『現代短歌』2月号「特集 沖縄を詠む」の読み応えが凄い。県内外の歌人28人による作品が掲載されており、その歌のどれもが心に沁みる。
土人と言いバイキンと呼ぶ者ありて言葉は人をキリッキリッと刺す
大城和子
娘の死したたむ父の無念さを孤独の日々をうからと悼み
玉城洋子
方言を奪われていた世代なりさびしい言葉の粒を詠みゆく
伊波瞳
椅子ひとつ足りぬルールを押しつけて仲間だよねとまた押しつける
松村由利子
琉球大学名誉教授・仲程昌徳さんが「沖縄歌壇の推移と現在」で、戦前から戦中、占領下から復帰後まで全体を俯瞰するなど、記事も充実している。
この記事の他でも指摘される、沖縄の短歌は戦争と基地を詠むばかりで類型的・メッセージ的だという批判も、「それでも詠まずにはいられない県民感情」(屋部公子さん)があり、「その結論よりも、そこに至るまでの過程や因果を見つめることの方に豊かさはないのだろうか」(光森裕樹さん)と逆に指摘する。
比嘉美智子さんの「沖縄秀歌三〇首選」と、吉川宏志さん・屋良健一郎さんによる「必読歌集ガイド」は参考になる。後者は、1925年釈迢空『海やまのあひだ』から昨年刊行の三枝昂之『それぞれの桜』までの歌集25冊を選んだもので、歌の背景や鑑賞が読ませる。
2004年から辺野古にカヌーに乗ってきた金治明さんによる「辺野古の海の上より」は、短歌とは直接関係ないように見えるが、詠われる沖縄で何が今起こっているかを理解するための重要なルポだ。
坂井修一さんの「沖縄を詠む視点」では、馬場あき子と米川千嘉子の歌が挙げられている。
琉球処分ここにして聞く沖縄にやまとを聞けば恥多きなり
『南島』馬場あき子
綾蝶(あやはべる)くるくるすつとしまふ口ながき琉球処分は終はらず
『あやはべる』米川千嘉子
折も折、この月曜日(6日)から日本政府は辺野古の海上工事に着手した。「琉球処分」は未だに続いている。本土の一員である私たちは、こうした内省を持ち得ているだろうか。
マガジン9では、雨宮処凛さんが連載でセーラー服の歌人・鳥居さんを紹介したことがある。壮絶な生い立ちの鳥居さんを救ったのは「言葉」を獲得したことだった。言葉を発し、伝える。発された言葉を受け止める。そのやりとりが、本土と沖縄の間に、ない。
この雑誌には掲載されていないが、私の心に残った沖縄歌人の歌を掲げて、この稿を終えたい。
社会意識持てば悲しき沖縄の運命背負って今日も我は行く
喜納勝代
(中津十三)