労作だ。帯の「まるで“ひとり事故調査委員会”だ!」ということばは伊達ではない。烏賀陽弘道著『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』(明石書店)を読んで、心からそう思った。
サブタイトルは「事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題」とある。主力の緊急冷却装置はなぜ使われなかったのか、という問題が第2章の主題だ。
津波襲来によって電源を喪失しメルトダウンに至らざるを得なかったというのが事故調の結論だが、烏賀陽さんは地震発生から津波襲来までの50分の間に緊急炉心冷却装置(ECCS)が使われていればメルトダウンは防げていたかもしれないことを示す。そして、ではなぜ使われなかったか、についての検証に至る。
本質的な問題を見逃した調査委や、この報告をちゃんと検証しない報道への厳しい指摘だ。
第1章の事故発生直後、第3章の原発導入時、第4章の3・11後も変わらぬ体制といったさまざまな問題も、冷徹に論証する。
緊急時に炉心を冷却するのにECCSを使わず、非常復水器(IC)や原子炉隔離時冷却系(RCIS)しか使わなかったことを、「家が火事なのに、目の前にある消防車を使わずに、消火器やバケツばかり使っているうちに全焼してしまった」などの譬えも巧みで、なるほどと膝を打つ。
謎が解けすっきりする以上に、その謎が実は構造的なものであることが分かる。本書で指摘される「現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥」と「ヒューマン・エラー」の深刻さ。さらに言えば、そうした問題を検証する能力のなさ。烏賀陽さんは「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」と推論した。
第5章に登場する、元四国電力のエンジニア松野元さんはこう述べている。
「このままうやむやにすると、また同じことが起きるでしょう。『負けるかもしれない』『負けたときにはどうするのか』を誰も考えないのなら(電力会社も)戦争中(の軍部)と同じです。負けたとき(=最悪の原発事故が起きたとき)の選択肢を用意しておくのが、私たち学者や技術者の仕事ではないでしょうか」
松野さんら第5章に登場する原発のエンジニアや消防の専門家は、原発事故の惨事に悔しさや腹立たしさを隠そうとしない。しかし、日本政府は事故の検証や反省もものかは、原発推進姿勢に転じてしまった。
いわゆる3・11から5年。烏賀陽さんはずっと福島に通い続けるとともに、さまざまな人に話を聞くため日本各地はおろかアメリカにまで足を延ばしている。取材対象にしつこく迫る。そしてその発言の裏づけを取る。ジャーナリストとして当たり前のアプローチなのかもしれないが、当たり前だからこそ強い説得力を持つ。そして文章も簡潔でリーダビリティにすぐれている。
烏賀陽さんの静かな、しかし烈しい怒りが伝わってくる本だ。多くの人にぜひ読んでほしい。
(中津十三)