「便利」や「公平」という言葉に、私たちはとても弱い。権力側はそのことを熟知していて、新しい政策を国民に浸透させたい時には巧みに利用してくる。2月14日に国会に提出された「マイナンバー法案」(共通番号制度)は典型だろう。
正式名称を「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律案」と言う。共通番号を導入することで、社会保障や税制度の効率性・透明性を高め、国民にとって利便性の高い公平・公正な社会を実現するのだそうである。その通りだとすれば反対する理由はないけれど、とりわけ役所言葉に対する猜疑心が強い私には、どうにも素直に受け入れられない。で、政府の説明を聞こうと、番号制度創設推進本部なる機関の主催で開かれたシンポジウムをのぞいてみた。
共通番号制度が導入されると、私たちの生活にどんな影響が出るのだろう。
全くの基本からで恐縮だが、住民登録している国民や永住外国人に対し、国が1人につき1つの個人番号を付ける。子どもから大人まで全員に、顔写真入りのICカード(個人番号カード)が配布される。カードの裏面に番号が記されていて、必要な時に関係先に示す仕組みである。顔写真は5年に1回くらい替えるそうで、運転免許証のない人には身分証明証としても使える。企業にも、法人番号というのが付く。
役所の側は、この番号を使って、1人ひとりに関するさまざまな分野の情報を結合させる(「紐付け」と呼んでいた)。法案は利用範囲として、年金、労働、福祉、医療、税金、防災といった分野の93項目を挙げている。早ければ2014年6月以降に個人・法人への番号の交付が始まり、15年1月から利用される予定だ。
政府の説明だと、税金や年金、医療、介護、福祉などの納付や給付の情報は、今は別々の役所がそれぞれ管理しており、共通番号を介して結び付けることで、正確な所得把握ができるようになったり、給付と負担の公平化が図られたりするらしい。医療、介護、保育などの自己負担の合計額に世帯ごとの上限を設ける「総合合算制度」や、低所得者に消費増税による生活費の増加分を還付する「給付付き税額控除」の前提にもなるそうだ。年金手帳や健康保険証などが、このICカード1枚に集約される計画で、各種手続きも簡素化されるという。
ごくごく簡単にまとめてみましたが、実はけっこう複雑な制度のようなのだ。
第1の問題提起である。国民が番号を使うのは役所とのやり取りだけかと思っていたら、どうやら、そうではないらしい。恥ずかしながら初めて知ったのだが、たとえば勤務先の会社には、あらかじめ自分の番号を教えておかなければいけない。給料から天引きされる所得税や社会保険料を、会社が役所に納める時に必要だからだ。
このように「民―民」で番号を使わなければいけないのは、どんなケースで、どういう基準で決められるのだろうか。想像しているよりかなり広い範囲で、番号の提示が義務づけられてくるのかもしれない。そのへんを分かりやすく知らせてほしい。
同時に、提示の義務はなくても、生活のいろいろな局面で身元確認のためにICカードの提示を求められることが予想される。法律に規定された場合を除いて他人に番号の提供を求めることは禁止されるとはいえ、罰則はないそうだし、いちいち法律に基づいているかどうかなんて判断しにくいから、多くはカードを示してしまうことになるだろう。
そうすると、自分の番号が知れ渡る範囲がどんどん広がることになる。政府はシンポで「各情報の紐付けは、番号ではなく暗号で行うから、番号が知られてもプライバシーが侵される心配はない」とは言っていた。でも、さまざまな分野の情報が芋づる式につなげられるだけに、番号を糸口に情報が漏えいするのではないかという心配は募る。シンポでは「番号は個人情報であって、プライバシーではない」なんていう解説もされていたけれど、そうだとしてもセキュリティー面については、もっともっときちんと説明してほしい。
2点目。共通番号が導入されると、本当に公平な世の中になるのだろうか。たとえば、自営業者の納税である。小売業だったら、買い物客との取引がいちいち番号によって記録されるわけではないから、番号制度そのものが所得の正確な把握に直結するわけではない。確定申告する仕組みは変わらず、その際に個人や企業の番号を記載するだけなのに、なんで今より正確で公平になるのか、素人の私には理解できなかった。
実際、政府は「正確に申告しないといけないという牽制効果」をアピールするにとどまっていたし、資料の片隅にも「全ての取引や所得を把握し不正申告や不正受給を完全に無くすことは困難」と書いてある。
利子所得も、紐付けの対象外だそうだ。お金持ちが銀行にたくさん預けている預貯金がもたらす所得は、共通番号によって把握されない。金融取引にも適用されないし、不動産などの資産も除外されているそうだ。資産家であっても給与など紐付けされる所得がなければ社会保障の対象になりかねず、低所得層やサラリーマンばかりが厳しく管理されるだけではないか、という疑念が拭えない。
3点目。共通番号制度を導入するためにいくらかかるのか、はっきり示されていないのも問題だと思う。シンポでは「中央のシステムだけで500億円」とサラリと触れられるにとどまった。でも、報道(産経新聞・2011年10月16日付朝刊)によると、初期費用だけで5000億円以上と試算され、システムの運用に年間350億円が必要だそうだ。政府は、行政経費の削減効果で数字上は3年で元を取れるとみているらしいが、明細も不明なままでは納税者として費用対効果を判断できないし、当然、納得もできない。
4点目。共通番号が導入されたとして、今後の道筋が不透明なのも心配だ。民間の利用がうたわれているけれど、どんな情報を、どういう形で、いつから始めるのか。その場合、プライバシーの保護は十分なのだろうか。
それに、目玉として挙げられている「総合合算制度」や「給付付き税額控除」にしたって、実施するには別に法律が必要で、実際にいつからできるか分からないらしい。シンポのパネリストからは「『できます』と『やります』は違う」と批判が出ていた。
最後に、もう1点。3・11の後は共通番号制度のメリットとして「災害時の支援」という目的が強調されているが、そもそも着の身着のままで避難する時に、わざわざICカードを持って逃げられるのか。何より、避難した先に機械がなければ情報をすぐに取り出せないし、あったって電気が通っていなければ使えない。3・11では「お薬手帳が役に立った」という証言もあるそうだから、機械に頼る仕組みが万能とPRするのはどうかと思う。
というわけで、私がちょっとかじっただけでも、こんなに疑問が出てくる。いくら消費増税とリンクするからと言って、慌てて法案を可決してしまっていいものだろうか。
政府の世論調査(昨年11月)によると、共通番号制度が「必要だと思う」が57.4%だった。一方で、制度について「内容は知らないが、言葉は聞いたことがある」が41.8%、「知らない」が41.5%で、計83.3%が内容を知らなかった(毎日新聞・1月29日付朝刊)。よくわからないままに、なんとなく必要だと思っている人が多いことを意味する。
もはや大政翼賛機関と堕した全国紙は、消費増税同様に「共通番号制度の導入賛成」のようだが、ならば制度のメリットもデメリットも併せて、丁寧に報じてほしい。朝日新聞に至っては社説(2月19日付)で「もっと関心を持とう」などと国民に責任転嫁しているが、目線が全く逆でしょ。
シンポに来賓で訪れた黒岩祐治・神奈川県知事は共通番号制度について、「効率化や平等・公平につながるのは間違いないが、不安や恐怖感も当然ある。どういうものか見極めて判断する必要がある」とあいさつしていた。至極まっとうな感覚だろう。法案を提出したとはいえ、政府は拙速を避け、十分な時間をかけて国民への説明を続けてほしいと切に願う。
黒岩知事は、皮肉交じりにこうも話していた。「国がやるから『安全』と思うか、『ちょっと待って』と思うか、ということだろう」。この日、最も印象に残った言葉であった。
「利便性の向上」との謳い文句に、
ついつい思い出すのが「住基ネット」。
住基ネットと共通番号制との関連性について、
法学者の浦部法穂さんが書いているコラムが、
法学館憲法研究所のサイトで読めます。
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