「警察官や検察官や裁判官は、責任を取らないで済むのか。結果を問われない公務員で良いのか。それを訴えたい。だから冤罪はつくられるのだ、と」
11月12日、国家賠償請求訴訟を東京地方裁判所に起こした桜井昌司さん(65)は、記者会見で提訴の狙いを力説した。
桜井さんは、1967(昭和42)年に茨城県利根町で起きた「布川事件」の犯人にされ、いったんは最高裁で無期懲役が確定した。仮釈放になるまで29年間もの身柄拘束を強いられ、昨年5月に再審で無罪を勝ち取った2人のうちの1人である。雪冤まで、事件発生から実に43年余を要した。
事件に確たる物証はなく、桜井さんらは裁判で犯行を否認したものの、捜査段階での「嘘の自白」を有罪の決め手にされた。再審の水戸地裁土浦支部判決は、供述の変遷や客観的事実に照らして不自然な点があることを指摘したうえで、「自白調書が捜査官らの誘導等により作成されたものである可能性を否定できない」と判断して信用性を認めず、無罪を導いた。
これを受けて、桜井さんが今回賠償を求めた相手は、国(検察)と茨城県(県警)である。請求額は1億9044万415円。「濡れ衣を着せられたのは、捜査・起訴の段階や裁判で、警察官や検察官による違法行為があったため。だから、それによって生じた不当な長期間の身体拘束をはじめとする甚大な損害に対する賠償をさせよう」という裁判だ。国・公共団体の賠償責任を定めた憲法17条に基づいている。
どんな行為を違法と訴えているのだろうか。訴状の内容をもとに、事件の経緯をたどる形で桜井さんの主張を紹介する。
まず、捜査段階。
62歳の男性が殺害されて現金11万円が奪われた布川事件の発生は、67年8月28日だった。桜井さんは10月10日に、知人のズボン1本とベルト1本を盗んだ疑いで逮捕され、3日後から布川事件の調べが始まった。別件逮捕である。
警察の取り調べは、まず留置場の中の看守の仮眠室(3畳)で行われた。「お前らを事件現場前で見た人がいる」「お前の母ちゃんも、早く素直になって話せと言っている」と騙され、「否認していれば死刑だってある」「(自白しても)新聞には発表しない」と脅迫的・利益誘導的な言葉を投げられた。そのうえで嘘発見器にかけられて「すべて嘘と出た。もうダメだから本当のことを話してみろ」と偽られ、自暴自棄になって同15日に「嘘の自白」をしてしまった。8日後、布川事件の強盗殺人容疑で逮捕された。
その後、桜井さんは検察官に犯行を否認。供述が現場の客観的状況に一致しないといった矛盾や食い違いがあったことから、検察は11月13日、強盗殺人容疑について処分保留で釈放した。振り返れば、賢明な判断だった。
一方で、別の窃盗容疑で身柄を拘束され続けた桜井さんは、拘置所から警察署(代用監獄)に移送されて再び警察の取り調べを受けた。「否認しても無駄だ」「否認すれば死刑だ」。こう迫られて、再び自白をしてしまう。代わった検察官からも「早く改心しろ、証拠もある」などと言われ屈服した。
取調官は同時に、目撃証言が矛盾しないように、目撃者に内容を変更させたり曖昧にさせたりした。桜井さんらのアリバイを支える証言に対しては、否定する方向で関係者の調べを進めた。桜井さんが強盗殺人罪で起訴されたのは、12月28日だった。
訴状では、別件逮捕したことをはじめ、起訴まで76日間もの長期にわたり、しかも偽計や脅迫によって自白させた取り調べは違法だったと強調。警察官は殺害方法や偽装工作などの供述が客観的な事実に反することを分かっていながら、検察官も処分保留にした段階で証拠の脆弱性を認識していたのに、強要や誘導で供述を変遷させたのは「証拠の捏造」にあたり、違法な職務行為だったと断じている。目撃者やアリバイ証人への暗示・誘導についても、同様の主張をしている。
次に、起訴段階。
事件現場の被害者の周囲で採取された8本の毛髪は、うち3本は被害者のもの、残る5本は被害者のものでも桜井さんらのものでもないという鑑定書が出ていた。第三者の犯行だった可能性が十分に考えられたのだ。さらに、被害者方から桜井さんらの指紋は検出されていなかった。「桜井さんらの犯人性と結びつく客観的証拠は一切ない一方、無罪であることをうかがわせる証拠は多数存在していた」
殺害行為、金品の奪取・分配、犯行現場での工作行為、逃走状況など、自白のすべての要素で変遷があり、犯人とされた桜井さんら2人の不一致も多い。しかも、犯行そのものや犯行に直結する重要な部分に、多岐にわたって客観的な事実と整合しない点が見られる。それゆえ、桜井さんらの自白には信用性がないことを、検察官は少なくとも容易に認識することができた。
にもかかわらず、代わった検察官は相互の矛盾がないように自白や目撃証言を操作した。そして、桜井さんらを起訴した。こうした職務行為は違法だと訴えている。
最後に公判段階。
検察官は、前述の毛髪鑑定書や目撃者の供述調書など、桜井さんに有利となり、裁判所の判断に大きな影響を与える証拠を持っていながら、あえて提出しなかった。
また、自白の任意性・信用性、目撃証言の信用性にかかわる証拠に対して、弁護団は再三、開示するよう求めたが、検察はほとんど応じなかっただけでなく、裁判所の開示命令を避けるために原型と異なる証拠を示したり、虚偽の回答をしたりした。さらに、のちに多数の編集痕があることが分かった自白録音テープについて、警察官は公判で存在を否定する偽証までした。
こうした検察官の証拠隠しや警察官の偽証といった違法行為によって、裁判所に誤った判断をさせたと結論づけた。もし再審請求審の段階で開示された証拠が、もとの裁判の時に提出されていれば、桜井さんらが有罪判決を受けることは万が一にもなかったと、訴状はつづっている。
国賠訴訟の弁護団によると、布川事件は「冤罪原因のデパート」と呼ばれるほど、冤罪を生む要素を多く含んでいたそうだ。なるほど、こうした経過を見ただけで納得させられてしまう。そして、それは決して他人事ではない。時代は変われど、誰にとっても、自分が絶対に同じ境遇に置かれないという保証などないのだ。
会見で桜井さんは「今も検察は『私たち2人が犯人。たまたま有罪を立証できなかった』と公然と言っている」と、半ば怒り、半ばあきれながら語っていた。無罪判決が確定したにもかかわらず、「警察や検察は謝罪や反省はおろか、無罪判決をいまだに受け入れず、自ら誤りの原因を検証しようともしていない」という。違法行為があったかどうかを措くとしたって、無実の人間を間違って犯人にしてしまったのだから、まずは謝って反省するのが常識だろうに。
何が正義なのか、と考えてしまう。桜井さんは「まじめに治安を守ろうとしている検察官・警察官の正義感が通じる組織になってほしい」と訴訟の意義を説き、「検察が反省や改革を言いながら何もせずに社会を欺いていることを、今回の訴訟を通して社会の皆さんに訴え、判断してほしい」と呼びかけた。
もっとも、国家賠償請求訴訟で勝訴するのは、再審を実現するのと同じくらい難しいらしい。最近では、郵便不正事件で冤罪被害を受けた厚生労働省の村木厚子さんが起こした国賠訴訟で、国が判決前に3770万円の賠償を呑んだが、再審で死刑から無罪になった松山事件(1955年発生)でも国家賠償は認められていない(2001年に確定)。
捜査や起訴段階での行為が「その当時の判断として合理的だったならば適法」とされるからである。国家賠償法は違法行為に「故意または過失」があったことを賠償の要件としており、それらの立証は訴訟を起こした側がしなければならない。今も事件にかかわるすべての証拠を握っている権力側の方が、そもそも有利な立場なのだ。
これに対して、谷萩陽一弁護団長は「再審で無罪の根拠となったのは、大部分が当時から存在していた証拠。つまり、起訴時点の事実を見ても、検察官が合理的な判断をしていれば起訴すべきではなく、『(起訴が)当時としては正しかった』とは言えない」と反論していた。
もう一つ。谷萩弁護団長は、今回の国賠訴訟で裁判所に求められる役割として、桜井さんへの十分な償い、冤罪の原因・責任の明確化と並んで、「冤罪を生まない刑事司法の改革に結びつく判断」を求めていた。
国賠訴訟の被告にこそなってはいないが、裁判所にも冤罪の原因があると考えるのが庶民感覚に違いない。検察の言い分を鵜呑みにする形で有罪判決を出してしまった事実は消しようがなく、司法への不信を高めているのは確かだ。弁護団が言うように、裁判所がこの訴訟の審理や判決を通じて、自らを含む刑事司法の歪みや病理をつまびらかにして断罪するよう期待したい。それが、冤罪を見逃してしまった裁判所の責任の取り方でもあるだろう。
布川事件の詳細については、以前にも本コラムで取り上げています。
無罪判決を経ても、失われた時間は決して戻ってはきませんが、
だからこそ同じことがまた繰り返されないよう、
「なぜ起こってしまったのか」の検証と責任追及が重要なのではないでしょうか。