四国電力が再稼働させようとしている伊方原子力発電所(愛媛県伊方町)周辺自治体の避難計画などを議題とした国の原子力防災会議の席上、安倍晋三首相が伊方原発で重大事故が起きた際は「責任を持って対処する」と明言したと報じられた。
そもそもこの責任とはいったい何なのだろう。東京電力福島第一原発事故のとき、暴走した原発は人間には手がつけられないことが分かったはずではないか。もし重大事故が起きたら、謝るのか。それとも辞任するのか。腹かっさばいて死ぬ、とまでは言わないだろうが。
2013年9月、安倍首相はその福島第一原発を視察した際に、貯蔵タンクから汚染水が漏れた問題で「国が前面に出て、私が責任者として対応していきたい」と述べたが、その後政府が積極的に対策をとった形跡はない。
今年7月の自民党芸術文化懇話会で、沖縄の地元紙など報道機関を威圧する発言が出た問題では、安倍首相は「私に責任がある」として懇話会代表の木原稔・党青年局長を更迭し、1年の役職停止処分とした。しかし、安保法案が成立したことを受けて3カ月に短縮して処分を解除。木原氏だけでなく自分の責任も白紙に戻したようなものだ。
一方、2014年2月の衆院予算委員会で、安倍首相は「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」と語り、現行憲法下で禁止されてきた集団的自衛権行使の憲法解釈を己の一存で変更できるとの立場を示した。
都合のいいときだけ責任があることを強調するが、結果の責任はとらない。普通はこれを「無責任」という。
「戦争法案という言い方は無責任だ」と安倍首相は言った。それでは、言い方ではなく現実に無駄な税金が使われている新国立競技場迷走の責任はどうなのか。そして、自衛隊員の命に関わる法案を通して彼らを戦地へ赴かせる責任は…。
安倍首相以上に「責任」を軽々に口に出す人物を寡聞にして知らない。その責任をどうとるのか、安倍首相に誰か聞いてくれないか。(中津十三)
仮に聞いたとしても,質問の意味が分からないのではないだろうか。彼の体全体が「分からない」と言うことでバランスが採れているのだ。時間と言え、費用と言え、とても無駄な空間を過ごしているような気がしてならない。