古舘伊知郎さんといえば、テレビ朝日系『報道ステーション』のキャスターとしてお馴染み。その彼が1988年から16年連続で公演されていたひとり舞台「トーキングブルース」が11年ぶりに復活し、先日テレビでその模様が放送された。
古舘さんは1954年生まれのちょうど60歳。テレビ朝日アナウンサー時代にはプロレス実況中継での独特の「古舘節」が有名となり、フリーになってからはフジテレビ『夜のヒットスタジオ』などの司会を務め、1994年から3年連続でNHK『紅白歌合戦』の白組司会に。2004年、先述の『報道ステーション』キャスターに就任した。
「トーキングブルース」は、“生涯喋り手”を自任する古舘さんが、人の哀しみ=ブルースをマイク1本で語るひとり舞台。トークショーでも芝居でもない。1997年からは地方公演も開かれるなど多くの人の喝采を博し、ライフワークとまで言われたが、2004年のキャスター就任以降は封印していたのだ。
今回の舞台は、10月18日の一夜限り。その模様をテレビカメラが追う。かつてさまざまに行なってきた「トーキングブルース」の今回の主題は「覚悟」とでも言えるものだった。
最初のうちは『報道ステーション』の裏事情やいまどきの六本木を緩急自在、立て板に水の「古舘節」に乗せて語るのだが、じきその主題に収斂されていく。報道人としての、キャスターとしての、そして喋り手としての「覚悟」が、早世した家族や友人との思い出とともに問いかけられる。
『報道ステーション』キャスターを務めてからの10年、死にまつわる理不尽不条理を伝えてきたということは、俺は、封印されたといわれる「トーキングブルース」を実はやってきたのだ、と古舘さんは語る。
言葉ってのは凶器にもなりうるし、人の魂を救うことも癒やすこともできるもんなんだ。それなのに俺は覚悟がないばっかりに最後の一言が言えずに今まできた。俺はこれからはそうはいかない、と覚悟を決めた。俺の毎日やっている報道の仕事の中で、それをやっていこうと肚決めた。
ネットの普及で手軽に意見開陳ができるようになった世の中だが、半面、覚悟は乏しい。軽く行なわれるヘイトスピーチなどその典型だろう。そうした風潮に敢然と立ち向かう古舘さんの決意表明は感動的だった。
みんないいか。よーく俺を見ててくれ。俺がその事が出来るようになるのが先か、俺の賞味期限が切れるのが先か、どうか。月曜から金曜の午後9時54分から、俺を見ててくれ。
原子力ムラの問題を『報道ステーション』で追及したとき、「圧力がかかって番組を切られても、それは本望です」と語った古舘さん。右へ倣えの放送界で奮闘する彼の「覚悟」に敬意を表さずにはいられなかった。(中津十三)
「トーキングブルース」第1回のパンフレット。