2011年9月17日@渋谷校
「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。
講演者:島田仁郎氏
(第16代最高裁判所長官)
講師プロフィール:
1962年東京大学法学部を卒業後、修習を経られて判事補に。ロンドン大学大学院博士課程を卒業。1974年に大阪地方裁判所判事、1981年に東京地方裁判所判事、1998年に東京高等裁判所判事部総轄を務める。その後仙台、大阪各高等裁判所長官を経て、2002年に最高裁判所判事、2006年に最高裁判所長官を務め、2008年に定年退官。2009年からは慶応義塾・東北学院大学院法務研究科特任教授。最高裁判所判事として関与された主な事件としては、在外邦人選挙権制限違憲訴訟や、国籍法3条1項違憲訴訟などがある。
今回の講演者は、第16代最高裁判所長官を務められた島田仁郎先生です。3年ほど前に退官された先生が最も関心を持たれているのは、これからの司法を担う人材の育成だといいます。今ほど司法に対する国民の期待と信頼が高まっているときはないと語る島田先生から、法曹を志す方に向けて、今この時代に法曹を志すことの意義、そして法律に携わるそれぞれの分野の魅力とやりがいを伝えていただきました。
■今この時代に法曹を志す事の意義
今、我が国では国民が法曹に寄せる期待とニーズは非常に大きくなっています。諸君が法曹を志したことは、極めて時宜を得た選択です。司法を支える力は法曹の力です。だから私は法曹界に優れた人材がもっともっと必要だと考えています。
なぜ、現在司法のニーズが高まっているかということですが、日本人の国民性としては、長い間、裁判は好まない性質がありました。もめごとになっても裁判でなく話し合いで解決しようとしていたのです。それはある意味で美徳ですが、現実では弱者が泣き寝入りしていたケースが多かったのも事実です。また、昨今では権利意識の浸透や世間が世知辛くなってきたということも言えます。それで事細かに書面で契約書を作成して、もめごとは裁判所で裁くというシビアな世の中に変わってきました。
そこに拍車をかけたのがグローバル化です。外国の人や物が入って来ると、それまでのようにニコッと笑って握手すればあとは信頼関係で、と言うわけにはいかなくなったのです。社会構造も変わりました。それまでは何事も官庁が規制をして、護送船団方式でやって来ましたが、多くの分野で規制緩和がはじまり、自由競争の時代になりました。事前に事細かに規制してきたものが自由競争になるともめごとが増えます。さらに人々の価値観が多様化しています。ものごとの善悪についての考え方もだいぶ違ってきました。お互いが話し合いで解決できないと、法律に従うしかありません。法の支配というのは、世の中の最後のところは法に従って解決するということですが、そういう時代になったのです。
これからますます法の支配を実現する重要性は高まっています。だからその担い手の法曹のニーズが高まっているのは当然の成り行きと言えるのです。諸君が法曹になりたいと願っているのと同時に、社会の側も諸君に法曹になって欲しいと願っているということを伝えておきたいと思います。
■法曹として活躍する事の魅力
どんな法曹を目指すのかを考える際に、それぞれの仕事の魅力を知ることが大切です。そこから仕事への意欲が湧いてくるからです。
いずれの分野でも法曹が目指すものは一つで、社会正義の実現、あるいは法の支配の実現です。それをサポートするためにそれぞれの分野で活躍するということになります。以下にそれぞれの仕事の魅力について触れていきましょう。
1)裁判官
裁判の要はもちろん判決です。裁判官は判決をあくまで自分が正しいと考えることに従って出せば良いのですから、仕事の魅力としては精神的に気持ちが良いということが言えます。もちろん、中立公正の視点から、法に従ってという原則に基づいてのことですが、基本的には誰にも遠慮することなく、自分の良心と憲法に従って判決を出せばいいのです。これほど純粋に、自分が正しいと思うことに従ってやれば良いという仕事はそんなにあるものではありません。
それから裁判官というと堅苦しいイメージがあるでしょうが、実は明るくて自由な雰囲気の中でやっています。合議では裁判長と仕事に入りたての若者とが対等な立場で、自由に意見を言うことができるのです。私が裁判官になったのは、修習生のときにその自由な雰囲気に触れて、そこに魅かれました。それから、もちろん仕事は大変忙しいのですが、検察や弁護士に比べれば自分の時間を比較的自由に使えることがあります。やるべき仕事を集中的にやれば、法廷がない日は自由に使えるのは私にとって魅力的でした。
2)検察官
検察は犯罪を摘発して世の治安を守るやりがいのある仕事です。日本が世界に誇るほど治安が良い理由は、罪を犯したら捕まって刑罰が科せられるというシステムが機能しているからです。検察は起訴、不起訴の権限を持っています。検察審査会という唯一の例外を除けば、ほとんどの事件は検察官が起訴するかどうかを決めています。場合によっては警察の行き過ぎをチェックして、被疑者の基本的な人権を守るのも検察の仕事です。また、警察では捜査ができないような政治家が絡んだ事件や、大企業の事件を摘発する役割もあります。
ただ、諸君もご承知のように検察官の不祥事があったということで、いま裁判になっています。検察が証拠を偽造するようなことは絶対あってはならないことです。諸君にはこのような事件のせいで検察官にならないというのではなく、逆に事件があったからこそ自分が検察になって、検察のあり方自体を変えていくという意気込みをもって挑んでいただきたいと思っています。適切な裁判をするためには裁判長だけが優秀でも成り立ちません。検察官や弁護士という法曹三者によい人材がいることが、民事であれ刑事であれ、きちんとした裁判を行っていくのに非常に大切な事なのです。
3)弁護士
弁護士の魅力としては、伝統的に自由業だから自分の裁量で仕事ができるということがあります。いわゆる町弁(町の弁護士)として中小企業や一般市民などの比較的小さい事件の相談に乗る人がいます。それからアメリカではストリートローヤーと呼ばれますが、弁護士を頼めないで困窮している人を手弁当でサポートして活躍している弁護士さんもいます。一方で、最近は渉外法律事務所やビッグローファームも増えているので、そういう所は給料は良いけれども、サラリーマン的でもあります。また、昔は弁護士はなんでも扱っていたんですが、今は自分の得意分野に特化していく人も増えています。倒産専門の人とか、知財専門の人などです。
私個人の希望としては、刑事事件専門の弁護士も増えて欲しいと思っています。刑事事件ではそんなにお金が入りませんが、無罪な人が有罪になりかけている場合に救うことができるというのは弁護士の仕事として多いにやりがいのある所だと思います。また、たとえ有罪であっても、その人が犯罪を犯すにいたった理由はそれなりのものがあるものです。その理由を弁護士さんが聞いてあげてそれを法廷に訴える。そしてその訴えが功を奏して、執行猶予になったり、減刑につながる、ということもあります。そこに魅力があります。
地方に根を生やそうという弁護士ももっと出てきていいと思います。それから大企業や政界にも入って、もっと活躍する必要があるとも思います。伊藤塾長のように、後輩の育成に力を注ぐのも法曹の使命です。弁護士になったら、裁判一筋で事件をやるだけではありません。裁判所の事件にならないようにするのも弁護士の立派な仕事です。
■法曹に必要とされるものは何か
私は、法律家は人や社会の病理現象を癒す医者のようなものだと思います。心に悩みを抱えて相談してくる人がいます。あるいは犯罪を犯した人だって誰も好き好んでやっているわけではなく、何らかの理由でそこに陥ってしまっている。そこで法律に携わる人にとって一番必要とされるのは、そのような人の話に耳を傾けて、痛みや苦しみをわかってあげることです。そのような包容力こそが大切です。
裁判官、検察、弁護士の法曹三者の他にも、法律に関わる仕事は法学者や事務官、書記官などいろいろあります。活躍する分野はいろいろですが、いずれもやりがいがあり、魅力に満ちたものです。諸君は、将来どのような活躍をしたいのか、夢と希望を大きく抱いて、志の実現に向けて頑張って頂きたいと思います。私の話を聞いて諸君が将来どのような法曹になり、どのように活躍をするかという参考にしていただけると幸いです。