特定秘密保護法案の衆議院での審議が続いており、きょう20日にも委員会で強行採決されるなどの臆測もあるようだ。「現代の治安維持法」とも呼ばれる同法案だが、そもそもその「治安維持法」とはどのような法律だったのか。昨年出版された中澤俊輔著『治安維持法 なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』(中公新書)を再読した。
帯には「「稀代の悪法」は民主主義が生み、育てた」とある。多分に挑戦的な文言だが、育てたのはともかくとしても、1925年の成立は、戦前最も民主主義的だったといわれる護憲三派内閣によるものであり、当初の目的は、国体の変革や私有財産の否定を目的とする組織や運動を取り締まることにあった。
当時の情勢は、ソビエト連邦の成立(1922年)とともに国内の社会運動が高まりを見せ、政府は無政府主義や共産主義の流入を警戒していた。治安に対して行政裁量的な内務省と法治主義の司法省が対立していた中、それぞれの考えに近い当時の2大政党である憲政会・政友会が連立を組んだことで治安維持法は誕生できたのである。
しかしこの法案は衆議院での審議前から物議を醸した。言論・集会・結社の自由を制限すること、合法的な手段による変革まで処罰しかねないこと、穏便な社会主義や社会民主主義にまで拡大適用されかねないことに批判は集まった。1925年1月17日付の東京朝日新聞社説は次のように書く。
「治安維持法の目的とする所は、恐らく国体を変改し、所謂朝憲紊乱、社会組織を破壊するが如き過激運動を取締るにあるであろう。此点に於ては何人も賛成し、直接反対するの理由を見出すことを得ないのであるが、之が取締りの実際は、全く人権蹂躪言論抑圧の結果となり、国民の思想生活は警察取締の対象となり、集会結社の自由は無きに至るのである」
衆議院での審議では、星島二郎議員から言論・集会・結社の自由の制限についての質問が出た。答弁に立った若槻礼次郎内相は、「言論文章の自由」を尊重すること、最も害のあるものだけを取り締まることを特に繰り返し述べたという。こうして共産主義政党と無政府主義の「結社」の取り締まりを目的として治安維持法は施行された。
その後、1928年改定で目的遂行罪が加えられ最高刑が死刑となり、さらに1941年改定ではさらなる罰則強化と刑事手続き上の特例、予防拘禁の導入などが加えられ、自由主義者や親米派、宗教団体など適用される範囲はどんどん拡大していく。制定時の批判は杞憂ではなかったのだ。増殖する法を食い止める政党は既に瓦解していた。
こうした歴史があるにもかかわらず、制定段階から条文内に多用される「その他」によって適用範囲の容易な拡大が懸念される特定秘密保護法案。国民の自由を制限するこの法案自体の危険性とともに、森雅子担当相と他閣僚や官僚の答弁との食い違いなど問題点は山積しているはずだが、安倍内閣は制定に血眼になっている。
著者の中澤俊輔さんは同書でこのように結んでいる。「治安維持法の「悪法」としての歴史は、戦前の政党政治の全盛、衰退、消滅の歴史とも重なる。そして、自由と民主主義を守る上で何が必要かを、我々に遺してくれた」。歴史に学ばない者の末路は、さて。(中津十三)