伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2016年1月23日@東京校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なお、この講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
水沼直樹 氏
(「亀田メディカルセンター」弁護士、元伊藤塾塾生)

●講師の主なプロフィール:
2004年東北大学法学部卒業。2007年日本大学大学院法務研究科卒業。2011年弁護士登録。2012年海事補佐人登録。2013年1月より医療法人鉄蕉会 亀田メディカルセンターにて勤務。2014年4月より亀田医療技術専門学校非常勤講師も務める。日本DNA多型学会、日本法医学会、日本医事法学会、日本がん・生殖医療学会(JSFP)、オートプシー・イメージング(Ai)学会、日本賠償科学会等に所属。

はじめに

 全国で医療機関に専属する弁護士は約10名程度です。以前は、医療機関に専属する弁護士はおらず、いわば隙間産業のような分野でした。しかし現在は専属弁護士のニーズが高まっているそうです。
 医療機関内弁護士である水沼直樹先生は、弁護士が医療の安全の一翼を担うにあたって「法律家としての調査力と分析力を如何に実現するかが腕の見せ所」だと言います。本日の講演では、医療の現場における法律家の役割や新しい分野を開拓していく楽しさについてお話しいただきました。

医療現場の現実と弁護士の役割

 まずは医療現場の世界を少し想像していただきたいと思います。たとえば、お母さんのお腹の中で胎児の心拍数が低下した場合、帝王切開をして胎児をとり出さなくてはなりません。そこで、全身麻酔をかけて手術をするところを想像してください。体にメスを入れてから赤ちゃんを取り出すまでに、どれくらいの時間がかかると思いますか。答えは平均で4〜5分だそうです。昨日私が立ち会った緊急帝王切開は90秒でした。このように緊急事態には、医療従事者はさっと集まり、迅速かつ的確に対応しなくてはなりません。
 医療の現場では、このような状況の中、いかに安全性を確立するかという点に主眼をおいています。今日は、安全に、よりよい医療を提供するために、法律家としてどのように関与できるかについて、みなさんに知っていただければと思います。
 ところで、日本国内にいる弁護士の数は約4万人前後です。それでは、医療従事者といっても様々な職種がありますが、どれくらいいるかご存知ですか。実は、医師は約30万人で男女比約8:2、薬剤師は約28万人で男女比約4:6、看護師は約143万人で男女比約1:9です。では、1人の看護師が担当している患者の数は何人くらいでしょうか。入院している患者数を看護師の数で割ると、1名の看護師が担当している患者数は約10〜13名、夜間では約25〜30名の患者を担当している計算になります。目標担当患者数は7名だと言われていますが、なかなか達成できないのが現状です。夜間の病院で入院中のおばあちゃんが転倒し怪我をしてしまったとき、家族の方は「なぜちゃんと見ていてくれないのか」と怒ることがありますが、看護師が1人の患者を24時間見続ける事は出来ません。
 このような世界で、弁護士は、医療の世界と法律、医療の世界と一般社会との架け橋をすることが仕事です。医療機関の内部に弁護士がいるメリットは、顔が見えるのでアクセスがしやすく、いつでも些細な質問や相談が出来るところです。また、弁護士も現場の実状をよく見ていますので、事故防止対策を立てる際にも役立つでしょう。一方課題としては、医療機関に専属する弁護士の数が非常に少なく、従業員と病院との間のもめ事に関わると利益相反の危険性があったり、守秘義務の難しさ等があったりします。
 一般的に考えられているより医療訴訟の数は少なく、むしろいかに患者さんのクレームに柔軟に対応し、問題を解決するかということの方が重要です。医療事故等の調査や医療ADR(裁判外紛争解決)等の医療に関する業務の他、一般の弁護士同様、契約書の確認や法制度の解説、新規プロジェクトの法的支援など、大小さまざまな業務を行っています。なお、医学学会等に参加して勉強したり意見を述べたりといった活動もあります。

よき医療のための法とは

 よりよい医療の為に法律家として何を提供できるのか、また、医療従事者の声をどのように拾えるのかについて知っていただく為に、具体的な話をしたいと思います。
 医師・医療従事者の労働環境問題について、医療従事者が最大で何時間ほど連続勤務をするのか調査したところ、ある医師は58時間連続で勤務していることが分かりました。この医師は、通常の勤務、夜間当直、緊急手術、ミーティングなどが重なり、月に1度はこのような長時間勤務になるそうです。医療の安全にとって極めてよくないことですが、緊急手術の要請等は人命に関わるためやむを得ないと言います。人的不足に悩む中小規模の病院では、大なり小なり同じような現状にあるようです。したがって、このような医療従事者の労働環境を改善する必要があります。
 次に、応招義務の話です。医師法では「診療に従事する医師は、診療治療の求めがあった場合には、正当な事由が無ければ、これを拒んではならない」という応招義務が定められていますが、条文にある「正当な事由」の解釈が問題となります。従来は、救急患者のいわゆる「たらい回し」事例で問題とされていたのですが、最近では、緊急性のない患者さんに対する応招義務が問題となるようです。なかなか従来の学説が考えてこなかった場面だそうです。裁判例によれば、緊急性がない場合で、医師と患者との信頼関係が失われ、代替する医療機関が存在する場合には、「正当な事由」があるとされていますし、患者の来院主目的が診察治療の求めでない場合には拒絶することに「正当な事由」があるとされた事例があります。この他に、どのような場合が「正当な事由」として認められるのか、言い換えれば、どこまで医師が診療治療の求めに対応すべきなのかが今後の課題となっています。これを事案に応じて解釈するのが弁護士の仕事です。
 続いて、医療事故調査について紹介します。医療事故調査制度は、2014年の医療法改正で新たに創設された制度で、2015年10月1日に施行されました。調査の目的は、医療事故の再発防止であり、事故を起こした1人の医師の責任を追及する為のものではありません。調査にあたって、「何をもって医療事故というのか」「どのように事故調査をするのか」を解釈し現実的な対策を講じていく必要がありますが、ここが法律家の出番です。
 みなさんが一般的に想像される「医療事故」と、医療法で定義される「医療事故」とは、全く異なる概念です。法律上では、①医療に起因する死亡・死産であるか(その疑いを含む)、②管理者が予期した死亡・死産であるか、という2つの要件と定義されています。②の「死亡・死産の予期」については、医師が患者に対してどれだけ死亡・死産の可能性を事前に説明していたか、またカルテ等に記載していたかが問われます。患者自身が医師の説明を理解した上で治療方法等を選択出来るようにする、つまりインフォームド・コンセントを充実させればさせるほど「医療事故」の範囲が狭まります。このことを、いかに医師に示唆し、対策を講じていけるかが法律家の腕の見せ所です。

医療現場で活きる?! 刑訴法の知識・刑事弁護の経験の活用

 私が事故調査の際に法律家として意識しているのは、「当事者の話を聞く」ことです。というのは、こんなことがあったからです。以前、「患者さんを搬送する途中に、職員が患者の足を扉にぶつけてケガをさせた」という事故報告があがってきました。しかし、受傷痕と事故報告の内容がいまいち整合しないのでよく調査したところ、実は、その患者は家にいるときに既にケガをしていたことが判明したのです。なぜこのようなことが起きたのか調査してみると、①「あの搬送職員だったらやりかねない」という報告者の思い込み、②報告者は現場の状況を別の職員から又聞きをしていた(実際には又聞きの又聞き)、③患者が認知症気味だったためその場では真相がわかりづらかった、という3つの要因が重なり事実と異なる報告を作っていたことが分かりました。
 ここで、法律を勉強している方ならすぐに刑事訴訟法の「伝聞証拠の禁止」という原則が思い浮かぶでしょう。人の記憶には間違いが生じやすく、さらに又聞き(再伝聞)では、供述内容が真実であるとは言えない危険さがあることに鑑みて、当該証拠の証拠能力を否定する原則です。
 まさか、病院内で刑事事件の原則を思い起こすとはとは思ってもいませんでした。が、伝聞証拠の危うさを感じましたので、関係部署に対してこの事例をとって又聞きをやめ、直接本人に話を聞くようにと指導しています。他にも、「できるだけ死亡時の状態の記録を残してください」、「常に時間を確認するようにしてください。誤差の修正も必要です」といった、証拠保全の観点や時刻の重要性など、法律家としては当たり前の視点が院内事故調査には役立っています。
 ところで、刑事弁護の世界では、色の記憶が残らないことは有名です。車の色、信号の色、犯人が来ていた洋服の色等、意識しないと記憶にはなかなか残りません。一方で、一つのことに意識をとられると他のことは全く気付かなくなり、他方、一度意識してしまった途端それを視野から外すのは非常に難しくなるということもあります。患者の顔色は日々変わります。側にいないと、その変化に気付けないこともあるでしょう。また、目の前の患者に気を取られるあまり、患者の容態以外は目に入らなくなり、例えば周りの家族からすると、「どうして気付いてくれないんだ?」という気持ちになることもあります。そのように顔色の違い、変化の違いに気をつけてください、何か見落としていないかと常に自問してください、と注意を促すのも法律家の役割です。
 このように、医療機関は、法的なこと、そうでないことと様々な問題を抱えており、そこに対して注意を促したり、問題点を浮き彫りにして対策をとったりすることなど幅広い活躍の場面があります。

遠回りが役立った

 ところで、私は伊藤塾の生徒でしたが、できの悪い塾生でした。司法試験に合格するまで随分と「遠回り」もしてきました。しかし、その遠回りも、今思うと随分と役立っています。思わぬところで、苦い経験が役立つことがあります。
 受験中、体調が悪くなったときに通っていた医療機関の話です。そこのお医者さんととても親しくなり、個人的な相談等もしていました。「司法試験を受験した」「模試を受けた」といった私の話を、お医者さんが逐一カルテに書いていたので、いったい何に役立つのだろう? と思っていましたが、あるとき「あの試験はどうだった?」と聞かれ、とても嬉しくなったことがあります。大きな総合病院では、なかなかそこまで時間をかけて話をすることは難しいですが、私が医療機関で講演をするときには、「患者さんのプライベートな話があったらカルテに書いておきましょう、次回お会いした際に、その話を聞いてあげるととても喜んでくれますよ」と話すようにしています。一旦かたい信頼関係ができると、たとえ医療者がミスをしたとしても、患者はそれを許すこと傾向が見受けられます。すなわち、よい医師・患者関係の構築は相互にとって円滑な関係を維持してくれます。
 医療の世界では、権利・義務を全面に押し出して闘うことは、医療の提供という観点からは、適切ではありません。権利義務と割り切ったかたちではなく、どこにニーズや悩みがあるのか、どう円滑に解決できるかを考え実践していった方がうまく行くと思います。
 最近ではMLP(医療法律協働)という活動が評価されています。これは、医療者と法律家が協働して患者を治していくというものです。例えば、シックハウス症候群や町工場の公害問題等は、医師が患者の治療をする一方で、根本的な原因を改善する為に、法律家が大家さんや工場と話す、あるいは、お金がなくて医療が受けられないという方には、弁護士が生活保護の受給を受けられるようにお手伝いをする等の例があります。医療機関にはMSW(医療ソーシャルワーカー)という方たちがいますので、この方と協働して行政と交渉することも多くあります。
 今後もよりよい医療の為に、法律家として一翼を担っていければと思います。

 

  

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