冤罪に巻き込まれるかどうかっていうのは、本当に紙一重の違いで左右される。当然、自らが望むわけではない。おそらくは、ごくありふれた日常の出来事が、境を分けるきっかけを作ってしまう。だが、巻き込まれたら最後、時間や生活やお金や、多くのものを失い、雪冤のために膨大なエネルギーを奪われることになる。
裏返せば、誰にだって無実の罪を着せられる可能性があるのだ。だからこそ、防止の対策とともに、冤罪を訴える被告の主張に真摯に耳を傾ける仕組みを整えなければならない。もちろん、罪を犯したことが客観的な証拠で裏づけられるべきなのは、すべてのケースに共通する当然の前提である。
東京・三鷹市立第五中学校の教師だった津山正義さんの場合、その日、財布を学校に置き忘れてさえいなければ、今も変わらず教員生活を送っていたに違いない。昨年暮れ、財布を取りに戻るバスの車内で痴漢をしたとして東京都迷惑防止条例違反容疑で現行犯逮捕され、起訴された。27歳、教師になって2年目だった。現在、起訴休職中である。
津山さんは「絶対にやっていない」と訴え続けている。弁護団が検証してみると、いくつもの重大な疑問点が浮き彫りになってきたという。7月20日に開かれた「支援のつどい」で主張を聞いた。
事件が起きたとされているのは、昨年12月22日の午後9時半ごろだ。吉祥寺駅から仙川駅に向かうバスの車内で、津山さんは面識のない高校2年の女子生徒から「痴漢をした」と問い詰められた。一緒にバスを降り、否定。納得した様子だったので歩き出したところ、女子高校生から被害の訴えを受けた後続のバスの運転手らに取り押さえられ、警察に引き渡された。
車内で津山さんは女子高校生の後ろ側に立っており、スカートの上から尻を触った、というのが逮捕容疑だった。5日後に新聞・テレビで、勤務先とともに実名報道される。現在、東京地裁立川支部で公判が続いている。
第1の疑問点は、逮捕当夜に警察が実施した津山さんの手の微物鑑定で、繊維が検出されなかったことだ。弁護団の請求を受けて検察が鑑定結果を開示し、判明した。
女子高校生は当時、制服のスカートを履いていた。そこで、弁護団は学校を割り出し、校長の了解を得たうえで、同じ制服を業者から入手した。「ウール100%」で、触れば繊維が付きやすい生地だった。
津山さんに30秒、1分…とさまざまな時間、入手したスカートに触ってもらい、警察の微物鑑定に合わせて2時間半後に手から繊維を採取できるかどうかを確かめる実験もした。その結果、ウールの繊維片が必ず手から検出されたという。スカートに触っていないから事件当夜の鑑定で繊維が出なかった、と考えるのが自然ではないか。弁護団は専門家に繊維鑑定を依頼しており、結果を裁判所に提出する方針だ。
疑問点の第2は、犯行があったとされる時間帯に、津山さんは左手でつり革を持ちながら右手で携帯メールを操作していたことだ。
携帯の通話記録から、受信したメールに返信を打っていた時刻は分かっており、バスの運行記録などと合わせると、それは女子高校生が「しつこく触られた」と訴えている時間帯と重なる。津山さんがメールを送り終えてから、女子高校生が津山さんを問い詰めようと振り返るまで、わずか3秒しかないそうだ。執拗な犯行が可能だったのだろうか。
しかも、この時、津山さんがメールを交わしていたのは、交際相手の女性である。財布を取りに戻った後で会う約束をしており、メールの中身はその確認だった。おそらくは朝まで一緒に過ごすことを前提に、「もうちょっとで会えるね」とやり取りしていた。「そういうメールを送った手で、どうして(高校生に)触れるのか」と津山さんは説明したが、動機の有無という点で見れば説得力がある。
さらに、女子高校生の供述は変遷しており、内容にも疑問があるという。これが3点目だ。
最初は「手のひらで触られた」と言っていたのが、「指2本の腹で触られた」になっていて、「ねっとりしていた」とも話しているそうだ。しかし、高校生はスカート、下着に加えてスパッツも着けており、スカートの上から触られて、そこまではっきり分かるのだろうか。弁護団は「尻の感覚の鈍さ」を立証するため、やはり専門家に鑑定を依頼し、結果を裁判所に提出する方針を示していた。
もう一つ。バスの車内には監視カメラがあり、前方から後方を写していた。しかし、警察はきちんと解析していないという。津山さんと女子高校生が立っていたのはバスの真ん中よりやや後方なので、鮮明には写っていないものの、体の動きや位置関係は把握できそうだ。弁護団は、専門家に依頼して画像を鮮明化する準備を進めている。
不幸中の幸いなのは、津山さんが警察・検察に対して犯行を「自白」していないことだ。起訴後も含めて計28日間、身柄を拘束されたにもかかわらず、一貫して犯行を否認した。
警察署で面会した友人らによると、一時は「相手の女子高校生を傷つけることになるのではないか」と否認を続けることに迷いも見せていたらしい。あくまで想像だが、捜査官からあの手この手で自白の誘惑をかけられていたのではないか。自白を取られていないことで、少なくとも裁判官の心証が最初から有罪になることは避けられそうだ。
ところで、なぜ津山さんは疑われたのだろう。バスの車内で、自分のお腹の側にリュックサックを掛けて女子高校生の後ろに立っていたため、このリュックが高校生にあたり、痴漢と勘違いされたのが真相だと、津山さんたちは指摘している。
津山さんは、車内で振り返った女子高校生と目が合った時に思わず「ごめん」と言ってしまっていたり、「痴漢冤罪はいったん捕まると大変」と知っていたので取り押さえられそうになった際に逃げようとしたりしていて、結果として疑われる材料になってしまった。しかし、いきなり嫌疑をかけられれば、やっていなくたって動転して思わぬ行動を取ってしまうことは誰にでもあるだろう。何より、これらの行動が「やったこと」を立証する直接的な証拠にはなり得ないことを、認識しておかなければなるまい。
弁護団の池末彰郎弁護士は「典型的な冤罪事件である」と強調していた。証拠は女子高校生の供述だけ。目撃者がいないばかりでなく、高校生本人さえ犯行の場面を見てはいないし、触っている手をつかまえたわけでもない。加えて、警察が微物鑑定や監視カメラといった客観的証拠を無視したり隠したりしていることも、理由に挙げていた。
「被害者の供述を客観的証拠と照合し、不自然、不合理な点や変遷がないか、その信用性を十分に検討する必要がある」との主張は、至極まっとうだと思う。
1審判決の時期は、年を越すかもしれないそうだ。無罪が言い渡されたとしても、津山さんは事件から1年以上、教壇から引き離され続けることになる。家族や友人ら周囲の温かさと、弁護団の熱意に支えられている様子が垣間見ることが出来た、体力も気力も充実した20代後半の時期だけに、無念さは計り知れないだろう。少しでも早く、誰もが納得できる判決が出るよう願いたい。
まさに誰もが「当事者」になりうる可能性のある「冤罪」。
最終的に罪には問われなかったとしても、
それまでに失われた時間や人間関係は元には戻りません。
被害者の証言はもちろん重要だけれど、
それだけに頼るのでない、さまざまな角度からの検証が必要です。