東京から離れた土地での出来事だけに、報道する側もピンとこないのかもしれないが、もうちょっと関心を持つべきではないだろうか。青森県・下北半島の六ケ所村議会が7日に全会一致で採択した「使用済み燃料の再処理路線の堅持を求める意見書」。東京のマスコミである程度きちんと扱ったのは、私が調べた限りNHKと日経だけだった。
今でも知らない人がけっこう多いが(何を隠そう3・11まで私もよく知らなかった)、六ケ所村には全国の原子力発電所から出た使用済み核燃料の再処理工場がある。使用済み核燃料をすべて再利用する「核燃料サイクル」政策の中核施設として、1993年から整備が続けられてきた。まだ稼働に至っていないのだが。
もし国内の原発がなくなれば、使用済み核燃料は出なくなる。再処理した燃料を使う原発もなくなるのだから、核燃料サイクル自体が成り立たなくなる。余った使用済み核燃料は地中に埋める「直接処分」に転換され、再処理工場は閉鎖されるだろう。まさに政府・民主党が「2030年代に原発稼働ゼロ」を打ち出そうとしている段階にあって、村の危機感と怒りが如実に表れた意見書なのである。
こんな内容だ。
再処理をやめる場合には、現在村内に貯蔵されている①使用済み核燃料(約2900トン)、②低レベル放射性廃棄物(ドラム缶・約25万本)、③イギリス・フランスに委託した再処理に伴って返還された高レベル放射性廃棄物のガラス固化体(同・約1400本)を、すべて村外に搬出するよう求めている。いずれについても、新たな持ち込みは認めない。
これらの廃棄物のうち4割は東京電力が所有するものなので、同社が事実上国有化されている以上は国が対処するよう要求。さらに「国策に協力してきた本村は、広大な土地と海域を失い、大事な産業をなくした」と主張し、「責任は国にあることから、その影響に値する損害賠償を支払うこと」を掲げている。
実際に使用済み核燃料が排出元の原発に返されれば、少なからぬ影響が出るに違いない。原発によっては自前の保管容量を超えてしまい、再稼働どころではなくなるところもありそうだ。脱原発派にとって結論としては良いのだろうけれど、全国で大きな混乱が起こることは想像に難くない。
村議会の意見書には、実はきちんとした根拠がある。1998年に、再処理工場を運営する日本原燃(電力各社が出資)と村、青森県が結んだ覚書がそれだ。「再処理事業の確実な実施が困難となった場合、使用済み燃料の施設外への搬出を含め、速やかに必要かつ適切な措置を講ずる」と明文化されている。決して、単なるイチャモンではないのだ。
同じ下北半島のむつ市では、六ケ所村で再処理するまでの間、使用済み核燃料を預かる「中間貯蔵施設」の建設が進んでいる。最長50年間という条件で、容量は5000トン。来年秋に事業を始める計画だ。しかし、ここへ来てむつ市や青森県は、核燃料サイクル政策が転換された場合には「使用済み核燃料の受け入れを断ることもあり得る」と強調している。
なぜ下北半島の自治体や青森県は、ここまで強硬な姿勢を示すのだろうか。
一つは、このままなし崩し的に「核のゴミ」の最終処分場にされてしまうのでは、という疑念だ。
ご存じの通り、原発がゼロになって直接処分に切り替えたとしても、使用済み核燃料をどこに埋めるのか、いまだに候補地すら決まっていない。そんな状態が続けば、国はなんだかんだと理屈をこねた挙げ句、核廃棄物をそのままにしておく=事実上の最終処分場に転用されることになりかねない。国との間に「青森県を最終処分場にしない」という約束があるとはいえ、強い態度に出ておかなければ既成事実を積み重ねられてしまう、と焦る気持ちは理解できる。
もう一つは、政府に対する不信感だ。
これまでずっと国策としての原子力政策に協力し、危ない部分を引き受けてきた。その政策が根本から引っくり返るかもしれない重大な局面にあっても、地元には何の相談や意見聴取もないそうだ。「一方的に再処理からの撤退が決められようとしている」と受けとめられている。
「(再処理という)国策が、立地村の意見を全く聞くこともなく、立地村の事情を全く無視して議論が進められていることに不信・不安が募る」。六ケ所村議会の意見書の文言が象徴的である。
六ケ所村にとって再処理工場は、村を二分する激しい対立の末、苦渋の決断で受け入れた重みがある。「国策」という大義名分があるからこそ成立した選択だった。20年以上の年月を重ねるうち、村民の多くがその存在を受け入れ、共存する形でのまちづくりが定着した。
3・11で核関連施設の危険は十分に認識した。でも、1万1千人の村民のうち約2000人が核燃料サイクル関連の仕事をしているとも言われる現状がある以上、再処理をやめた後の道筋や展望が全く示されないまま、おいそれと今の生活を放棄するわけにはいかないのだ。
もちろん、これまで再処理工場に2兆円以上が投資されたにもかかわらず、1997年の稼働開始の予定がいまだに試運転にとどまっている状況は、強く批判されなければならない。しかし、批判が向かうべき先は国や原子力ムラであって、決して地元住民であるべきではない。
「原発ゼロ」をめざし、使用済み核燃料の再処理をやめるのなら、そこから先のこともセットで考えていかなければならない。最終処分場をどこに確保するのかはもちろんだし、前回の当コラムで指摘したような立地自治体の地域振興に向けた法制度をつくることも必要不可欠だ。原発の停止がゴールではないことを、しっかり確認しておきたい。
地元住民の不信感は、政府だけでなく、電気の消費地たる都会にも向いているのだと思う。国策の背後にいて、地方に原発や関連施設を引き受けさせてきたのは、他ならぬ都会の住民だからだ。
原発や関連施設の地元にどんな歴史があり、人々がどういう暮らしをしていて、どんなことを思い、将来にどういう絵を描いているのか。まずは地元の様子に関心を持って、知ることが重要だろう。互いの考えや気持ちや立場を理解し、そこから原発なき後のビジョンに知恵を出し合い、政策に反映させるべく協力して取り組んでいけたらいいと思う。
マガジン9に連動した「下北半島プロジェクト」でも、そのための仕掛けを企画しているところだ。いろいろな角度からアプローチしていきたい。
もちろん、原発立地にも「脱原発」を訴える人はたくさんいるはず。
一方で、「原発ゼロ」に反対する声があがり続けること、
そして多くの選挙で「原発容認」派が勝っていること…。
単純に「脱原発」を叫ぶことだけでは解決しない、
さまざまな経緯や事情がそこにはあります。
著者も指摘しているように、まずは「知る」ことからはじめたい。
下北半島プロジェクトの記事も、あわせてお読みください。