マガ9備忘録

地獄の劫火が下町一帯を焼き尽くした東京大空襲から69年が経った先日3月10日、今年も墨田区菊川の「夢違え地蔵尊」で慰霊祭が行われた。焼香台が設けられ、参列者はひっきりなしだった。

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1945年3月10日未明からの大空襲では、焼失戸数27万戸、罹災者は100万人以上、死者は8万人とも10万人とも言われる。この菊川橋周辺ではおよそ3000人が亡くなった。焼夷弾の雨の中、熱さを逃れるために川に殺到したのだ。

しかし、炎の舌がひと舐めすればひとたまりもない。どの川にも無数の死骸が浮かんだ。大空襲から6日後の菊川橋での遺体回収の様子を撮影したカメラマン石川光陽さんは、「この数多い死体処理は、いつ果てるともわからない。焼け野原の上を冷たい風が強く吹いている」と記している。

地蔵尊は菊川橋の袂なので吹きさらし。その日と同じような冷たい風が強く、実に寒い。地元町会の皆さんから頂戴した甘酒でひと息つきながら、「伝えていくこと」の重要性を思わずにはいられなかった。

3月11日は言わずとも東日本大震災が起きた日だが、たかだか3年前のことなのに「風化」が言われている。震災、戦災などさまざまな災害を、どう後世に伝えていけばよいのだろうか。

ハード面でいうと例えば、東京大空襲や戦災に関する資料を収集、展示した「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区北砂)がある。東京都が計画していた「平和祈念館」が凍結となり、民間によって建てられた。研究や出版活動、イベントなどを行なっている。

ソフト面では、東日本大震災の「語り部」の話を聞くガイドツアーを、自治体、観光協会、バス・タクシー会社などが催している。1995年の阪神・淡路大震災の経験を伝える「人と防災未来センター」(神戸市中央区)での語り部の聴講者は、昨年80万人を超えた。

沖縄戦や広島・長崎の原爆、熊本と新潟の水俣病・四日市ぜんそく・富山のイタイイタイ病といった4大公害病にも語り部がおり、被害の実相や苦闘の歴史を現在に伝えている。

ただ、語り部の高齢化に伴い、直接その経験のない人が代わって行う、言わば「語り継ぎ部」の育成が、各地でも模索されている。問題になるのは「当事者性」だ。実際の体験のない人に何が語れるのか。丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』が、そうした批判にさらされたことがあった。

ここで思い出すのは、こうの史代さんの漫画『夕凪の街 桜の国』のあとがきだ。広島生まれだが原爆に関するものを避けてきた彼女は、この作品を描くに当たって「原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない」と述べている。

自分が非体験者であると自覚しながら、体験者(語り部)との共同作業で「当事者性」を獲得していく。体験者がこの世を去っても、獲得した非体験者がさらに次の世代に語り継いでいく。悲惨な被災の経験を、このように生かしていくことこそ私たちの責務だろう。(中津十三)

 

  

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