「沖縄の経済って結局、基地があることで成り立ってるんですよね?」というセリフから始まる映画『NOTHING PARTS 71』。沖縄を皮切りに各地で公開されたこの作品、ストーリーは各地版によって微妙に違うようだが、東京版はこうして始まる。
監督の仙頭(せんとう)武則さんは、『萌の朱雀』『EUREKA』など、国際映画祭で受賞多数のプロデューサー。沖縄に移り住んでから、誰も映像化しようとしなかった日常を映画にしようと動き始めたのだが、さまざまなトラブルに見舞われ、2年を経てようやく完成した“呪われた作品”だという。
沖縄では一昨年11月に先行上映され、激しい賛否両論を巻き起こした。名古屋で今年1月「本土上陸」し、今回の東京公開となったが、当初147分あった長尺も、名古屋版では138分、今回の東京版では123分と、少しずつ手を入れている。
遺骨収集の仕事をする智一(山城智二さん)と、車で彼に怪我をさせた、軍用地やホステス斡旋などを生業とする信二(津波信一さん)は同じ1971年生まれということで意気投合。現場で智一は頭蓋骨を発掘し、それを「返す」ため、信二とともに沖縄のあちこちを疾走する。
作品中で大きなウエイトを占めるのは軍用地問題。「軍用地は資産運用としてお得ですよ」「基地は絶対になくなりません」と言葉巧みに、ウチナーンチュ(沖縄人)とナイチャー(内地人)の間を立ち回る不動産業者・上地(山田力也さん)。金だけの虚飾に塗れた生活から信二は逃れようとするが、待っていたのは私刑だった。
金に翻弄されるウチナーンチュだけでなく、「癒しの島」にやって来た女性や独善的なジャーナリストなど、ナイチャー(この言葉には侮蔑的な響きもある)への皮肉も手厳しい。どちらの現実も容赦なく剔抉する。琉球・沖縄の歴史に詳しいラジオパーソナリティの賀数仁然さんはツイッターで、「イビツな環境と生きるためにイビツに適応したウチナー日本人が描かれているよ」と評した。
「ティーダヤ、マーカラアガイガ(太陽は、どこから上がりますか)?」との問いを繰り返す智一に、「アガリカラヤイビーン(東からです)」と最後に答える信二。辿りついたのは、名護の東海岸、米軍基地移設に揺れる辺野古。そして2人は現状から脱しようとして…。
見た後に連想したのは、「沖縄の心とは、ヤマトンチュ(日本人)になりたくて、なりきれない心」という、西銘順治さんの言葉だ。ウチナーンチュとしてのアイデンティティの喪失が、すべてをさらに複雑にさせる。絞り出すように繰り返される信二の「分からない!」が実に印象的だった。
その信二が着ているTシャツにある「守礼の光」の文字は、米統治下、琉球列島米国高等弁務官府が発行した宣撫用月刊誌のタイトルだ。この雑誌は米国のプロパガンダとともに、琉球文化の称揚も特徴の一つ。日本と沖縄は別民族であるというアピールのためだが、この雑誌のロゴを信二がまとっていることも意味深長である。他にもいろいろな暗喩がちりばめられているが、すべてを分かることはできないだろう。
『NOTHING PARTS 71』は、観客の安易な答えを拒絶する。仙頭監督も「見て考えなくても、見て何かを感じてもらえたら」と語っている。間違いなく、あまりにも圧倒的な沖縄のリアルを、この映画で感じられる。(中津十三)
※ 本編冒頭に流れた「沖縄の歴史」(東京版ではカット)はこちら。
※ 『NOTHING PARTS 71』は東京・渋谷のユーロスペースで、21時からのレイトショーで公開中。