2012年11月24日@渋谷校
「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。
講演者:大治朋子氏
(毎日新聞編集委員)
講師プロフィール:
1989年毎日新聞社入社。東京本社社会部記者時代の02年5月、防衛庁(当時)による情報公開請求者に対する身元調査に関する報道、03年4月の防衛庁(同)による自衛官勧誘に伴う住民票等個人情報不正使用問題で02、03両年の日本新聞協会賞を連続受賞。ワシントン特派員時代に長期連載した米国の対テロ戦争を描いた「テロとの戦いと米国」と、ネット時代の米メディアの盛衰を描いた長期連載「ネット時代のメディアウォーズ」で2010年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。現在、東京本社編集委員。著書に『勝てないアメリカ—「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)など。
「現場に足を運んでみなければ本当のことはわからない」。大治朋子氏は、2012年1月から半年間の沖縄での取材で、そのことを改めて痛感したと語ります。本土ではほとんど報じられることのない米兵の日常的な犯罪、そして守られることのない基地運用に関する「日米合意」。なぜそんな事態になるのか、全国紙は何を伝えるべきで、何を伝えていないのか。
伊藤塾主催の沖縄スタディツアー(2012年12月実施)の事前講座も兼ねる本講座では、大治さんの沖縄での取材をベースに、変化する日米同盟の動きの中で、沖縄がどのように位置づけられているのか、そして住民たちが何を考え訴えているのかについて報告いただきました。
■日常的な問題にアプローチする
私は、毎日新聞と琉球新報による記者交流に参加して、沖縄に半年間行ってきました。毎日新聞と琉球新報の双方の編集委員として、どちらの新聞にも記事を書くという機会を活かし、沖縄にいることでしか伝えられないことを、多角的に伝えようと努力しました。
「多角的」とはどういうことでしょうか? 沖縄で起きている事の多くは、沖縄の人自身にとっては、あまりに日常的なので、訴えなくなってしまった現実があります。でも本土の人間がそこに身を置くと、「ありえない」と驚くことがあるのです。福島の原発をめぐる問題でも同様な例がありますが、よそから来た人間がモノサシを変えて、そこで起きている異常性を本土の人の視点から発信していくことにしたのです。
私が沖縄を軸に考えたときに、重要だと思う点がいくつかありました。例えば「抑止力を保つために沖縄の基地が必要」という見解を分析してみると、いろいろな矛盾が見えてきます。また、日米地位協定の現状と課題について検討することも重要です。でもそういったことは、沖縄に行かなくても、東京にいてもできることでした。私は、もっと日常的に頻繁に起きている、基地の騒音問題や米兵による犯罪など、沖縄の人々が実際に被害を受けているけれど、本土では意外と知られていない問題を報じようとしました。
◆1ヶ月間かけた騒音の調査
沖縄取材で私が大切にしたのは、局所的な被害を見つめる「とどまる視点」から沖縄の日常を見ることで、全体の状況を伝えることです。その一つとして取り組んだのが騒音問題でした。私は1ヶ月間小学校に通い、子どもたちと一緒に授業を受けながら、騒音問題の調査を行いました。私が通ったのは、普天間基地のすぐ隣にある普天間第二小学校で、ここには頻繁に米軍機が飛来しています。
授業中に飛行機が飛ぶと、防音窓を閉めた状態でも67デシベルの騒音が聞こえます。67デシベルというのは、地下鉄に乗っているような音です。隣の人の声も、耳をそば立てないと聞こえません。しかし、沖縄は冬でも気温が25度以上になることがあるので、普段は窓を開けています。すると100デシベルを越えてしまいます。100デシベルというのは、耳元で車のクラクションを鳴らすのと同じレベルの音です。つまり飛行機が飛んでくると、授業を中断しないといけなくなります。また、飛行していなくても基地内ではヘリコプターがホバリング(空中停止)していて、その騒音を子どもたちは常に聞かされているような状態です。
日常的にこのような騒音にさらされている子どもたち自身は、音には「慣れた」と言っています。それはどういうことでしょうか? 医学的には、ストレスがあまり長い間続くと、体がスイッチをオフにして、感受性を麻痺させることわかっています。でも、それは感覚が鈍化しているだけで、本人の自覚がなくても、体にストレスは及んでいます。そのストレスが健康への悪影響や学習能力の低下につながるとされているのです。
そうした1ケ月にわたる調査をまとめた特集記事にして、『授業かき乱す「戦場の音」』というタイトルで、同じ日の琉球新報と毎日新聞に掲載しました。なぜ私がこんなことをしたかと言うと、普天間第二小学校は、沖縄を訪れた政治家が必ず行く有名な小学校なのです。でも実際の騒音が何デシベルかという調査は誰もしていませんでした。
それは、本土はもちろんですが、沖縄の行政担当者や新聞記者もきちんと見てこなかったということです。私が「うるさいですね」と言っても、沖縄では当たり前になっていて「昔からだから」と流されてしまうのです。でも子どもたちが教育を受ける権利というのは基本的な人権なのだから、それを大人が守る努力をしなくてはいけません。沖縄では、この記事が出てから防音窓がちゃんと機能しているかどうかを確認することになりました。この取材を通して、騒音のような問題を、ちゃんと数値化して誰にでも示せるように客観的に見ていくという事は大事なことだと改めて思いました。
◆沖縄報道について考える
政治家が沖縄を訪れたというニュースは、本土の新聞でも報道されます。しかし、沖縄では米兵が起こした事件は毎月1、2回は起きています。でも、そのような事件はこれまで本土のメディアでは、ほとんど報道されてきませんでした。
例えば、先ほど紹介した普天間第二小学校に、民主党の岡田克也さんが訪問してきました。岡田さんには東京から大勢の記者がくっついて来るんです。岡田さんは屋上に立って、校長の説明を受けながら、向こう側に見える普天間基地を5分くらい眺めて帰ります。ところが、政治家が来るのはたいてい土曜日で、その日は米軍はお休みです。その5分間に飛行機が飛ぶ確率は非常に低いので、騒音を体験することはまずありません。もちろん東京から来た記者たちも騒音のことはわからないまま帰ります。そのため、岡田さんが訪問したというニュースそのものは本土で流れるのですが、騒音による子どもたちの被害や、米兵が起こす小さな事件の話は出てきません。
なぜこういうことが起きるのでしょうか? 全国メディアのほとんどは、沖縄県版を持っていません。なぜないかと言えば、沖縄では9割以上が琉球新報や沖縄タイムズなどの地元紙をとっているからです。それで各社は沖縄県版を作りません。新聞では沖縄のニュースを担当するのは、福岡にある西部本社になります。それで沖縄で米兵による小さな事件があっても、九州全体のニュースと紙面をどちらがとるかという競争になってしまうわけです。記事に載せるか、ボツにするかという状況で、沖縄の人口を考えると結局掲載されないというようなことになってしまっています。そうした背景があって、これまで沖縄の事件は沖縄にとどまってきました。そして、本土の人たちは「沖縄のことはよくわかりません」ということになってしまったのです。
ところが最近、NHKが「漫画喫茶で米兵が裸になっていた」という事件のニュースを流しました。沖縄ではこれまでもよく起きてきたたぐいの事件ですが、NHKなど本土メディアではほとんど報道されることはありませんでした。それは、オスプレイが飛び始めたことと関係しています。オスプレイは、沖縄だけではなく全国を飛びます。だから米軍の事件は全国で流すニュース価値がアップしたということになってきたわけです。
ちなみにオスプレイに関して言えば、それが本当に安全なのかどうかという議論が行われていますが、本土の人間も理解しないといけないのは「安全だからいいでしょう」ということではないということです。上空を飛ぶことそのものが問題であることを多くの沖縄の人が語っています。「飛んでいるな、落ちるんじゃないかな」と思って日常を過ごすこと自体が大きな精神的負担になっていることを知ることが重要です。これまでも、日米合意では病院や学校の上はできるだけ飛ばないということが決められているのですが、お話ししたように、実際にはほぼ真上を低空で毎日飛んでいるような状況です。
難しいと思うのは、実は沖縄でも那覇に住んでいる人は基地が遠いため、基地による被害を実感していない人が意外と多いのです。沖縄出身の記者であっても、基地に行ったのは新聞社に勤めてから、という人にも結構会いました。問題は局所的で、排他的な形で起きているわけです。それが全体に伝えられない構造になってしまっています。そうした現状を踏まえて、今まで報道されなかったことをもっと「とどまる視点」から見ていかないといけないと思います。
◆日米同盟の行方
日本は極東の米軍最大の拠点になっています。米軍にとってはそこがきっちり保てるかどうかが、中国などに対する抑止力に関わってくるという論理でやっています。中国は現在、海軍力を高めていて、米軍の空母を陸上から攻撃できる能力も備えつつあります。そのような状況で、中国にも朝鮮半島にも近い位置にある沖縄の基地がなくなったり、縮小することは、アメリカとしては避けたいと考えています。
日本側にも米軍にいてほしいという思惑があって、思いやり予算を出し続けています。米軍は財政が厳しいですから、日本政府がお金を出して、どうぞいてくださいと言っているわけですから、できるだけそれを維持しようという動きになるのは当然です。しかし、沖縄が何十年間も、我々が知らないような負担をし続けていることを本土の人が考えないといけません。
そのような状況の沖縄で、最近よく語られているのが琉球独立論です。こういった独立や自治権の拡大といった話はこれまでも話されてきたのですが、ついこの間までは、本気で語られていたというより居酒屋での議論のようなものでした。しかし、最近まじめに語られるようになったと言う人が増えています。そうした意味でも、私は沖縄の状況が、過渡期に来ていると考えています。
私はアメリカにもいましたし、アフガニスタンの米軍にも取材しているので、アメリカのオペレーションの仕方をある程度は理解をしています。米軍は日本の官僚よりも柔軟なところがあります。また米軍は沖縄の世論を非常に気にしていて、今の状況に危機感を持っています。そのため、日本政府の側からもう少し沖縄の負担を変えていくという方向で働きかけていけば、変わる可能性はあるのです。ところが、動かないのが日本政府です。米軍が基地を他の場所に移しても良いと言っているような場合でも、日本政府が拒否しているような現実もあります。私が沖縄で感じたことは、この状況が続けば、日米安保が根底から崩れていくことになるのではないかということでした。日米安保が大事であれば、政府はもっと沖縄の被害をなくすために行動するべきだと思っています。
(構成・写真/高橋真樹)