでに使用済み燃料を置かれているところが、そのまま暫定保管地にされ、なし崩し的に最終処分地にされてしまうのでは、という疑念を強く持つことだろう。
再処理をやめるとして、使用済み核燃料をどういう形で処理するのか。直接処分にせよ、暫定保管にせよ、どうやって場所を確保するのか。この問題への解決策なくして、再処理をどうするか、ひいてはどうやって脱原発するかを、語ることはできないのだと思う。3・11の前から先送りされ続けてきた重要な課題だけに、今さら頬かむりをすることは許されない。各党は、はっきりと方針を打ち出すべきだ。
「再処理」の行方は、原発をめぐる大きな課題とつながっている。各党・各候補には、それをしっかり認識してほしい。そして再処理をやめるのなら、そこから先のこととセットで整合性ある道筋を示してほしい。そうでなければ、いくらカッコいい脱原発政策を並べていても絵に描いた餅にしか見えず、信用しかねる。難しいテーマだからこそ、真価が問われるのである。私たちも原発の停止がゴールではないことを肝に銘じて、各党・各候補の主張を調べ、判断の材料にしたい。
ちなみに、朝日新聞(12月8日付朝刊・3面)が、核燃料サイクル計画に対する各党の姿勢を紹介していた。未来、共産、みんな、社民が「撤退」、民主、公明が「見直し」、自民、維新は言及していないそうだ。
ただし、ここまで述べてきたように、これはあくまで入口にすぎない。記事によると、「各党とも、具体的な工程表が描けているわけではない」という。さらに深くて詳しい主張や議論を、強く求めたい。
国策として押し進められてきたものの、
いまだ動き出す気配さえ見えない「核燃料サイクル」。
その陰で振り回され、生活を揺らがされてきたのは、
ほかならぬ地元・青森県の人々でした。
それをここからまだ、続けるのか。
そして、既に山積みとなっている使用済み燃料をどうするのか。
「原発」「エネルギー」を語るときに、決して避けては通れない問題です。