2013年11月30日@渋谷校
「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。
講師:石垣元庸氏
(弁護士、「上田・小川法律事務所」所属、元伊藤塾塾生)
講師プロフィール:
立命館大学在学中にブレイクダンスをはじめる。卒業後はダンスに没頭し、「一撃」というチームで、2002年、2005年とブレイクダンスの世界大会「Battle of the Year」の日本予選で優勝。うち2005年は同世界大会で準優勝及びbest showを獲得。その他、複数の世界大会で入賞する等の成績を収めたのち、ダンサーとしての一線を退き、法曹を志す。龍谷大学法科大学院を経て、2010年に新司法試験に合格。2011年弁護士登録。現在、一般民事・刑事・少年事件を中心に活動中。2012年からは風営法のダンス営業規制問題に関わり、同法改正運動(「Let’s DANCE 法律家の会」)や、同法違反で摘発されたクラブの刑事裁判(「SAVE THE NOON訴訟」)等に取り組んでいる。
元ブレイクダンサーという、異色の経歴を持つ弁護士の石垣元庸さん。その経験を活かし、今注目を集めている風営法改正運動などにも取り組んでいます。ダンスに熱中する中で見えてきたこと、「個人の尊厳」を謳う憲法13条への思いなどを語っていただいた講座の内容をご紹介します。
■はじめに
伊藤塾塾生だったころ一番印象に残っているのは、伊藤塾長の「憲法13条 個人の尊厳」に関する解説です。「人は人と違って当然で、だからこそ素晴らしい」という熱のこもったフレーズは、当時は深く意味を理解していなかった私の脳裏にも焼き付いています。
憲法では、なぜ個人の尊厳を基本的人権の根本原理に据えているのでしょうか? また、「自分らしくある」というのはどういうことでしょうか? 私は、その意味と素晴らしさを、ダンスを通じて実感することができました。
私は「自分らしくある」とは、その人の能力を発揮しやすい状況にすることだと思っています。そして「自分らしくある」ためには、自分を知り、それを受け入れる作業が必要だと考えます。今日は、そういった「自分らしくある」ことの大切さをお伝えできたらと思っています。
■何事も自信を持てなかった自分
母は弁護士の娘で、私の祖父から母自身が法曹になるか、法曹を婿に迎えなさいというプレッシャーを受けて育ってきました。どちらも実現できなかったのですが、母はそんなコンプレックスをもって私に接していたのだと思います。長男として期待され、非常に教育熱心でしごかれました。中学受験には受かったものの、当時から勉強が嫌で仕方がありませんでした。
高校まで学校の成績は常に下位でした。母が期待しているから、勉強ができないといけないとわかっていながら、本当はやりたくないのでうまくいかない。中学と高校では野球部でしたが、それも勉強からの逃げでしかありませんでした。何事にも全力を注がない、自分に自信のない少年だったのです。
ところが大学で一人暮らしをはじめるようになって、以前とは違う感覚で生活するようになりました。そこで出会ったのがブレイクダンスでした。
■ブレイクダンスで世界一をめざす
大学1年生のとき、先輩が踊っていて格好良かったので、ブレイクダンスサークルに所属しました。本当に楽しくて、夢中になっていましたが、2年ほど経ったら、他のメンバーはみんな別のことが忙しくなって、サークルには私しか残っていませんでした。外で仲間を見つけるしかないと、京都駅で夜中にダンスしている人たちと仲良くなりました。10人くらいのメンバーで「一撃」というチームをつくり、夜な夜な駅前で踊るようになったんです。
ブレイクダンスというのは、ニューヨークの貧民街で生まれたヒップホップの一種です。基本的なステップ、型はあるのですが、オリジナリティが大事だとされています。当初は、基本のステップさえもわからないのに、オリジナリティと言われてもどうすればいいかわかりませんでした。それで日々、自分らしさって何かなと考えながら取り組んでいました。
チームの雰囲気が変わったのは、メンバーの一人がアメリカに行って、本場のブレイクダンスを体感してからです。彼が言うには、アメリカではもっと自由に、楽しんでやっているということでした。今までは型を大事にしていましたが、チーム全員が違うスタイルのダンスをしてもいいという方針に切り替えました。そして「新しいダンスのスタンダードをつくろう」という思いで練習を重ねました。チームのダンスは評価され、「Battle of the Year」という大会で日本一になって、アメリカで行う世界大会にも出場させていただきました。
■義足のダンサーとの出会い
アメリカに行って最も衝撃を受けたのは、フランス人の義足のダンサーとの出会いでした。彼は立って踊ったら当然うまく踊れません。でも彼はこう考えました。足が片方ない分、人よりも体重が軽いので、逆立ちならうまく踊れると。それで逆立ちでダンスをして世界が注目するダンサーになったのです。彼は、一般的にマイナスと言われることを、プラスに変えていました。私は、障害を受け入れてありのままに自分を表現する彼のダンスに心から感動しました。また、彼の障害を個性として受け入れ、最高の評価をするオーディエンスも素晴らしいと思いました。
私はこのとき、「自分らしくある」って、こういうことなんじゃないかと理解しました。そして、私にだって努力次第ではチャンスがあるとも思いました。私は義足ではありませんが、外国の人と比べたら身体も小さいし、手足も短い。ダンスに関してはハンデがあると感じていました。でも、だからできることがあるんじゃないかと気づかされたのです。
そして、このとき思い浮かんだのが、憲法13条の条文でした。個人が尊重されることの意義を感じたからです。個人が尊重される世界は、自分らしくありのままに生きることのできる世界です。誰しも等しくチャンスを与えられ、努力や工夫を重ねれば適切に評価される、皆が希望を持って生きることのできる素晴らしい世界だと思いました。
■なぜ法曹を志したか
この頃から本気で法曹を目指すようになりました。ひとつの理由は、憲法13条を実現することは大事だと実感したからです。もうひとつは弁護士だった祖父の影響です。当時はもう亡くなっていましたが、自分もやってみようと思いました。コンプレックスを抱いていた勉強も、何とか克服しないといけないと思っていました。それで龍谷大学の法科大学院に入り、本格的に勉強を始めたんです。
勉強法も再考して、自分なりのやり方をつきつめようとしました。自分らしくあることがパフォーマンスを高めると、ダンスを通じて学んだからです。私は暗記が苦手で、なぜそうなるかという理由に納得がいかないと理解できないタイプでした。そこで、考える問題を解く時間を増やし、暗記の時間をいっさいなくしました。
難関の論文では、まずどんな論文を自分が書きたいのかを意識するように努めました。アウトプットの仕方を決めてからインプットすると、方向性が見えてきます。どんな答案を書いて合格するかを決め、そこから逆算して、今自分に足りないものを補っていきました。自分の中で明確な目標を持ち、なりたい自分のビジョンを持てたことが、良い結果につながったのだと思います。
■自分らしくあるために
私は弁護士としてはまだ2年目ですが、とてもやりがいを感じています。この仕事は、プロデュース力を試されます。依頼者の心の奥にある声を聞き、裁判で適切なタイミングで出しながら、適切な結果に導いていくという作業が必要だからです。
また、セルフプロデュース力も求められます。自分の力と感性で、いろいろな選択肢の中から選びとっていく仕事だと感じます。伊藤塾長は、憲法教育や一票の格差を訴える仕事に力を入れられています。私も自分の興味をどんどんフォーカスしていって、自分なりの仕事を選びとっていきたいと思っています。
具体的な例として、私は今、警察から厳しく規制されることになった風営法(風俗営業等の規制に関する法律)の問題(※)に取り組んでいます。摘発された大阪のクラブは、私がダンスデビューをした所という縁もあって、弁護団の末席に座らせて頂いています。クラブでのダンスをめぐり、いろいろな議論になっています。どういう形で活かせるかはまだわかりませんが、クラブでショーをしていた者としての経験を、裁判に入れていけたらいいと思っています。「売春」や「薬物」の取り締まりを厳しくするというのはわかりますが、「ダンス」の規制を厳しくする、というのは違うのでは、と感じています。もっと「ダンス」の価値を高め、イメージを変えていく努力も必要だと思っています。
いずれにしても、クラブの裁判については自分で選んだ仕事です。自分が自分の感性に従って歩いて行けていることに、喜びを感じています。私がずっと考えてきたのは、どうすれば自分らしくあることができかということでした。大切なのは、自分の良い面も悪い面も受け入れてあげることでした。私は、例えば自分は記憶力が弱いということを受け入れて、その上でどんな工夫ができるかを考えました。自分を知って、受け入れて、そこから自分らしさを発揮していくことができるはずです。皆さんも、こんな話を参考にしながら、マイナスをプラスに変えていただきたいと思います。そして、明確なビジョンを抱いて、自分の望む方向に近づいていただければ幸いです。
※風営法の問題
戦後間もない1948年に制定された風俗営業を規制する風営法では、「客にダンスをさせる」ことが風俗営業の一つとされており、営業時間や踊り場面積などの条件を満たして営業許可を取る必要があるが、これまでクラブなどに対してはほとんど黙認状態にあった。しかし、2011年を境に警察が適用を厳格化し、摘発を強化。複数のクラブが「許可なく客にダンスをさせた」などの風営法違反で摘発されたことから、廃業、転業するクラブが増加している。