報道の現場にいると特に感じるのかもしれないが、写真の影響力っていうのはとても大きい。私たちが書くような下手な文章が束になっても、事実を伝える迫力は到底かなわない。一瞬を切り取る撮り手の判断力、瞬発力に加え、報道や芸術のセンスが凝縮されているから、説得力は強い。動画が普及しても決してすたれることがない所以だろう。
それだけ大きな力を持つ媒体だけに、撮影や作品の発表にあたって、文章と同じかそれ以上に、表現の自由が保障されなければならないのは自明の理である。
当たり前のことだが、写真に不可欠なのがカメラだ。撮影者に寄り添うカメラ会社は、表現の自由について造詣が深いものだと思っていた。カメラマンが自由に撮影し、写真を自由に発表できなければ、商売あがったりなのだから。
ところが、決してそうではないことを示す「事件」が今年5月に起きた。記憶されている方も多いと思うが、ニコンサロンでの「元従軍慰安婦写真展」の中止問題である。当事者の写真家と担当弁護士の講演を聞く機会があったので、改めて振り返ってみたい。
韓国人写真家で名古屋市在住の安世鴻(アンセホン)さんは、1996年に旧日本軍の従軍慰安婦だった女性と知り合い、写真に撮り始めた。朝鮮半島から中国に連れていかれ、帰れないままになっている元慰安婦の存在を知ったのは2001年。北京、上海など各地に散らばっている30人を探し当て、うち12人と会って、当時のことやその後の暮らしを聞き、カメラに収めた。
終戦時、地方にいて帰り方が分からず、中国語もしゃべれないままに取り残されたという。第2夫人のような形で家庭に入るなど苦難は多く、朝鮮語を忘れている人もいた。しかし、日本、中国、韓国政府の支援はない。「数十年前のことなのに、苦痛から抜け出せていない」と感じた。高齢のハルモニたち(現在までに12人のうち8人が死去)には過去を話す相手がおらず、方法も分からないと知り、「写真を通して広く伝えたい」と考えたそうだ。
昨年12月、ニコンサロンを運営するニコンに使用申込書を送った。写真展の内容として「中国に残された日本軍『慰安婦』の女性たち」と記し、写真40枚を添えた。翌月、5人の写真家によるニコンサロン選考委員会は、作品を評価して東京・新宿のサロンでの写真展開催を認め、安さんに承諾書が届く。今年6月26日~7月9日の開催に向け、展示写真のキャプション原稿やホームページに載せる文章の提出、案内はがき作成と、実務的なやり取りは順調に進み、ニコンは大阪のサロンでの写真展開催も決めた。
かつてニコンサロンで個展を開いた写真家から直接聞いたことがあるが、ニコンサロンは写真家にとっての登竜門で、そこで作品展が開けるのはとても名誉なことだそうだ。安さんが「開催が決まって嬉しかった」と言うのも、率直な気持ちだったのだろう。
雲行きが変わったのは、5月19日付の朝日新聞朝刊(名古屋版)に安さんの活動を紹介する記事が載ってから。記事の末尾に、新宿・ニコンサロンでの写真展開催が紹介されていた。3日後の22日、ニコンは突然、写真展の中止を決め、安さんに伝えてくる。抗議しても、理由をはっきり述べなかったという。その後、「諸般の理由を総合的に考慮した結果」と繰り返した。
新聞各紙によると、5月19日以降、インターネット上には写真展に対して「歴史の捏造に加担する売国行為」といった書き込みが相次ぎ、「ニコンへの抗議電話」や「ニコン製品の不買運動」が呼びかけられたという。実際、ニコンには多くの抗議電話・メールが寄せられたらしい。
安さんは東京地裁に、ニコンサロンの使用を求めて仮処分を申し立てる。申立書は、ニコンが写真展の中止を通告してきた理由を「抗議活動にあることは明らか」と指摘。安さんに義務違反や背信行為がないこと、最近の判例が抗議活動を理由にした安易な解約を認めていないことを挙げたうえで、抗議はネットへの投稿や電話に限られているので「事前に警備対策を講じることで、平穏に写真展を開催することは十分に可能」と主張した。至極まっとうな論理だと思う。
これに対して、ニコンは予想外の答弁書を出してきた。中止の理由として、抗議には触れないまま、安さんが代表を務めるプロジェクトの活動を挙げて「写真展が『政治活動の一環』であることが判明したため」と説明し、「写真文化の向上」というニコンサロンの目的に反するとの論理を展開したのだ。事前に安さんが提出した写真や内容説明を見て開催を決めているのに、責任転嫁としか言いようがない気がする。
安さん側が「写真展は写真家としての芸術表現活動」と強調するとともに、「政治性」という概念自体が曖昧だし、写真文化は政治性を含めた多様なジャンルの中で発展してきたのだから、「テーマが一定の政治性を帯びることは、写真文化の向上という目的と矛盾しない」と反論したのは当然だろう。
で、6月22日に出された東京地裁の決定は、安さんの申し立て通り、当初予定されていた期間、写真展開催のためにニコンサロンを使用させるよう命じた。「写真展が政治性を有し、あるいは政治活動としての意味をも有するものであるとしても、写真文化の向上という目的と併存し得る」「写真文化は扱うテーマによっては一定の政治性を帯びつつも、写真技術として、あるいは芸術表現として独立の価値を認められながら発展してきた」と述べていることは注目に値する。憲法上の権利には触れていないが、常識的な良い決定文だと思う。
ニコンは地裁に異議を申し立てたものの、決定には従う意向を示し、写真展は予定通りに開催された。しかし、会場の使用を認める以上のことはしないとして、サロンのあるビル内に案内看板を一切出さず、会場内では図録やパンフレットの販売・配布だけでなく、取材までも認めなかった。来場者が写真の下に花束を置いたら、すぐに撤去を求めてきた。「管理権」にもとづく対応だそうだ。
私もこの写真展を見に出かけたが、会場の入口には警備員が立っていて、金属探知機をくぐり、荷物の検査をされた。平日の昼間だったが、場内は盛況。なのに、なんだか異様な雰囲気で、落ち着かなかった。これもニコンの「作戦」だったのだろうか。
作品展のタイトルは「重重―中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」。ハルモニに刻まれた幾重もの深いしわ、重なり合った心の傷、さらに、自分たちの小さな声を重ねて大きな力にしたいという気持ちを込めた。展示した37枚の写真は、12人の元慰安婦たちの素顔や生活の様子をとらえたもの。安さんの意向で詳しいキャプションは掲示しておらず、開催反対の人が来場して「これじゃあ説明がなくてよく分からない」といちゃもんを付ける場面もあったらしい。
写真そのものは静かな内容で、そこから最初に見えてくるのは被写体の女性たちの生き様への思いである。少なくとも会場には、従軍慰安婦について日本の謝罪といった方向に誘導するような要素は見当たらなかったし、多くの人にとっては、いきなり「政治性」云々と言われてもピンと来るものはなかったのではないか。
結局、ニコンの異議や抗告は裁判所に退けられ、写真展は予定通り7月9日まで開催された。マスコミが報道したこともあり、2週間で7900人が訪れたそうだ。初日にはビルの周辺で抗議活動があり、前述したとおり開催に反対する人も来場したが、大きなトラブルはなかったという。
ただ、安さんが最終日に、中止通告や会期中の運営について謝罪を求めたのに対して、ニコンは応えていない。大阪のニコンサロンでの写真展については仮処分を申請しなかったので、中止になった。代理人の李春煕弁護士は「新宿で開催できたから良かった、では済まない問題」と話していた。
たしかに、中止通告がおかしかったのであって、新宿のニコンサロンでの写真展が開催できたのは当たり前のことなのだ。なぜこうなったのか、本質を探らなければ、同じことが繰り返されるに違いない。
異論を受けるかもしれないが、写真展の開催に反対するのも一つの表現行為であることは認めなければならない、と私は思う。行き過ぎた言論への規制は、脅迫や名誉毀損、威力業務妨害といった犯罪にあたるものに限るべきだ。
むしろ、今回の問題から考えなければいけないのは、なぜニコンが毅然とした態度で抗議に相対することなく、それを受け入れる形であっさりと写真展の中止を決めたのか、ということである。もし、抗議をしてくる人たちの存在以上に、開催を求める社会の後押しを確認できていたなら、ニコンは抗議にかかわりなく予定通り写真展を開いていたのではないだろうか。
テーマが「従軍慰安婦」なのかどうかは問わない。どんな写真展であっても同じである。まずは、表現の自由を守る方向とは逆に進んでいく社会と、それを作っている一人一人の無関心や非力さに原因があるのだと思う。その意味で、表現の自由とどう向き合っていくのか、私たち自身に突きつけられた課題だと受けとめたい。
今回の問題に対して、写真家の動きは鈍いそうだ。ニコンを恐れてのことらしい。表現の自由に守られている立場なのだから、「当事者」として、これからでもぜひ声を上げてほしい。何もしないのは、今の状況を認めること。自分の首を絞めることにつながるだろう。
安さんはニコンに対して、損害賠償を求める訴訟を年内にも起こす準備を進めている。李弁護士は「中止通告に至った本当の理由は何だったのか、わずかの期間に何があったのか、真相を明らかにしたい。写真展が開催されても協力せず、大阪開催を中止したニコンの違法性も問いたい」と話していた。ぜひとも真相が解明されるよう望みたい。そこから、私たちが表現の自由を守るために取り組むべき課題がさらにクリアになるだろう。
「ニコンが写真家の展示の場を奪うのは表現の自由に対する抑圧であり、
写真家を萎縮させるもの」。
大阪での写真展中止決定に際し、安さんは記者会見でそう訴えていました。
写真家たちの活動をサポートすべき立場にあるはずのニコンが下した決定には、
やはり大きな違和感を覚えます。