マガ9備忘録

私はこの10日(土)と12日(月)、沖縄・高江ヘリパッド建設阻止行動に参加してきたので、その報告をしたい。

9日(金)夜は名護に宿泊し、まだ明けやらぬ10日午前5時半にレンタカーで出発。寒い。約1時間でN1裏テントに到着し、その日の予定を伺う。東京などでも連帯の行動があるので多めの参加者が見込まれるとのことだ。テント内には全国からの支援物資があり、運動の広がりを感じさせた。

午前7時、N1ゲート前に移動。抗議する人のためが座れるように敷かれた板に腰を下ろす。三上智恵さんの連載でもお馴染みの、文子おばあこと島袋文子さんも椅子にちょこんと座っていた。挨拶したり、一緒に写真を撮ろうと大人気の文子さんだ。

朝聞いた通り人が増え、その列はどんどん長くなった。中南部から来たバスからたくさんの人々が降り立つと歓声が上がる。日が高くなるにつれて暖かくなってきた。参加者は約700人だというが、印象としてはもっと多い気がした。

img_3370

前日の参加者は20人しかおらず、すぐに排除されてしまい、機動隊も暇そうだったとのことだが、この日は人の多さにN1ゲートからの搬入はなかった。参加者の凱歌が高らかに上がった。

11日(日)は搬入も抗議も休みだが、12日、午前7時にN1ゲート前へ。この日は土曜とは違って連帯行動はない。威圧するような居並ぶ警察車両の長い列。私は参加人数が心配だった。少なければ機動隊の排除、そして資材を載せたトラックや砂利を積んだダンプの進入を許してしまう。当初は少人数で、そういったことを覚悟した。

それでも、次第に人が集まってきた。150人くらいになっただろうか。結果、この日も搬入はなし。人数がいれば実際に止められる、ということを痛感した。しかし、私が参加できなかった翌13日(火)は参加者60人ほどで、トラックやダンプが相次いでN1ゲートから入ったという。

12日に参加していた伊波洋一参議院議員や、民医連の研修旅行でやって来た若い人々のスピーチは、それぞれ傾聴に値するものだった。その途中にやってくる米軍ヘリ。地元の人は「今日は(飛行高度が)高いね」と言っていたが、私にはうるささも含めて脅威に感じられた。

img_3459

私が参加できたのは、僅か2日間。それをもってすべてを判断することはできない。それでも、現場に行かないと分からないことがある。何よりも感じたのは、権力の横暴に晒される最前線であるにもかかわらず、その「明るさ」だ。

団体からの発言のほか、シュプレヒコール、肩を組んでの歌、わっしょい行進、さらに皆を元気づける歌、リラックスさせる体操など、プログラム(?)はさまざまだ。そういえば、座り込みガイドラインにも「いつでも愛とユーモアを」と書いてあった。限界ぎりぎりだからこそ、運動を長続きさせるための「知恵」なのだろう。「負けざる者の笑い」というスピーチもあった。

もうひとつは、この「場」をつくる重要さ。参加者が座る板はもちろん、トイレを設置し、食べ物を用意し、抗議集会の司会をし、さらに警察官や警備員と交渉してその「場」を確保する現場の方々に、心からの敬意を表さずにはいられない。

月曜に離沖する直前、政府が起こした沖縄県による辺野古埋め立て承認取り消しが違法であるとの確認訴訟で、最高裁が弁論を開かず県敗訴の高裁判決を確定させるとの号外を手にした。基地反対の立場からすると甚だ厳しいものだが、沖縄の人たちの“しなやか”な反対の姿勢が殺がれることは決してないだろう。

(中津十三)

追記:13日夜、高江の機動隊が宿泊するカヌチャリゾートに程近い名護市安部(あぶ)の海岸に、普天間基地所属のMV22オスプレイが墜落した。高江の抗議現場では、本稿のような「明るさ」をかなぐり捨てて、皆怒りに燃えていることだろう。

 

  

※コメントは承認制です。
その156)権力と対峙する最前線
高江の「明るさ」に思う
」 に1件のコメント

  1. 樋口 隆史 より:

    やっぱりウィドウ・メーカーの本領発揮と言うことになってしまいました。最高裁は逃亡状態。オキナワの今日は本土に暮らすわたしたちの明日だとおもっています。目が離せません。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : マガ9備忘録

Featuring Top 10/166 of マガ9備忘録

マガ9のコンテンツ

カテゴリー