SLAPP(スラップ)という言葉をご存じだろうか。Strategic Lawsuit Against Public Participation の略で、直訳すれば「公共関係に対する戦略的法務」だが、「恫喝訴訟」などとも呼ばれている。簡単に言えば、口封じのための嫌がらせ裁判のことだ。
原告は、国や大企業といった力のある団体であり、それらに対して対応を求めて行動を起こした対抗勢力を被告として裁判を起こす。対抗勢力は比較弱者であり、彼らに金銭的・肉体的・精神的な負担を負わせることが第一の目的なので、たとえ原告が敗訴したとしても、既に主目的は達成されている。
法廷では原告・被告とも平等であるといわれるが、少し考えてみれば分かるだろう。国や大企業なら多数の担当者が分担でき、潤沢にカネがある。対する被告はそんなことはできない。時間的な拘束を余儀なくされ、法定準備費用を用立てなくてはならない。精神的にも相当な負担だ。「やましいところがないなら、法廷で決着を」などという物言いが、いかに実情を踏まえていないことか。
欧米では1980年代から、個人の意見を封じ、表現の自由を揺るがす行為として問題化している。SLAPPを禁じる法律を制定したアメリカの州は、最大の人口を擁するカリフォルニア州を含め過半数の27州で反SLAPP法があるという。しかし、SLAPPは日本の法律概念にない。ゆえに「嫌がらせ」が「真っ当な裁判」の顔をして審理されているのが実情である。
こうしたSLAPPについて、現状共有し、対策を考えようと、11月23日に東京・早稲田大学でシンポジウムイベントが開かれる。米軍ヘリパッド建設に反対する沖縄県東村高江、中国電力上関原発に反対する山口県上関町、そして脱原発を目指す東京・経産省前テントひろばという実際にSLAPPを起こされている3カ所の当事者も一堂に会し、その現状を報告する。
厳密な意味でのSLAPPではないが、先日報じられた、「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングなどが「週刊文春」を発行する文藝春秋を訴えた件では、2億2000万円の損害賠償と本の回収などを求めていた。過酷な労働についての記事を問題視したためだが、東京地裁は記事は真実であるとして請求すべてを退けている。
このような場合、載せた媒体ではなく、記事を書いた記者を狙い撃ちにすることも行われる。その一人が、今回基調講演を行う烏賀陽弘道さんだ。2006年、烏賀陽さんは雑誌「サイゾー」に掲載された記事に対してオリコンからSLAPPを起こされた。最終的には烏賀陽さんの実質的な勝訴となるが、その間の物心両面の負担はいかばかりだったろう。
今回のシンポジウムイベントでは、そうしたSLAPP被害者が横の連携を取り、その対策を話し合う初めての集まりとなる。この言葉と概念を広め、これ以上被害者を増やさないために、また国や権力者に力を与えないために何が出来るのかを探ることになりそうだ。多くの方々の参加を呼びかけたい。(中津十三)
※ シンポジウムの詳細についてはこちらをご覧ください。
スラップという言葉は初めて知りました。
もし、大企業や国のエリート・トップが、「弱いものいじめをする人間は最低だ。」と思っていたら、
こういう問題は出てこなかったでしょう。
おそらく、彼らの根底にあるのは、「強い者が勝つ。適者生存」のダーウィン進化論的発想。
ダーウィンが正しいかどうかは諸説ありますが、ダーウィンの考え方を植え付けられて育った人は
弱い者を卑怯な手段で押しのけても自分が生き残る(利益を得る)ことに何の疑問も感じないかもしれません。
でも、「おごれるものは久しからず」で、すぐ他の人にやりかえされてしまう。
そういう人生は空しいと思うのですが、そのことに気づかないまま、自分の利益追求に夢中になる。
良く言えば組織の利益追求に従順な優秀なエリート 悪く言えば、都合のいいロボット人間。
多くの人がスラップの問題を知ること、横のつながりをもつことはとても意味のあることだと思います。
どうも訴えられている市民団体の方が集まっているようですが、スラップどうこう言う前に自分たちの行動が法律に違反していないかを見直す方が先ではないですか。
よくよく調べてみれば国有地の違法占有、工事の妨害行為等、犯罪行為がてんこ盛りじゃないですか。
このような市民活動をしている方々によく見られるのが「目的が正しければどのような手段を用いてもよい」という考え方です。このような考え方はテロリストの考えです。非暴力と自称していますが行動にて妨害している時点で暴力と同じです。
少なくとも日本は民主主義国家です。民主主義国家にてテロ行為は決して許されません。
大多数の国民に認められることは絶対にないのです。