東京都知事選挙の投開票日まで4日を切った。どの候補にしようか、いろいろと迷ったが、自らの心に正直になろうと思った。そう、「戦略的投票」はしない。
「戦略的投票」は、tactical votingを訳したものだが、知恵蔵2014によると「自分の立場に最も近い政党・候補者の当選の確率が低い場合、次善の政党・候補者に投票すること」とある。意中の候補でなくても、最悪の候補の当選を阻止するための投票行動だ。
今回の都知事選はどうだろうか。いわゆる一本化はならなかったが、脱原発候補2人の街頭演説はどこも盛況だ。一方、自公の推す候補は組織票をがっちりと固め、選挙戦を有利に展開していると言われている。あと数日、いわゆる無党派層がどう動くかで雌雄が決するのだろう。
「選挙とはベストでもベターでもなく、“よりまし”を選ぶもの」という考えで、私はこれまでも投票してきた。その候補が当選したこともある。しかし、当選した人のその後の行動に幻滅させられたことも、ままある。その度に、忸怩たる思いだったことも確かだ。
それは“最悪”でなく、“よりまし”だったのかもしれない。とはいえ、自分の意に染まぬ候補に票を入れた挙句に裏切られる思いをするのは、心苦しいものだ。
さて、相当揺れた私だが、自分に正直に、各候補の政策を虚心に見ることで、いわば“よりまし”な候補を見つけることが出来た。言わば「自分に納得できる候補」だ。
私はこう結論づけたが、まだ悩んでいる人も多いだろう。考えてみれば、二者択一しかない、あるいは無投票の選挙に比べて選択の幅がある、「贅沢な悩み」なのかも知れない。
何よりも、この日本では秘密投票が保障されている。自分の良心や考えに忠実に投票せずして、何が自由選挙か。これは、私だけでなく、どんな業界や団体に所属していても言えることではないだろうか。
自分が投票した候補が当選しても落選しても、社会運動はこの選挙で終わりになるわけではない。原発に限らず、TPP、貧困、米軍基地、憲法など課題は山積している。これらの問題の継続的な取り組みが必要であることは言うまでもない。
選挙の勝ち負けは重要だ。現在の自民圧勝状態の国会構成を見ればよく分かる。しかしそれが全てでないことも確かだ。議会と議会外の社会運動は民主社会の車の両輪なのだ。(中津十三)