「アラブの春」という言葉には、遅れていた国々がようやく民主化を果たしたとか、この地域の特殊な事情ゆえとか、ちょっと見下したような響きがこもっている。それは、欧米の、あるいは日本のメディアによる上からの見方であり、革命の影響を恐れ、本質をぼかして封じ込めようとする発想から来ている。
そんな指摘を受けて、虚を衝かれるとともに自分の一面的な見方を反省させられた。先日、東京で栗田禎子・千葉大教授(中東・アフリカ現代史)の講演を聞いた時のことである。
チュニジアを皮切りに、今年、エジプト、リビア、イエメン、シリアなど中東諸国に広がった革命は、いったん火が着いた時の民衆パワーのすごさを見せつけた。エジプトでは800万人がデモに参加したとの報道まであり、宗派を超えてタハリール広場に集まった群衆の様子が熱気と興奮を象徴していた。長期独裁政権に虐げられ、不満と怒りを募らせた人々が民主化を求めて蜂起したのだと単純に信じた私は、その勢いにただ感心するばかりだった。
しかし、民衆が声を上げて行動した背景には、日本にも共通する社会・経済状況が横たわっていて、もっとグローバルな視点から見なければいけない。だから、中東の革命には現代世界が抱える課題の解決を目指そうとした、先進的で深い意味がある。栗田さんは、そう強調した。
恥ずかしながらこれまできちんと知る機会がなかったが、1990年代以降の中東では、アメリカ主導による「再植民地化」が進んでいたという。何より、経済の自由化を求める圧力である。アメリカは自国企業の活動をしやすくするため、各国に市場原理の導入を突きつけた。その結果、医療や教育といった分野でまで規制緩和が行われ、公務員も削減された。中間層が解体されて貧富の差が拡大し、失業者も増加していた。
アメリカが背後でちらつかせたのが、湾岸戦争に端を発し、今世紀に入ってからは「対テロ」という一見人道的な理由を掲げて続けてきた軍事介入だった。アメリカと戦争をしたくはないアラブの為政者たちは、経済面での要求を受け入れるとともに、テロ対策の名の下、国内の治安を厳しく管理した。国民の不満を警察国家化によって抑え込もうとし、同時に大統領の世襲といった強権的な政治手法も強化した。
「新自由主義」と「対テロ戦争」に貫かれた価値観が、庶民の閉塞感を募らせ、不満を増幅させていたわけである。たしかに、最近のどこかの国の状況と似ていますね。
注目すべきは、それが共和制であれ王制であれ、さらには「親米」「反米」を問わず、同時革命のように波及していったことだ。栗田さんは「体制の違いはあれ、結局、各国がアメリカ主導の2つの価値観に染まり、同じ矛盾構造を抱えていた」と説明していた。リビアのカダフィ政権であっても2000年代に入ってからは欧米への政策を協調路線にシフトしていたし、シリアが産出する原油の95%がEUに輸出されていたりするのは、その一例だろう。そして、人々の怒りや行動も、共通だった。
もちろん、革命が突然起きたわけではなく、萌芽はあった。たとえば、エジプトでは2003年にイラク戦争反対運動があり、「アメリカ帝国主義」に反対する5000人規模のデモが催されていた。さらに、5年ほど前から「親米」に洗脳されてはいない若者たちが、書店やカフェなどに集って語り合う姿が見られ始めていたという。そこにインターネットやフェイスブックが重なって、一気に浸透したようだ。
ただ、独裁体制が崩れた国にあっても、今後のゆくえは予断を許さない。軍部やイスラム勢力の台頭も予想されるが、これまでの基本構造を守りたいアメリカには「失業者や貧困のエネルギーよりは、まだ正体がわかっている政権の方がいい」との判断もあるという。早く選挙をさせることで、社会や経済の大きな変革を抑え込む思惑まで持っているらしい。真の民主化より自分たちの利益が優先、というわけなのか。
さて、中東の民衆革命の「日本的な意義」である。
「中東での民衆革命は、アメリカ・ウォール街のオキュパイデモに直結している」と、栗田さんは見立てていた。なるほど、新自由主義に起因する格差社会に異議を申し立てるという点で、中東の革命に通底するものがある。日本の現況にも共通する部分は大きいけれど、残念ながら抗議の輪が広がっているとは言いがたい。
栗田さんは、革命を「民衆参加による社会・経済のラディカルな変革」と定義する。とするならば、今の日本で真っ先に思い浮かぶ動きは、脱原発デモだろう。3.11による原発事故をきっかけに、今まで無関心だった人たちが行動を起こし、1回のデモに万単位の人たちが参加するようになった。直接のテーマは中東と関わらないかもしれないが、原発と共存してきた社会や経済の構造を自ら変えていこうとする主張が広がり始めたところに焦点を当てれば、つながって来そうである。
ちょうど、「デモから振り返る2011年」と題した先日の「マガ9学校」で、4月以降、5回の反原発デモを仕掛けた松本哉さんとイルコモンズさんが世界の、日本のデモの潮流について話していた。日本の脱原発運動が「革命」に至るかどうか、参考になりそうな言葉があった。
イルコモンズさんは「革命後の世界を先に作るやり方」を提唱していた。つまり、原発がなくなった後の社会や生活を先取りする、ということ。ちなみに、イルコモンズさんの1カ月の電気代は1200円だそうだ。
松本さんは「デモだけで世の中が変われば、かえって危ない」と苦笑いし、デモも、それ以外の営みも含めた「全部セットのプロセスで」と脱原発に向けた取り組みのスタンスを説いていた。
最大の敵を問われて、「原発を認めてきた自分」とイルコモンズさん。松本さんは「原発にしても、予定調和がいけない。(壊すために)大パニックが必要」と行動を呼びかけた。
脱原発の実現に向けて、デモはその第一歩になり得るだろう。平たく見ても、普通の若者たちが声を上げ始めたこと、ネットでの情報が媒介していることなど、中東に似た胎動もある。
それを前提にして、本気で原発をなくそうとするならば、さらなる一歩が必要だと思う。最も求められるのは、原発なき後の社会や経済が今とはガラリと変わると認識したうえで、自らの生き方や生活にもたらされる、痛みも伴ったドラスティックな変化を受け入れることだ。その際に自分は何を手放せるのか、腹を据えて向き合うことだ。厳しい言い方になるが、でないと、せっかくデモに参加していることまでが、予定調和で終わりかねない気がする。
中東諸国が直面しているように、革命にたどり着くまでにはもちろん、革命が実現したとしても完全な変革を成し遂げるまでには、弾圧や封じ込めといった多くの障害を乗り越えなければならない。さすがに今の日本に流血の心配はないにしても、それでもブレることなく脱原発を唱え続けられるか。さまざまな意味での「覚悟」を固められるかどうかが来年の大きな課題になるのだと、自分の問題として考えたい。
12月19日、東京・新橋で予定されていた野田首相の街頭演説が、
「金正日死去」を理由に急遽中止となり、
集まっていた人たちが一斉に抗議の声をあげる、という場面がありました。
(録画を< a href="http://www.ustream.tv/recorded/19243716" target="blank">こちらで見ることができます)、
新橋SL広場を埋め尽くす人の波を見て、思い出したのはまさに「タハリール」。
今週の< a href="http://www.magazine9.jp/karin/111221/">雨宮さんのコラムにもあるように、変化はすでに始まっている。
これを、本当の意味で私たちの「タハリール」にしていけるのかどうか。
どうやって「次の一歩」をつくっていけるのか。それがここから、問われています。