無期懲役刑が確定しても、15年くらいしたら多くは刑務所を出てしまう。そんな俗説が今も、まことしやかに語られているのではないだろうか。
たしかに制度上、刑期の3分の1(無期懲役は10年)を経過すると、改善・更生が期待できると判断された受刑者に、仮釈放が認められることがある。2009年の仮釈放率は49.2%だった。厳罰化や被害者感情を尊重する流れで2000年代に入って低下を続けているそうだが、この数字が高いか低いか、見方は分かれるところだろう。
もっとも、無期懲役囚に限れば、冒頭の俗説は真実とは遠い。07年に仮釈放となったのは在所期間が31年10カ月だった1人だけで、98年の15人、平均20年10カ月に比べると、認められる可能性は格段に低くなっている(朝日新聞・09年3月14日付朝刊)。09年には、刑期が30年を過ぎた時点で仮釈放を許可するかどうかを必ず審査する制度が始まったため6人に増えたが、その受刑期間は26~37年だった(読売新聞・10年11月22日付朝刊)。
仮釈放について考える時に何より留意したいのは、無期懲役に限らず、満期まで刑期を勤め上げた人の方が仮釈放になった人より、再犯率が高いことだ。昨年の「犯罪白書」が、仮釈放者と満期出所者との10年以内の再犯率を比較している。仮釈放者は強盗罪で34%、強姦罪で32%だったのに対し、満期出所者はいずれも56%と大きく上回っていた(読売新聞・10年11月12日付夕刊)。
なぜなのか。ずっと気になっていたのだが、「犯罪をおかした人の更生」をテーマにした講座(監獄人権センター、伊藤塾主催)で元受刑者の体験談を聞いて、いろいろと納得するところがあった。
語ってくれたのは、殺人罪などに問われ、冤罪を主張し続けたものの懲役20年の刑が確定した折山敏夫さん(68)。千葉刑務所で満期まで服役し、07年に出所した経歴を持つ。
折山さんはまず、刑務所の日常生活について説明した。「分刻みのスケジュールが厳密に決まっている。自分で考えるのではなく、ルール通りに動いていないといけない」
起床は午前6時半。それまでは、たとえ朝日が眩しくても移動してはいけないし、起き上がることもできない。作業工場では私語とよそ見、離席は厳禁で、物を落としても無許可では拾えないばかりか、看守と目が合っただけで引っ張られて懲罰の対象になることもあるそうだ。
昼食は20分間。ただ、この時間には、図書の貸し出し手続きや囲碁・将棋なども含まれ、1人の食事が遅いとみんなに迷惑がかかるから、ほとんど飲み込む状態。作業終了後のシャワーは、夏場は30秒。作業着の脱衣も、後ろの人たちの列が詰まらないように、歩きながら一瞬で上衣とシャツを脱ぐのだという。
手紙や事務書類は机を出して書くきまりだが、房内には1人に1畳分のスペースしかなく、取り組めるのは食事が終わってから蒲団を敷くまでの小1時間だけ。同房の受刑者から浮かないようにする配慮も欠かせないので、読書はテレビがついていない時にしかできず、平日はせいぜい1時間くらいだ。
「ルールに乗っていると、あっという間に1日が終わる。ものごとを深刻に受けとめない方が楽で、次第に『今日を無事に過ごせればいい』と思うようになる。シャバからするととても厳しい生活だけれど、習慣になれば安定した精神状態でいられる。いま振り返ると、つらかったというより懐かしいという気持ちがある」と折山さんは話した。
だが、受刑者の更生を考えた場合、そこが問題になるのだそうだ。
「最初の5年くらいは更生の意欲を持っているから、理不尽なルールの中でとても苦しい。でも、5~10年経つと、その生活に流されている」。10年以上になれば、あまりに社会と隔絶した生活に慣れきってしまい、出所~社会復帰後の計画自体が成り立たなくなってくる。
そして、監獄が「最後のセーフティーネット」へと変化し、「どうしようもなくなったら刑務所に逃げるしかないな」と感じ出す。加えて、冒頭で触れた通り、無期懲役など刑の重い受刑者ほど仮釈放になる可能性がどんどん下がっているから、ますます絶望的な気持ちにもなるのだという。
で、出所。仮釈放の受刑者には保護観察が付くので、事前に保護司らからアパートや携帯電話の契約、切符の買い方、履歴書の書き方といった社会生活の基礎を教わる機会がある。一方、満期の折山さんには実になる指導は全くなく、1週間くらい前から1日1時間ほどの「いのちの教育」と題した説教を受けただけで、出所前日まで所内の作業に従事していた。
折山さんは親類と連絡が取れていたので、迎えにも来てもらえた。しかし、知り合いの満期出所者の中には、迎えもなく、両手に荷物を抱えて世間に放り出され、どうしたらいいかわからずに刑務所にUターン。紹介された保護司に「出所時にもらった刑務作業の賞与金で旅館に泊まれ」と冷たく言い放たれたケースもあったそうだ。
いざとなれば刑務所に戻ってもいいと考えている人が、うまく社会に復帰する手がかりも与えられずに疎外感ばかりを募らせれば、再犯率が高くなるのは自然の成り行きだろう。それを放置したままなのは制度の不備である。
もう一つ。刑務所内の図書室にあるのは40~50年前に出されたものなど公立図書館が廃棄したような本ばかりで、折山さんは「時事性のあることを学ぶのは無理」と言っていた。職業訓練で使ったNC旋盤のソフトは古かったし、ふだんの作業では扱い方がすべてカタカナで書いてある戦前の骨董品のような機械を操作していた。「あれじゃあ出所してから何の役にも立たない」と指摘する。服役期間が長くなれば出所時の年齢も上がるわけで、ただでさえ社会で仕事を見つけるのはたいへんなのに、である。
さて、塀の中の仕組みを、どう改善していけば良いのか。
まず、満期出所者に対するケアをしっかり制度化して、少なくとも仮釈放者と同程度に社会復帰の手助けをする必要がある。前述した昨年の「犯罪白書」も「満期釈放者に対しても、保護観察による指導監督・援護の必要性が高い」と記している。
満期か仮釈放かを問わず、刑務所には、受刑者の社会復帰を念頭に置いた、実践的な技能・技術の教育システムを導入すべきだ。時代に即した内容にして、出所後の就職に直接、役立つようにしたい。
それから、保護観察制度の強化など社会的な支援・監視策を整えたうえで、仮釈放を増やすことができないだろうか。受刑者が刑務所の日常生活に流されることなく、出所後を見据え、希望を持って服役することにつながるのではないか。自身のこれからの人生を前向きに捉えられてこそ、過去に犯した罪と真摯に向き合えるはずだ。
厳罰化の主張が声高に語られる昨今、受刑者に対する世間の目は厳しい。しかし、出所した受刑者が社会になじめずに刑務所に戻ろうとして犯罪を起こせば、被害や損失を受けるのは一般市民であり、社会である。出所後に社会に溶け込みやすくする制度をつくって予算を充てることは、決して無駄ではない。
「出所後の住まいと仕事があることが、出所させるための条件」。
そんな、日本とは対照的な施策をとっているのが北欧の国・ノルウェー。
条件が満たされないときには、国が住まいや仕事を保障するのだそうです。
※森達也さんのレポート(ダイヤモンド・オンライン)より。
刑務所の中にも学校や職業訓練校が併設されていたりと、
「塀の中」の様子も日本とは大きく違うよう。
そして、再犯率は日本よりはるかに低い20%以下。
受刑者の出所後の社会復帰をサポートすることは、
ヒューマニズムだけではなく合理性という点からいっても、
社会全体にとって大きな利益を与えるのでは? と思えるのですが…。