私は琉球新報電子版を購読しているのだが、3月20日付のコラム「記者の窓」を読んで言葉を失った。筆者の新垣毅編集委員は4月から東京に赴任するそうだが、借りようとした物件の大家が「琉球新報には貸さない」という理由で断ってきたというのだ。
折も折、その前日19日付の1面トップには「教科書沖縄記述に誤認」という記事が載った。帝国書院の高校1年用現代社会の教科書に、「沖縄県内の経済は基地に依存している度合いがきわめて高い」「ひきかえにばくだいな振興資金を支出している」という内容のコラムが載っているとのことだ。同紙では、この記事のほか、2-3面・社会面の見開きとさらに社説でも大きく取り上げており、この誤認への憤りを露わにしている。
本土の、沖縄への差別感情と無理解に、暗澹たる思いを禁じえない。2013年、「建白書」を持って上京しデモを行なった沖縄全41市町村の首長・議長ら参加者に対して極右勢力が罵声を浴びせたことを思い起こした。
安倍政権の意のままにならないのが面白くないのだろう、琉球新報と沖縄タイムス、2つの県紙に対して「反日」「中国の手先」といった誹謗を繰り返しているのが産経新聞やワックなどの極右媒体だ。賃貸を拒否した大家はこれらの影響を受けているのかもしれない。
こうした一部媒体ならまだしも、教科書の影響は絶大だ。教科書に“デマ”が載るとは誰も思わないであろうから。
しかし今や、排外主義やレイシズムが大手を振って罷り通る時代なのだ。これらの差別を決して許してはならない。
小欄で、知念正真作『人類館』を取り上げたことがあった。この戯曲は1903年の博覧会での「人類館事件」を下敷きにしたものだ。冒頭に記されたト書きには「小屋の一方の柱には、稚拙な字で『リウキウ、チョーセンお断わり』と書いた札さえプラ下がっている。」とある。
ここから何も進歩していないのかもしれない。しかし、そうであれば、進歩させていくのが私たちの責務だろう。
(中津十三)