四国八十八カ所巡りのお遍路さんは、空海(弘法大師)ゆかりの札所を巡礼し、結願(けちがん)を目指す。自動車やバスで回る人もいるが、徒歩での巡礼も多い。その場合、約40日ほどかかるといわれている。
その各地の休憩所で、外国人排除を主張する差別シールが貼られていたのが見つかった。「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」などと偏狭な排外主義に満ちた言葉が印刷されたものだ。
これは、外国人が道に迷わないよう遍路道の迷いそうな分岐点の電柱や壁などに案内ステッカーを貼っている、韓国ソウル市に住む崔象喜さんの活動を中傷しているようだ。崔さんは結願を4度も達成した、外国人では初めての女性だ。
メディアでは差別シールに対しての批判が集まり、地元新聞の社説でも「外国人排除貼り紙 お大師さんが嘆いている」(徳島新聞)、「遍路道の貼り紙 国を汚しているのは誰だ」(高知新聞)などの論評が掲載された。高松法務局も外国人の人権侵害に当たるとして調査に乗り出すそうだ。
しかし依然として、この「案内ステッカーは、貼った人が経営するカフェのURLであり、宣伝だ」とするツイッターやまとめサイトが広まっている。ゆえに差別シールは正当である、とでも言いたいのだろう。これらをSNSは増幅してしまうが、実際はどうなのだろうか。
ステッカーに書いてあるアドレスに行き着けば、上の「http://www.heeyasis.com」はサービス終了だが、下は「http://cafe.daum.net/ShikokuOhenro」とあるものの、別にカフェの案内ではなく、ダウムという韓国のポータルサイトのコミュニティがそういうアドレスであるというだけだ。
ハングルが読めなくても翻訳サイトにかければすぐに分かるはずだ。悪意と先入観に囚われ、アドレスの表記だけでそう考えたのだろうが、それにしてもどこまで心が狭いのだろう。差別シールには「日本の遍路道を守ろう会」とあるが、「日本」の中が泣く。日本は差別をする国だ、と世界に触れて回っているようなものだ。
差別がいけない、という当たり前のことが通らない世の中にはしたくない。(中津十三)
差別は、異質な者に対しての、過剰な警戒心から生まれます。
普段見慣れない文字に違和感を持つ事は、仕方の無い事ですが
だからといって排除するのではなく、それぞれの国の文字や文化などを
理解すれば、違和感が無くなり共存の道を開けると思います。
今回、問題となった韓国語だけを排除しようとする張り紙は、
もしかすると、韓国語だけが目立っているからではないでしょうか?
外国人の立場から見て、韓国語があるのに、自分の言語が無い・・・
という事になると、
自分は、韓国人よりも歓迎されていないと感じてしまいます。
そういった事の無いよう、差別無く全ての言語のシールを作るべきだと思います。
在日特権がある(らしい)→街頭で「殺せ、叩き出せ」と言う。(サッカー場に)海外からの観光客が増えて応援の統制が取れなくなった→外国人お断りの横断幕を掲げる。ネットでアンネの日記は、本人が書いたものではないと言うのを見た。→図書館でアンネの日記や関連本を破る。
(幼稚な)クレーマー。
一連の事件を思い返して、上記の様な感想を抱きました。
慰安婦問題でも、強制連行を示す文書が見つからない(だから日本は悪くない)とか、他の国もやっている、なぜ日本ばかり責められるのかといった事を、政治家などが言う。
問題は、きちんとした事実や歴史的経緯を踏まえた抗議や議論が日本人には出来ないと思われる事だと思いました。
原発問題も然り。先の戦争の総括も然り。このままずーっと思考停止のままで良いのでしょうか?