B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吠えてみました」

 本州最北の青森県・下北半島。その最北端の大間町で、大間原子力発電所の建設工事が再開された。2030年代の原発稼働ゼロを目指すとする政府の「新エネルギー戦略」が決まってから、わずかに半月。驚くばかりの急展開だった。
 大間原発の工事は3・11の影響を受けて、進捗率37.6%の中途半端な状態でストップしていた。中断前は原発の工事関連で1700人が働いており、人口6000人余の大間町には早期の再開を望む声が強い。さらに、大間原発は使用済み核燃料の再処理でつくるMOX燃料だけで運転する世界初の原発であり、核燃料サイクル政策の維持に不可欠とも位置づけられている。
 9月の当コラム「大間原発の建設を再開することの意味を考えてみる」に書いたが、アメリカと青森に挟まれた政府の思惑、雇用や経済効果に期待する地元首長らの要望、それに建設中断を長引かせたくない事業者の電源開発の事情が相俟っての決定だった。
 原子力規制委員会が発足したばかりで、来年7月までに原発の新しい安全基準を策定するのだから、それまで待って判断しても良かったのではないか、という意見には賛同する。なのに、どうしてこういう結果になったのか。遠く離れた都会に暮らす私たちも、批判するだけではなく多面的に考えなければいけないと思う。
 一つの側面。
 原発の地元、とくに大間原発の地元は原発推進・容認派ばかりであるかのようにマスコミでは報じられているが、必ずしも正しくはない。ご存じの方も多いだろうが、大間原発の炉心予定地から約250メートルのところにログハウスが建っている。原発建設に反対して、この約1ヘクタールの畑を売ることを拒み続けた故・熊谷あさ子さんにちなんだ「あさこはうす」。遺志を継いだ娘の小笠原厚子さんが、対岸の北海道と行き来して暮らしている。
 大間原発で再開された工事の様子がマスコミに公開された10月10日、小笠原さんが上京し、経済産業副大臣に工事の中止を申し入れた。その後の報告集会を覗いてきた。
 「設置許可が下りているから工事を進めると言うけれど、原子力規制委員会が出来ているのだから、以前の許可で通すこと自体がおかしい」と小笠原さんは強調した。副大臣の反応は「真剣に聞いてくれたかな、こんなものかな、と複雑だった」そうだ。
 小笠原さんによると、大間原発の用地買収は1990年ごろ始まり、10年後には157人の地権者のうち、母のあさ子さんを除く全員が応じていた。あさ子さんに「集中攻撃」がかけられ、ストーカー行為、無言電話、さらには村八分にも遭ったという。「買収資金」の7000万円を使い込んだ交渉役による狂言強盗事件まで起きた。
 当初の計画では、あさ子さんの土地から50メートルほどのところに炉心が予定されていたが、電源開発は2003年に炉心を200メートルずらして、この土地を原発の敷地から外した。ここに住もうと決めたのは、強制収用のうわさが出たため。ログハウスを建てる時も、いったんは承諾してくれた大工に断られ、結局、06年に自分たちの手で完成させた。原発は08年に着工される。
 そして、東日本大震災が起こった。小笠原さんは「3・11の前は地元にあきらめがあった。でも、3・11の後は原発反対が半分以上になっている」と感触を語った。とくに、漁師や子育て中の母親らに、そういう気持ちを感じるそうだ。「でも声を上げられない。生活も仕事もあるから」。親しくしているところを誰かに見られるわけにはいかないけれど、通りすがりに小笠原さんの耳もとで応援の声をかけてくれる町民が増えているという。
 大間原発の構想が浮上してから35年以上。これまで稼働していないのは、ひとえにあさ子さんの頑張りが影響しているのは確かだ。だから今、体を張って行動する小笠原さんや「あさこはうす」を応援して建設中止に追い込みたい、という脱原発派の気持ちは理解できる。
 ただ同時に、原発の地元にはどこでも、あさ子さんだけでなく建設反対を訴えてきた人たちがいたことに改めて思いを致したい。大間原発でも、強硬に反対していた漁協があった。にもかかわらず、多くの人たちが容認に転じて原発は着工された。その過程において、嫌がらせや村八分といった形まで取らせて、人々の生活や地域のコミュニティーを分断した原因はどこにあるのか。何が、誰がそうさせたのか。都会に住む私たちこそが、自分たちの問題として考えなければいけないのだろう。
 もう一つの側面。
 とはいえ、言うまでもなく、いま原発の地元で暮らしているのは小笠原さんのような人ばかりではない。当然、生活が原発と切り離せなくなっている住民も相当数、存在する。私たちは、どう向き合うべきなのだろう。小笠原さんの話を聞いた4日後、「『脱原発社会』をどうやってつくるのか」と題したシンポジウム(ピースボート主催)で、そのスタンスについて深く考えさせられる場面に出合った。
 テーマの一つだった原発の地元へのアプローチをめぐって、おそらくはほとんどが脱原発派と思しき会場から「原発は危険だから、とにかく一刻も早く停めなければならない。地元が求めているのは『雇用』であって『原発』ではないのだから、(対策には)政府の予算を投じればいい」という趣旨の発言が出た。
 これに対して、再稼働された大飯原発(福井県)に隣接する小浜市から来たという女性が「私たちは40年間、その危険の中にいました」と静かに語り始めたのだ。「みなさんは、なぜ3・11の後、急に危険だと言い出したのでしょうか。自分の身の危険を感じるようになっただけでしょう」と。雇用についても、「政府からお金が来ることには期待していません。雇用が必要だと言いつつ、ではなぜみなさんは原発の地元に企業を連れてきてくれないのでしょうか」と問いかけた。
 ものすごく説得力があった。どこまで自分を賭して訴えられるか、なのだろう。何も犠牲を払わない立場で「原発やめろ」と大きな声を出しても、少なくとも原発の地元の人たちには響かないことが、改めてよく分かった。
 シンポのパネリストの1人で、原発の地元でフィールドワークを続けている社会学者の開沼博さんも、地元の立場を代弁する形で「『たられば』はいい。あなたは何をやってくれるのか、が求められている」と指摘していた。「地元は努力してきた。その結果、危ないけれど、原発と一緒にやっていくしかないと思っている」「地元の人たちからすると、私たちが一番よく分かっていることを、なぜ(都会の人たちは今さら)話しているの、という感じ」とも解説した。私が取材したり見聞きしたりしてきた限りでも、その通りだと思う。
 単純化して書くので気を悪くされる向きもあるかもしれないが、脱原発派の人たちって「自分は正しい」という前提で話をしがちではないだろうか。たしかに3・11後、「原発は危険だ」と大方が認めるようになっているのは間違いない。だけど、「危険だからやめよう」に直結しないところが、この問題の難しいところなのだ。
 原発の地元との関係を見据える時も、なぜ「危険だからやめよう」とならないのか、を考えるところから始めなければならない。でなければ、原発の地元の人たちの多くは、「脱原発」を単なる都会人の考えの押し付けとしか受け取らないのではないか。危険な原発を地方に押し付けたのに続いて、今度は「脱原発」を押し付けることのないように留意しなければ、対等な関係は築けない気がする。
 開沼さんは「原発の地元には、国外と同じか、それ以上に分からない世界がある」と語っていた。3・11から1年半以上が経ち、ようやく原発の地元に目を向けようとする機運が広がってきたこと自体は好ましいと思う。難しくとも、いろいろな方向から少しずつでも近づく努力をしていきたい。

 最後にちょっと宣伝。マガジン9に連動した「下北半島プロジェクト」では、下北半島出身の役者・愚安亭遊佐さんのひとり芝居公演を来年1月に東京で催す。原発や核燃料サイクル施設が集中する下北半島。地元の人たちの目線で見た開発の歴史を、芝居という堅苦しくないツールを通して、まずはよく知ることから始めたい。

 

  

※コメントは承認制です。
第105回 原発の地元と」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「原発の地元」で暮らしてきた人たちが、
    どんな思いでそれを受け入れてきたのか。
    そして今、どんな思いでいるのか。
    それを100%理解するのは難しいけれど、
    だからこそ耳を傾けることをやめてはいけない、と思います。
    「下北半島プロジェクト」の芝居公演も、近日チケット発売開始。
    またプロジェクトのページでお知らせいたします。

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どん・わんたろう

どん・わんたろう:約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。 派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。 「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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