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選挙戦大詰めの12月12日、東京・一ツ橋の日本教育会館で「土井たか子さん、ありがとう! 思いを引き継ぐ集い」が行われた。さまざまな人が壇上に立ち土井さんを偲んだが、印象に残ったのは、国籍法改正問題やアジア人権基金との関わりについてお話しされた内海愛子さんのスピーチだった。

国籍法は、文字通り日本国民の要件を決めるための法律。旧国籍法は1899年に定められたが、それ以前の太政官布告「外国人民ト婚姻差許条規」が日本初の国籍に関する法律といわれている。

旧国籍法では「家」制度と父系血統主義が採用され、家族全員同一国籍が必要であった。また、日本人男性が父親である場合のみ日本国籍が取得でき、外国人男性と日本人女性の子では与えられなかったのだ。戦後の新憲法の制定を経て、1950年に「家」制度がなくなった新しい国籍法に変わっても、この父系血統主義は継続されていた。

男女平等の憲法からしても異常であり、国連で採択された「女子差別撤廃条約」(1984年批准)や、諸外国でも父母両系主義に改める国が増えてきたこともあって、1984年に国籍法と戸籍法の一部が改正された(翌年に施行)。これによって、男女の区別なく外国人と日本人の間に生まれた子は日本国籍を取得できるようになった。

この改正に土井さんは尽力したのだ。土井さんが国籍法の問題に取り組み始めたのは1977年、まだ当選3回だった。改正時に先述の追い風があったとしても、土井さんたちが長い間性差別問題を追及していたからこそ、改正できたのだ。

また、アジア人権基金は、1987年に土井さん自ら設立を提唱し、その3年後に発足。アジアにおける貧困、飢餓、言論弾圧などの救済を目的に「アジア人権賞」を設けて、フィリピンのスラムで運営される学校や、カンボジアの地雷撤去キャンペーンなどに授賞した。しかし2010年、20年間の活動に幕を閉じた。

広い視野で、弱者への思いやりを政策に結びつけていくために奮闘した議員生活だったのだろう。土井さんの議員会館の部屋には、与謝野晶子の「山の動く日来(きた)る」の書が掲げてあったという。

山の動く日来る。
かく云へども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。

(『青鞜』創刊号巻頭詩「そぞろごと」より)

いい声で歌う土井さんの『マイ・ウェイ』が流れる中、集いはお開きとなった。選挙の終わった今、土井さんの思いをどう引き継ぐか、リベラル陣営の覚悟が問われている。(中津十三)

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参考文献:土井たか子・吉武輝子『「やるっきゃない!」―吉武輝子が聞く土井たか子の人生』(パドウィメンズオフィス)

 

  

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