声優の肝付兼太さんが亡くなった。肝付さんといえば、テレビ朝日版『ドラえもん』の初代スネ夫、『銀河鉄道999』の車掌、『にこにこぷん』のじゃじゃまるなど、実に多くの役を演じたことで知られる。
その肝付さんは、俳優・声優の地位向上に関しても積極的に行動した。中でも、1973年の「外国映画日本語版の権利を護るための俳優集会」とこれに伴うデモは大きな注目を集めたが、このとき日本俳優連合(日俳連)組織部チーフとして奮闘したのだ。
日俳連は、1963年創立の日本放送芸能家協会(放芸協)を前身とし、制作者と対等に契約を結びにくい俳優の弱い立場を解消し、出演料や条件の改善、社会的地位の向上を目指して1971年に発足した。
「声の演技権」は古くからの問題で、放芸協設立前の1962年に久松保夫さん(バート・ランカスターの吹き替えなどが有名)が、米放送局が外国テレビドラマの日本語版もフィルムも音声もこちらに権利があると言い続けていることに対して、民放連などに対して反論と是正を求める文書を送付したことがある。
1973年、一番問題になったのは、一度吹き替えた外国映画やテレビドラマが、その後何度再放送されても声優に一銭も入らない業界慣行についてだった。声優の生活は苦しく、手取りは平均と言われた額にまったく足りないありさま。慣行の是正を訴えても、音声製作会社はのらりくらりと言を左右にするばかりだった。
そんな中、一般の人々に訴えるデモによって膠着した状況を打開しようと画策したのが、肝付さんたちだった。7月28日に行なわれた、「無断リピート放送断固糾弾!」「業者は、正当な使用料を支払え!」などのプラカードを押し立てたデモは、世の注目を集めた。
このデモで、肝付さんと行動を共にしたひとりが、初代ジャイアンで知られるたてかべ和也さん。彼とは1960年に『月光仮面』の現場で出会って以来、生涯の親友である。
しかし、ある音声製作会社社長が「役者は使い捨て」と発言したことから、声優たちの怒りを買い、闘争は激化。先述の久松さんが提案した24時間出演拒否闘争を貫徹したのだ。これにによって7本の番組収録が完全に不能に陥ったという。
声優たちの怒りに驚いた音声製作会社側はきちんと交渉に応じるようになり、数回の折衝の結果、出演料を3.14倍に増額することで、この問題は解決した。俳優・声優は、言わば一人ひとりが独立事業主。「団結」とは程遠い彼らが団結して示威行動することで、製作会社もその本気さに打たれたのだろう。
声優になりたいという人が門前市をなす現在、その地位向上に肝付さんたちが尽力されたことは、もっと知られていいと思う。
たてかべさんは昨年6月に亡くなり、その葬儀での弔辞の際に「ジャイアーン!」と絶叫した肝付さん。そして、親友を追うように逝ってしまった…。心からご冥福をお祈りする。
(中津十三)
参考文献:日本俳優連合30年史
こんにちは。肝付兼太さんのこうした側面をきちんと振り返り継承することはとても重要ですね。
ただ、ギルドのような(同業者)組合は国内にも海外にもあるわけなので、”俳優・声優は、言わば一人ひとりが独立事業主。「団結」とは程遠い”という評価は踏み込みすぎかもしれません。
経団連も商工会議所も一社一社がまさしく独立事業主で血肉を相食んでいますが「団結」しまくって自分の税金を下げ、補助金や仕事貰い特権を捥ぎ取り、犯罪を合法化させ、違法を踏み倒しているじゃありませんか。
潰し合い食い合う金持ちでさえ団結するのに、力のないものが犍陀多のように振る舞って団結・連帯さえできずに金持ちのオモチャにされエサにされる現状にあっては、日俳連の闘いはもっと振り返られるべきですね。
声優さんたちに留まらず、アニメーション製作に携わっている人たちの問題も深刻です。でも誰もその問題は追及しない。しょっちゅういろいろなメディアでアニメーションを流しているのに。