「住基ネット」と聞いても、何のことだったか忘れてしまった方が多いのではないか。ふだんの生活で、その便利さを実感できることなんて、滅多にないからだろう。
「住民基本台帳ネットワークシステム」の略である。国民一人ひとりに11桁の番号(住民票コード)を振ったうえで、氏名、生年月日、性別、住所といった住民票の情報を専用のネットワークで結び、国や全国の都道府県・市区町村が使えるようにした。
パスポート申請などの事務手続きに住民票の提出が不要になることや、全国どこの市区町村でも住民票の交付を受けられることが、メリットとして語られていた。逆に、個人情報が漏えいしたりプライバシーが侵害されたりする危険には、今でも不安が根強い。
東京都国立市といえば、福島県矢祭町とともに、住基ネットへの接続を拒否したままの自治体だ。そんな国立でいま、接続の是非を住民投票で問うよう求める市民運動が行われている。現地を訪ね、話を聞いてきた。
住基ネット接続をめぐる国立市の経緯を振り返っておこう。
2002年8月に住基ネットが稼働した際、実は国立市は参加していた。当時の上原公子市長が「市民の情報保護に責任を持てない」として離脱・切断したのは、約5か月後の同年暮れだった。後任の関口博・前市長もこの方針を踏襲してきた。
しかし、今年4月の市長選で、「住基ネットへの接続」を掲げた佐藤一夫氏が関口氏らを破って当選する。佐藤市長はさっそく「来年2月までに接続したい」と表明。6月市議会に3800万円の関連予算を提案し、可決された。市役所には担当課も置かれ、準備は着々と進んでいるようだ。
これに対して、接続に反対する市民が中心になって始めたのが、住民投票を求める運動である。今年7月に、運動の母体となる「みんなで決めよう『住基ネット』住民投票くにたちの会」を設立し、取り組んできた。
住民投票で決めるべきとする根拠の一つが、市長選での得票だ。佐藤市長は確かに「住基ネットへの接続」を公約していたが、有効得票の過半数は取れていない。「接続しない」の関口氏と、「市民アンケートの実施」を唱えたもう1人の候補の得票を合わせれば、52%になる。
それに、市長選での争点は住基ネットだけではなかった。大震災直後とあって災害対策が大きなテーマだったし、福祉や財政も問われた。多くのマスコミは「住基ネットが争点」と単純化して報道したが、有権者の判断材料は多岐にわたっていた。ならば「住基ネット接続に賛成か反対か」に絞って、住民投票で市民の意向を聞こうというわけだ。
「住民投票くにたちの会」は、住民投票条例の制定を直接請求することにして、10月30日に署名集めを始めた。11月29日までに有権者の2%にあたる約1200人の署名を集めれば、条例案は市議会で審議される。来年1月に市議会で可決され、3月に住民投票を実施するスケジュールを思い描く。市議会への影響力を強めるため、署名数の目標は5000人にした。
「市長や議員、行政任せではダメ。自分たちのプライバシーをどう守るかは、自分たちで決めたい」。会のメンバーのひとり、Sさんが狙いを説明してくれた。住民投票条例は市議が提案することもできるが、住民自治の力で実現させたいと、直接請求を選んだのだそうだ。
平日の夕方、国立駅前で街頭署名活動の様子を見た。子ども連れの女性、年配の女性、若い男性が、相次いで署名に応じていた。「市民の知らないところで勝手に決めないでほしい」と関心の高い人もいる。2時間で20人前後の署名が集まる。
とはいえ、住基ネットの現状を一から尋ねる人や、「もう、つないだと思っていた」「ずっと切断していくんじゃなかったの?」なんて思いこんでいる人も多いらしい。じっくり説明することが不可欠だが、運動の中核にいるのは10人ほどで、「全員が仕事などを抱えながら活動しているから思うように動けない」。署名集めを担う受任者も、200人の目標に対し70人ほどにとどまっている。5000人の署名獲得は厳しい状況のようだ。
「住基ネット接続派」の反撃も始まっている。住民投票反対を掲げて、街頭宣伝をしたりチラシを各戸に配布したりしている。
東京地裁が今年2月に「住基ネットからの離脱は違法」と指摘する判決を出したこと(5月に佐藤市長が控訴を取り下げ確定)を強調し、接続の必要性を訴える。住基ネットに接続していないと、年金の現況届を毎年提出しなければならないことや、パスポート申請に住民票が必要になることなどを取り上げ、「不便さ」をアピール。また、ずっと接続していれば、今回、予算計上した3800万円は不要だったと批判する。
「住民投票くにたちの会」は、住民基本台帳事務は自治事務であり法律の解釈については国と自治体が対等であることや、日本弁護士連合会が「離脱は合法」との見解を示していることを挙げて反論。9年近く接続していないおかげで、計1億~1億5000万円が節約できたと主張している。
どんな形であれ、住基ネットへの議論や関心が高まっていくのならば、住民投票を求める運動の意義は少なからずあると言える。せっかくだから、この際、住民投票を実施して国立市民の意思をはっきりさせてはどうか。
自分の個人情報が、どこに接続してどう利用されるかは、当人の意向が反映されて然るべき問題だ。市民自ら、改めて「住基ネット」にじっくり向き合い、メリットとデメリットを秤にかけ、ではどうするかを考える良い機会だと思う。まぎれもなく「自分たちの問題」なのだから、市民みんなで決める住民投票がふさわしい。
住民投票の結果、「住基ネットへの接続賛成」が多数を占めればそのまま接続を進めれば良いのだし、「接続反対」が多数を占めたなら法律の解釈などを子細に検討していけば良い。議論をうやむやにしたままで住基ネットに接続してしまえば、市政混乱の芽が残るだけだろう。
Sさんは「国立市だけの問題ではない」とも話していた。導入が計画されている共通番号制では、住基ネットを土台に、国民一人ひとりの社会保障や納税の状況が管理される。今とは比べものにならないほど、個人情報流出や不正利用のリスクが大きくなるのだ。私たちも、自分の問題として国立の運動を見守っていきたい。
最近ではほとんど話題にも上らなくなった「住基ネット」。
個人情報流出などのリスクが指摘され続けている一方で、
「あってよかった!」と便利さを感じている人は
どれほどいるのだろう? という疑問も。
その賛否を別にしても、文中でも指摘されているとおり、
ある個別の問題について、通常の選挙だけでは
「民意を反映する」ことにならないのは確か。
主権行使の一手段としての住民投票には、
もっと注目が集まってもいいのでは? と思います。