本当に間が悪いとは思う。先週末の「マガ9学校」(マガジン9主催)に参加してくれたばかりの菅直人・前首相を、このタイミングで批判しにくいのは確かだ。しかし、菅氏が自らのブログで自賛している法案が今週中にも審議入りし、今国会で成立確実とあれば、やむを得ない。おかしいことはおかしいと書くことにする。
「マイナンバー」こと、共通番号制度を創設するための法案である。ちなみに「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律案」が正式名称。
住民登録している国民(永住外国人を含む)全員とすべての法人に、国が番号を付ける。国民には、その番号が記された顔写真入りのICカード(個人番号カード)が配布され、必要な時に関係先に示す仕組みだ。役所の側は個人番号を使って、各人に関するさまざまな分野のデータを結合(紐付け)し、一元管理する。法案は、年金、労働、福祉、医療、税金、防災などの93項目を利用範囲に挙げている。
菅氏は7月27日更新のブログで、こう述べている。
「共通番号制は公平性を確保するためにどうしても必要な制度であり、私の政権の時から本格的な制度設計を進めてきた」
共通番号制を導入すれば公平になる――。政府は繰り返し説明してきたし、少なからぬ国民もそれを信じている。果たして本当なのだろうか。ここ半年ほど、私が政府主催のシンポジウムや反対集会に小まめに通って認識した限りでは、菅氏の言う「公平性の確保」が何を意味するのか、具体的に示されているとは到底思えないのだ。
共通番号制が始まれば、サラリーマンをはじめ税金を源泉徴収される人たちは、あらかじめ勤務先の会社などに個人番号を教えておかなければならず、すべての所得を捕捉されたうえで、役所が持つ他の個人情報と結合される。会社員が休日にこっそりやっていたアルバイトの収入なんかは、間違いなく掌握・名寄せされるだろう。
一方で、預貯金(利子)や不動産は紐付けの対象外だし、株式などの金融資産も除外されている。将来的にこれらにも適用するのかどうか、見通しは明らかにされていない。高額所得者層に甘い権力側の立ち位置を考えれば、対象にしない可能性の方が高いだろう。これじゃあ、金持ちや資産家には痛くもかゆくもない。
確定申告の枠組み自体は、今と変わらないことにも注意が必要だ。自営業者と給与所得者の不公平の是正がうたわれているけれど、共通番号制が導入されたとしても、自営業者は確定申告の時に番号を記載するだけだ。個人事業主の小売業者を考えれば分かりやすいが、消費者の買い物がいちいち共通番号によって記録されるわけではないから、実際にどれだけの売り上げがあったかを役所が正確に捕捉するなんて出来っこない。
そうそう、政府主催のシンポでもらった資料の隅には「全ての取引や所得を把握し不正申告や不正受給を完全に無くすことは困難」と言い訳が記されていたし、役人さんたちが説く効果も「正確に申告しないといけないという牽制」のレベルだった。結局、収入を捕捉されやすい給与所得者だけが、これまで以上に丸裸にされるだけ、っていう構図になりかねない。
社会保障についてだって、共通番号制の必要性は甚だ心もとない。
消費増税の逆進性を緩和するために、低所得者に生活費の増加分を還付する「給付付き税額控除」の実施には、共通番号制が前提になると言われてきた。だけど、その中身はいまだに決まっていないどころか、消費増税の民主・自民・公明3党合意の段階で、食料品などの税率を低くする「軽減税率」が浮上し、取って代わられる可能性が出てきている。給付付き税額控除が導入されるのかどうかさえ、もはや保証の限りではないのだ。
共通番号制の目玉に並べられている「総合合算制度」は、もっと危うい。医療、介護、保育などの各世帯の自己負担の合計額に上限を設け、それを超える分は公費で賄うのが趣旨とされてきた。しかし逆に、保険料など納付した合計額の範囲は公費でみるけれど、あとは自己責任という「弱者切り捨て」の道具として使われないとも限らないのだ。今の政治の方向を見ていると、それが「給付と負担の公平化」の名の下に実行される懸念を払拭することができない。
制度設計を推し進めた政府の最高責任者を自認する菅氏が「公平性の確保」を強調するのであれば、抽象的な一般論を語るだけでは不十分である。共通番号制によって具体的にどう公平になるのか、国民に分かりやすく説明していただきたいと切に願う。
ここまで読んでお気づきかと思うが、要するに、共通番号制を何のために導入するのか、将来どういう制度にしていくのか、政府の設計図がきちんと描かれておらず、とても曖昧なのだ。「導入これあり」で法案だけが先走っている印象が否めない。
だから、導入経費がいくらになるかという重要な点についても、明確な説明はされていない。シンポで政府は「中央のシステムだけで500億円」とだけ触れていたが、全国の自治体にかかわるシステムになるので、初期投資だけで5000億円を超え、運用に毎年350億円を要するという試算も報道されている。
投じた公金の額に見合う行政の人員削減、業務効率化、利便性の向上といった効果が見込めるのなら、頭から反対するものではない。だけど、投資額も効果もはっきりしない制度に対して、賛否を判断しようがないのだ。「制度をつくってから何をするか考えましょう」では、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)の二の舞となり、ITゼネコンが潤うだけになりかねない。
加えて、個人情報の流出やプライバシーの侵害が懸念されることは、すでに多くの指摘がなされているところである。ここでは多くは触れないが、紐付けされるデータが多ければ多いほど、いったん情報が流出すれば取り返しがつかなくなるのは想像に難くない。
共通番号制に賛成する人たちは、諸外国に同様の制度があると主張する。しかし、例えばアメリカでは共通番号(社会保障番号)を悪用した他人への「なりすまし犯罪」が急増しており、税務関連の不正事案は2011年に26万2000件と、3年前の5倍以上になっている。韓国では大規模な個人情報流出が続発しているそうだ。
さて、2月に国会に提出されたままだった共通番号制の法案は、8月3日にも衆議院の内閣委員会で審議入りするという。民主・自民・公明が賛成しているから、このままでは微修正されただけで可決・成立するだろう。早ければ2014年6月に個人・法人へ番号の交付が始まり、15年1月から利用される。
肝心な部分でいまだに十分な説明がなされず、国民に周知されていないのに、拙速に制度の創設を決めてしまっていいのだろうか。昨年11月の政府の世論調査によると、8割以上が共通番号制の内容を知らなかった。半年以上が経っているとはいえ、この間、マスコミが詳しく報じることもなく話題に上ることもなかったから、国民への浸透度はさして上がっていないだろう。国会には慎重な審議を求めたい。
もう一つ、共通番号制を考えるうえで見過ごせない大事な視点がある。政府が制定を検討している「秘密保全法」と表裏一体の関係にあることだ。そう、治安の維持に影響するという理由がつけば政府自ら「特別秘密」に指定して国民から情報を遠ざけることができ、さらに秘密取得への処罰をちらつかせることで報道の自由を制約しかねない、危険な法律である(内容については拙稿「油断は禁物の秘密保全法」参照)。
田島泰彦・上智大教授(憲法・メディア法)は「いずれも『情報はお上のもの』との発想が起点になっている」と両者の共通点を分析する。市民の情報については徹底して収集するとともに管理・利用・統制を強化するのが共通番号制、一方で、国家の情報については広く秘密の枠をはめ、アクセスへの規制も強めて市民を近づけないのが秘密保全法、というわけだ。
私たちは原発事故の教訓から、情報をめぐる国と市民の関係が、時に生命にもかかわる重要なテーマであることを学んだ。情報は、いったい誰のものなのか。そして、誰がどういう形で管理していくべきなのか。共通番号制の是非を判断する際にも、しっかり意識しておきたい。
秘密保全法については、以前にも何度か当コラムで取り上げています。
第80回 ネットやフリー記者を標的にしそうな秘密保全法
第86回 油断は禁物の秘密保全法
文中でも指摘されているように、私たちの生活を大きく左右する「情報」。
その管理をどうするのか? もっと広く議論し、考える必要があります。