現在、NHKのEテレで放送している「戦後史証言プロジェクト」のシリーズ『日本人は何をめざしてきたのか』は、どれも力作揃いだが、先週土曜日(1月18日)の第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」には唸らされた。
このシリーズでは、パズルのピースを一つ一つつなぎ合わせるかのように地道な検証がなされる。この際、ニュース番組はもちろんのこと、『日本の素顔』『新日本紀行』『明るい農村(漁村)』などNHKにあるアーカイブスの膨大さが力を発揮する。
なぜ現在の「下北“核”半島」が出来上がっていったのか、その前史から辿られる。ほとんどの人が漁業で生計を立てている。好漁場ではあるが、港も整備されておらず、船を出すのも家族総出で1時間かかる。高度経済成長の恩恵が及ばず、貧しい生活が続く。
転機は1969年、経団連首脳が空から下北半島を視察し、一大工業地帯を建設することを決めたこと。いわゆる「むつ小川原開発計画」だ。東京の不動産業者が乗り込み、寒村だったこの土地が高値で取引されるようになった。そして、開発反対派の六ヶ所村村長は落選する。
折も折、オイルショックが開発を直撃する。企業進出は頓挫。土地バブルに踊った村民は煮え湯を飲まされた。同じく工場誘致に失敗していたむつ市は、原子力船「むつ」にその未来を託した。反対運動は激化し、漁船による包囲網も。その隙をついて母港大湊を出港したむつは、放射線漏れ事故を起こした。
日本中から受け入れを拒否され、政治判断で新母港にむつ市関根浜が浮上した。理由は「100世帯ほどの零細漁民ばかりなので、補償が少なくて済む」こと。地元の漁業権を放棄させようとカネが飛び交い、人間関係がズタズタにされ、新母港は建設されたが、使われたのは僅か5年だった。
企業進出のなかった六ヶ所村の土地に目をつけた電事連は、核燃料サイクル施設の建設を打診。またもこの小さな村で住民同士の分断が行われる。推進派村長の対抗馬として当選した新村長も約束を守らず、推進に転換。しかしそれによって電源三法交付金が村の財政を潤していく。
地元に働く場所もでき、これに続けと近隣自治体も核施設を誘致する。こうして「下北“核”半島」は出来上がった。しかし核燃サイクル実現の目途は立たず、使用済み核燃料はどんどん貯蔵されていく。民主党政権が見直そうとしたが、再処理をやめるなら村から使用済み核燃料を運び出せと啖呵を切った。結果、国は核燃サイクルの継続を決めた。そして…。
マガ9でも登場してくださった愚安亭遊佐(松橋勇蔵)さんの「浜関根は人間関係も豊かな、優しい人々の集まりだったんです」という言葉が甦る。当座当座でのボタンの掛け違いもさることながら、何よりも国策に翻弄され、国家に人生を収奪される人々の悲劇が、当時の映像によってまさに眼前に現出する。これ以上ない説得力だ。
何かと評判の悪いNHKだが、教養番組班の頑張りは、もっと評価されるべきだろう。(中津十三)
※ この『日本人は何をめざしてきたのか』第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」は、25日(土)午前0時45分~午前2時15分(金曜深夜)に再放送されます。
……というような優れた番組を「偏向」と敵視し、経営委員会にお友達を送り込んだりあの手この手でつぶしにかかる(ように見える)とてつもなく危険な現政権に少しでもブレーキがかけられるのであれば、今回の東京都知事選は多少のことには目をつぶっても現政権べったりでない候補者に勝ってもらう選択が日本のためと、皆さんのお考えそれぞれごもっともですが、私は心から思います。