2012年9月1日@渋谷校
「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。
講演者:菅 直人 氏
(衆議院議員、前内閣総理大臣)
講師プロフィール:
1946年 山口県宇部市に生まれる。1970年 東京工業大学理学部応用物理学科卒。弁理士試験に合格。1974年 市川房枝さんの参議院選挙の選挙事務長を務める。1980年6月 衆議院選挙で初当選。1996年1月 橋本内閣で厚生大臣に就任。薬害エイズ問題を究明、被害者に大臣として謝罪。9月 鳩山由紀夫氏らと共に民主党を結成、党の代表に就任。2009年8月 民主党が歴史的大勝し、政権交代を実現する。9月 鳩山内閣にて副総理・国家戦略担当・内閣府特命担当大臣(経済財政政策・科学技術政策)に就任。2010年6月 第94 代内閣総理大臣に就任。2011年3月11日 東日本大震災、福島第一原子力発電所事故が発生。内閣総理大臣として地震災害ならびに原子力災害対策の陣頭指揮に当たる。2011年9月 民主党最高顧問就任。
衆院議員、前内閣総理大臣の菅直人氏は、市民運動をされていた経験を活かして、厚生大臣のときに「薬害エイズ事件」や「O157集団感染問題」への対応で功績を残しました。2009年8月の衆院選の結果、自民党から民主党への政権交代が実現。鳩山氏の後、菅氏が内閣総理大臣に就任します。そして総理大臣就任中に、未曾有の大災害が発生し、地震、津波、原発災害対策の陣頭指揮に当たられています。
その菅氏は、国家の統治のあり方について、今の憲法解釈が違うのではないかという持論をお持ちです。今回はその話に加えて、危機的状況に直面した原発の問題についてもお話しいただきました。市民運動から出発した菅氏は、「3・11の大災害」をはじめとする内外の諸問題を国のトップとしてどのような思いで受け止めたのでしょうか。
■国家統治のカタチを考える
私は日本の統治機構、国のカタチについて、今の憲法解釈が間違っているんじゃないかなという思いがあります。国会の役割は立法ですが、それだけではありません。もっと重要な役割は、国民に代わって総理大臣を選ぶことです。憲法に書かれてある最も大事なことは、国民主権であるということです。主権者が選挙によって直接選ぶのが国会議員であり、選ばれた彼らによって国会がつくられます。国会の中で多数を占める政党が自分たちのリーダーを決めて、内閣をつくります。
日本は国民が直接トップを選ばない統治機構です。対してアメリカは直接自分たちでトップを選ぶ大統領制です。どちらが良いという問題ではありません。議院内閣制というのはそういう制度だということです。
三権分立の話で言うと、行政のトップを決めるのが国会です。決める所と決められる所が同権なんてありえません。だから国会は国権の最高機関なんです。そのベースは国民主権です。三権分立と書いてあるのは教科書だけで、憲法には書いてありません。三権というのは、権力の平等を言っているのではなく、機能の違いを言っているだけなのです。
それから地方自治体と国とはどういう関係にあるのでしょうか? 霞ヶ関で聞いてみると、みんな国が上だと言うはずです。でも橋本内閣の時、私がこの件について質問に立ったときの法制局長官は、独立の関係だと言いました。国家統治機構で問題になるのはこういうことなんです。国と自治体が本当に同列なのか、上下関係なのか、憲法にどう書いてあるかという問題です。それに対して、少なくとも当時の法制局長官は平等だと言った。これは議事録に残っていますから、今の内閣もこれは踏襲されていることになっています。
憲法を語っている人はほとんどが法律学者です。憲法には実際には政治が絡んでいるので、もっと政治学者がやるべき分野だと感じています。
私はかつて明治憲法を勉強したことがあります。それまでは、明治憲法の印象は「絶対君主的憲法」というものでした。しかしいろいろ勉強してみると、非常に「立憲君主的憲法」であるというのが私の結論です。
今の憲法にはない条項が明治憲法にはあります。例えば国会で予算案が通らない場合、つまり過半数にならないときどうするでしょうか? 今は解散するか総辞職する以外ほとんど手がないのですが、明治憲法では、国会で予算が通らないときは前の年の予算をそのまま執行しても良いと書いてあるんです。なぜそう書いてあるかと言えば、明治憲法下では総理大臣は国会の多数で選ぶわけではありません。天皇陛下が決めるのですから仲間が過半数いるとは限らない。予算が否決される可能性もあるので、その救済策として入れてあるわけです。
第二次世界大戦に突入していく時に問題になってくるのも、その統帥権の独立についてです。ロンドン海軍軍縮条約で列強に軍縮の機運が高まったとき、時の政府が交渉して条約を結びました。しかし野党は軍の予算を決めるのは天皇の専権なのだからと言って怒りました。軍事費は内閣が決めちゃいけないということです。でもそれでは国としては成り立ちません。
その後、その統帥権をめぐる話から、以前にいったん廃止されていた軍部大臣現役武官制が採用されます。これは現役の軍人が直接、陸軍大臣や海軍大臣になるというものです。そうするとどうなったか? 軍にとって気に入らない人が総理大臣になれば、陸軍や海軍が大臣を出さないということになってしまいました。そしてとうとう陸軍大将がそのまま総理大臣になってしまったのが、東条英機です。これは一応憲法に則って進めているからクーデターとは言えません。でも、この統帥権をめぐる憲法解釈は間違っています。明治憲法だからこうなったとは言えないと私は考えています。
現在は、小選挙区では死票が多いので、もう一度中選挙区に戻した方が良いと言う人がいます。でも私は、大切なのは選挙制度ではなく、ちゃんと日本が二大政党として機能するかどうか、習熟度の問題だと思っています。これは私自身への反省も込めてなのですが、総理になってみて、政局的議論ばかりこんなに長々とやっているのかと実感しました。政党が議会の党派性みたいなものを越えて、与党はしっかりした政権運営をするし、野党もしっかりした政策議論をしなければならない。
議会政治発祥の地イギリスでは、現在も議員が投票して首相を決めるという制度はありません。多数を確保した党の党首を、慣例に基づいて主権者であるクイーンが首相に任命することになっています。それは、明治憲法と近い手続きになります。だから明治憲法だからダメになったわけではなく、運営の仕方で変わってくるということです。
■3・11で経験した原発事故の危機
国家統治という話にからめて、去年の3・11からのことを話しましょう。原発事故の原因は、ほとんどすべて3・11前にありました。例えば福島第一原発は、もともと海から35メートルの高台にありました。でも、そんな所にあったら不便だからと、海面10メートルの所まで崖を切って低くしたのです。東電の社史では、その作業について「大変先見の明があった」と自画自賛しています。でもせめて20メートルにしておけば、今回の事故はありませんでした。日本では、原発事故は起きないことになっていたんですね。また、法律体系も、これほどシビアなアクシデントが起きることを全く想定していませんでした。
事故当時私は公邸にいて、防災服を着たまま仮眠を取っていました。そしてどこまで原発事故が広がるのか考えていました。各原発には使用済み核燃料プールがあります。ある時期には4号炉は停止していたから気にしなくていいと言われていた。ところがそこで水素爆発が起きました。大量の使用済み核燃料を入れていたプールがやられるというのが最悪のシナリオでした。プールが壊れて水が抜けていれば、膨大な放射能が出て作業員も避難しないといけなくなります。結果的には水が抜けていなかったので救われました。今もまだ何百本かの使用済み燃料がプールに入っています。
チェルノブイリでは、何としても放射能を閉じ込めようとして石棺をつくりました。しかしその過程で、被ばくして亡くなった人が直接で数十名、実際には数百名から数千名という人もいます。日本が同じ状況になったらどうするか。危なくても命がけでも何とかしなければならないのか? それよりも命が危なければ逃げるのか? 東電が悪いとは思っていません。普通だったら命の危険があれば撤退するでしょう。これは憲法でも規定していない難しい問題です。そのことをずっと考えていました。
もし4号炉が爆発したら、福島第一原発にある6基の原発と7個の使用済み核燃料プールだけじゃない。福島第二原発も入れて10基の原発と11個のプールでメルトダウンが起き、その放射能が日本中、いや世界中に撒き散らされることになるわけです。日本が起こした事故で、世界中に放射能を撒き散らすようなことをしておいて、これ以上は危ないから逃げようなんて言えません。私はたとえ命が危なくても、自分も含めてやるしかないと思っていました。とはいえ私が東電に命令したわけじゃありません。とにかくその覚悟でやってくれと伝えました。
原子力委員会の委員長には、最悪のケースを考えてくれとお願いしました。すると、最悪の場合は首都圏を含む250キロの範囲、3000万人の避難を考える必要があるということでした。3000万人が逃げるということは、どういうことなのか? 福島だけでも大変なのに、3000万人が避難しなきゃいけない事態ということは、単に避難ではなくて国が崩壊するというリスクです。「原発がないと電気代が上がって経済が悪くなる」という人がいますが、国が崩壊するリスクをどうやって担保できるのかと思います。私の経験から出した結論は、安全な社会は、原発に頼らない社会だろうと思います。再稼働についても議論がされていますが、増え続ける廃棄物の問題も含めて、私としては一刻も早くやめた方が良いと思っています。