たまに日が差す曇り空の22日、「東京大行進2015」が行なわれ、ヘイトスピーチに代表される差別に反対し、多様性を訴える人々およそ2500人が集まり、東京・新宿をパレードした。
筆者は小欄で書いた通り、2013年の第1回東京大行進にも参加したが、このときは9月の暑いさなかだったので、汗だくになったのを覚えている。
あれから2年、少数者に対する差別や不寛容は収まるどころか未だに猖獗を極めている。LGBTへの制度的な前進は少しあったが、相変わらずヘイトデモは毎週のようにどこかで行なわれ、ネット上のヘイトは拡散の一途。何よりも、そうしたものを許してしまう空気が社会に沈澱している。
東京大行進2015の呼びかけ文(原案:@Bong_Lee、構成・文:ライター 和田彰二)には、こうある。
<3.11>があぶり出した矛盾、不公平、不寛容は、いまだに<アンダーコントロール>とは言えない原発事故の形で、または特定秘密保護法、防衛装備移転三原則から安全保障関連法案へと至る、安倍政権による<戦争法案>の形で、現在私たちの目の前に現れました。
私たちの日常に潜むレイシズムは、そんな<3.11>以降の社会の空気を象徴するものです。
人々を分断し、挑発し、互いを憎悪と恐怖の中に巻き込むレイシズムは、今、安全保障に名を変え、また経済の名のもとに、この国のデモクラシーの根幹を激しく揺さぶっています。
人々が平和に、そして安寧に暮らす権利が揺さぶられているのです。
レイシズムが潜む日常…このままでいいはずがない。
小欄第2回で、私は次のように書いた。
当たり前のことを言い続けないと、その当たり前のことさえ侵食される。ならば言い続けよう。「差別をやめよう」「一緒に生きよう」と。
今回も、「差別をやめよう」「一緒に生きよう」とコールしつつ、私たちは行進した。街を行きかう人々の心に届いてくれ、と願いながら。
(中津十三)