マガ9備忘録

沖縄の戦後の苦闘を象徴する人物と言えば、まずこの人の名前が挙がるだろう。瀬長亀次郎(1907~2001)。日米のはざまでさらに混迷が深まる沖縄を、彼ならどう見るだろうかと考えながら、那覇市の下町、若狭の一画に建つ「不屈館」を訪れた。

正式名称は「不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料」。その名の通り、彼が遺した資料を中心に、沖縄の民衆の戦いを後世に伝えようと2012年に設立された資料館だ。外壁にあしらわれた瀬長の揮毫した「不屈」の文字が実に力強い。

image

瀬長の生い立ち、学生時代、新聞記者時代と展示されているが、立法院議員を務めながらも米軍政府による弾圧で服役、その後1956年暮れの選挙に勝ち翌年1月那覇市長に就任するが、またも米軍の布令で追放される時代の展示が詳しい。

瀬長市政に対しての米軍の圧力の酷さ。さらに議会で市長不信任案を提出するなど、米軍に同調する勢力も包囲網をしこうとしたが、人々の厚い支持によって市長の職務を続けていく。遂に米軍は追放の布令を出し、それとともに選挙法も改定して彼の被選挙権すら奪った。

市長在任期間はわずか11カ月。しかしその任期に日本全国から5000通を超える激励の手紙が瀬長のもとに届けられた。展示の一部として見ることができるが、瀬長への何よりの励ましになったという。こうした民衆の支持を恐れたからこそ、米軍は強権発動したのだろう。

館内にはこうした展示のほか、書斎再現コーナーやDVD視聴コーナーもあり、沖縄の現代史をさまざまな形で学ぶことができる。

私が訪れたときには、一般展示のほか「山城博明写真展」が開催中だった。山城さんは琉球新報のカメラマンとして現在でも活躍しているが、その経歴は長い。1970年代のコザ暴動や毒ガス移送から現在の辺野古、オスプレイまでの写真を見ていると、沖縄の問題はずっと“現在進行形”であることが分かる。

瀬長の次女である館長の内村千尋さんや、館員の芝憲子さんともお話をさせていただいたが、彼女たち、そして亀次郎の人柄が伝わってくるような温かい資料館だった。民衆の側に立つ政治の重要性を、何度も思った。(中津十三)

※ 「山城博明写真展」は、9月30日(水)までです。不屈館の入場料(大人500円、学生300円、中学生以下無料)で観覧できます。

※ 不屈館で販売されているバッジ10種類を10名の方にプレゼントします。ご希望の方は、こちらのご意見フォームより記事名「その他、感想、ご意見、ご要望」をお選びのうえ、件名を「不屈館バッジ希望」としてお申し込みください。送付先のご住所、お名前のご記載をお願いします。種類の選定はマガ9編集部にお任せください(おひとり一つです)。
image
申し込み締め切りは、9月9日(水)です。(当選の発表は発送をもって代えさせていただきます)

 

  

※コメントは承認制です。
その97)瀬長亀次郎の足跡を辿りながら
民衆の側に立つ政治を考えた
」 に1件のコメント

  1. 重栖隆 より:

    生前の瀬長亀次郎さんに一度だけお会いしたことがあります。
    いまの国会周辺と同様、沖縄協定に反対する大きなデモが連日国会を取り巻く騒然とした状況下、どこが主催したのかは失念しましたが、たしか大阪で開かれた集会で、まさに「沖縄の顔」とした登壇されたのが瀬長さんでした。
    当時、学生だった私はたまたま会場設営の手伝いで舞台裏に待機していて、狭い舞台のそでにピンと背筋を伸ばして立つ瀬長さんと触れ合うほどの近さでお会いしました。その第一印象は「なんと小柄な人なんだ」。 写真で見るいかつい顔つきや勇敢な経歴から漠然と想像した偉丈夫ぶりとは正反対の、非常に背の低い方でした。
    この華奢にも見える痩身で、米軍の暴虐と真正面から戦い抜いてこられたのかと、かえって感銘したことを思い出します。演説の細かな内容は忘れましたが、これもまた自分が事前に想像していた激烈なアジテーションなどではなく、むしろ静かで理知的な印象を受けたように思います。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : マガ9備忘録

Featuring Top 10/166 of マガ9備忘録

マガ9のコンテンツ

カテゴリー