年度替わりで放送界も番組の改編の時期。そんな中、琉球朝日放送(QAB)夕方のニュース番組「News Q+」のキャスター、三上智恵さんが降板した。前番組「ステーションQ」時代を含めると17年もの長きにわたるQABの顔だった。
三上さんは映画『標的の村』の監督としても知られる。この映画は、三上さんがディレクター、ナレーターを務めた同名のテレビドキュメンタリーに未収録の映像も加えて再編集したもの。テレビでの放送は深夜帯などということもあって、さらに広く見てもらいたいと映画化したのである。
テレビ放送後から動画サイトにアップロードされていたが、この映画も反響を巻き起こした。全国劇場で2万3千人もの観客動員となり、全国各地で自主上映も。第87回キネマ旬報ベストテン文化映画第1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞、同映画祭日本映画監督協会賞など受賞も相次いでいる。
『標的の村』のほかにも、辺野古を題材にした『海にすわる』、『狙われた海』などのドキュメンタリー番組や、「ステーションQ」の中で2010年1年間にわたって放送したシリーズ「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」など、彼女の携わった番組はどれも、沖縄の過去を見据え、現在抱える問題点を鋭く抉り出した。
三上さんが担当した最後の「Q+リポート」は「あれから25年・恩納村民の闘い」。1989年、恩納村に米軍の都市型実弾訓練施設が造られることになり、半分は完成していたが、村民の非暴力の抵抗で撤去させたことを取り上げたのだ。この「Q+リポート」はこちらで見ることができる。
棚原勝也キャスターは、VTRの後こう語った。「今、若い人たちは座り込みやデモで何かを変えられるの? と冷めている部分がありますが、古くは昆布闘争、安波のハリアーパッド闘争で勝利した歴史を若い人にも知って欲しい」
昆布闘争では、米軍が計画した具志川市(現うるま市)昆布の土地約82000平方メートルの接収を断念させた(1966年~1971年)。安波のハリアーパッド闘争は、岩国基地のハリアーを移駐させる着陸帯建設を国頭村安波区民総出で阻止した行動だ(1987年~1989年)。
他にも伊部岳実弾射撃演習(国頭村)や県道104号越え実弾演習(金武町)の阻止などがあるが、こうした非暴力で「勝った」歴史はいつの間にか忘れ去られている。辺野古や高江の情勢が厳しい中、今こそ思い返すべきだという三上さんの思いが詰まった特集だった。
三上さんはQABも退社して、一個人として沖縄のさまざまな問題に向かい合っていくという。今後の三上さんの活動に、心からエールを送りたい。(中津十三)
※ マガジン9では、昨年8月に「この人に聞きたい」で三上智恵さんに登場していただいています。
「”今こそ思い返すべき『勝った』歴史”って日露戦争?」と一瞬誤解しましたが、そんなはずがありませんよね(笑)
ところで例え話ですが、バブル期にブイブイいわせていたオヤジが今の草食系の若者に自身の「勝利した歴史」を成功体験として伝えることで、若者に何らかの影響を与える事ができると中津さんは思われるのでしょうか?
25年前はバブル期で、ベルリンの壁が崩壊して冷戦構造が終結した直後であり、土井ブームが巻き起こり、日本国内も近隣諸国もナショナリズムは穏やかで、日本の平和主義者にとっては最大の幸運期でもあったのです。
ところが今は第二の冷戦が始まる危険性が強まり、護憲政党は衰退し、中国の軍拡は進み、日本国内も近隣諸国もナショナリズムは先鋭化し、安倍政権は平和憲法の外堀を着実に埋めつつあるという不運期真っ只中です。
不運期真っ只中なのに幸運期の成功体験を「思い返させて」、冷めた若い人を熱くできるとは到底思えません。
25年前の「成功体験」に酔うよりも、沖縄地方だけでも①反対運動を押し切ってオスプレイ常駐、②仲井真知事の辺野古埋め立て承認、③自民党の着実な議席確保、④中山義隆氏の再選と育鵬社版中学公民教科書採用、等々の連敗に次ぐ連敗がなぜ起こってしまったのか? そして今後はどうすべきかを真摯に考えるべきでしょう。
「成功体験」に埋没して現実を見れないのならば、戦前の日本の失敗という歴史の教訓は何だったのでしょう?
闘争して勝つことでしか平和を達せられないと言う人は、さっさと隠居して若者に権限を委ねるべきと思います。