2015年8月7日@東京校
「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。
【講師】
内藤由佳 氏
(弁護士、「志布志法律事務所」所属、元裁判官、元伊藤塾塾生)
●講師の主なプロフィール:
1978年福島県生まれ。2001年東京大学法学部卒業。2002年東京地方裁判所裁判官に任官、2005年高知地方・家庭裁判所へ異動、2008年名古屋地方裁判所豊橋支部へ異動(育休中)、2011年2月退官。2011年4月鹿児島県志布志市へ移住。2012年8月弁護士登録(鹿児島県弁護士会)。志布志市にて、志布志法律事務所開設。弁護士活動と共に、自治体、学校等の依頼を受けて多数の講演活動に携わる。著書に『転ばぬ先のこそだて』(エール出版)。
はじめに
判事補に任官された内藤由佳先生は、第二子が自閉症と診断された事がきっかけで、判事補を退官し、過疎地の鹿児島県志布志市に生活の拠点を移します。弁護士不在地域で、弁護士として新たな道を歩み始めた内藤弁護士は、さまざまな課題にぶつかる中、どのように仕事と子育てを実践されてきたのでしょうか? 今回は、都市部で活躍する法曹とは全く違う、地方での弁護士の役割や意味、そこで働く事の魅力について語っていただきました。家庭との両立に不安を感じている方、地方での活躍を考えておられる方、身近な相談相手としての弁護士を目指している方には、特に参考になるはずです。
弁護士のいない地域で再出発
私は、鹿児島県志布志市志布志町志布志という所に「志布志法律事務所」を開業して弁護士をしています。志布志というのがいくつもついているので、皆さん初対面ですぐに覚えていただく事が出来ます。
それ以前は、8年ほど裁判所に任官していました。裁判所で働く事を選んだのは、育児休業制度が充実しているからです。また、地方の裁判所は早い時間に家に帰れるということもありました。子どもは2人おり、いま小学校5年生と2年生になっています。2人目の子どもは、自閉症と診断されました。生まれつきの発達障がいでした。自閉症の子はとても手がかかり、仕事との両立が難しかったので、裁判所を辞めました。自分なりに頑張っていろいろな方のお世話になって、やっと特例判事補になり、これから自分に任せてもらえるという時期だったので、当時の気持ちとしてはちょっと挫折感がありました。
その後、とあるご縁から鹿児島県の過疎地、志布志市に移住しました。移住当時の志布志市は、人口約3万人、高齢化率約30%、最寄りの弁護士事務所まで車で片道50分という、典型的な人口過疎、司法過疎の地域でした。もちろん市内に弁護士はいません。ブランクも長く、法曹への復帰を諦めていた私でしたが、この地域では、自分の知識や経験が多くの人の役に立つことに気付きます。そして、移住から4カ月後、志布志法律事務所を開設し、障がい児の子育てと両立しながら、法曹として新たな道を歩み始めることとなりました。
弁護士がいない地域ではどうなるかというと、契約書を作ろうとしても、作り方を誰も知りません。東京や大阪など都市部に住む人と契約を結ぶ際も、向こうは弁護士がついているのに、こっちには何の武器もないから言いなりになっていたという現実もありました。司法書士はいるのですが、契約の専門家ではないので対応できないケ—スが多いのです。もっとひどいときは、「非弁」といって、正式な資格がないのに高いお金を取って契約書を作る人がいるのですが、そういう人が出て来ます。私はそういう非弁が作った契約書を見せてもらったことがありますが、驚くほどデタラメな内容でした。弁護士のいない地域はこうなるのか、ということを実感しました。
志布志市といえば、「志布志事件」で聞いた事がある方がいるかもしれません。これは公職選挙法違反をめぐって強引な警察の取り調べがあったえん罪事件です。典型的な人権侵害ですね。こういうことが起きたのも、結局弁護士がいなかったから起こってしまったという背景があると思います。だから住んでいる方は、地域に弁護士が必要だと考えているのです。
私自身は育休も含めると実務から離れて4年半たっていたので、法曹として復帰するのに迷いがありましたが、地域の人が応援してくれたことで、やってみようという気になりました。そして、2012年9月に本格開業することにしたのです。
弁護士の可能性とメリット
志布志市での活動を通して私が感じた、弁護士の可能性とメリットについてお話しします。まず国家資格なので、事情があって退職しても復職できるという点です。まさに私がこれでした。そして、日本中どこでも、法律にかかわる出来事は起きています。そして人がいる限りどこでも、騙されたり、権利を侵害されたりということが起きています。そういう人を法律の知識を使って救う事が出来るのが、法律家の仕事です。
例をひとつお話しします。志布志で弁護士を開業してから、友人の夫が闇金に手を出して脅迫が来るようになって、夫が逃げてしまったことがありました。奥さんと子どもが残されてしまって、どうしようもなくなって、相談を受けたのです。その方には、私たちが引っ越してきたばかりのとき、子どもの関係で大変お世話になりました。それでいつか恩返ししたいと思っていたので、無料で仕事を引き受けたんです。弁護士は、経済的な保障はありませんが、そういう事が自分の判断で自由にできるというのは大きいですね。
私がお手伝いをした事で、そのお母さんは借金がなくなり、今は幸せに暮らしています。そんなふうに人助けができたこと、私にとっても本当に嬉しい体験となりました。世の中いろいろな仕事がありますが、誰かの人生を救うことができるのは、弁護士ならではだと思います。
また弁護士がいない過疎の地域で活動する事のメリットもあります。とにかく地域の人が歓迎してくれます。地域の有力な方とつながって、重要事項に関与させてもらえるやりがいというものがあります。私は別に市の顧問弁護士というわけではありませんが、自治体で何かあればまず私の所に相談をしてくれるようになっています。
大変さとデメリット
次に弁護士のデメリットについても述べたいと思います。まず、人の争いにかかわることで、安全面の心配があるという面があります。独立開業されたお医者さんは自宅兼仕事場という人も多いのですが、弁護士は争いの一方の側につくと見られるので、そういうスタイルが難しいということがあります。また、裁判官などと違って夜間や休日などのプライベートが保てません。
それから心の痛みを感じる事も多いです。例えばDV被害者の方の相談を受けると当然その方はつらい思いをされています。一方で加害者の方に話を聞いてみるとDVだと認識していないケースが多いのです。夫は夫でつらさを抱えていたりする。もちろん奥さんが被害者なのですが、いろいろ話を聞くうちに両方に情が移ってしまうようなことがあります。
そこから学んだのは「正義というのは人の数だけある」ということでした。夫婦で意見がぶつかっている場合、一概にどっちが正義でどっちが悪か、というのは判断できません。裁判も「正義と悪の戦い」にするとやりやすいでしょうが、そういう単純なケースは、ほとんどありません。例えばお金を返せない人にも、その人なりの事情があったりするのです。
法曹で働く人には、正義というのは一つではないということを肝に銘じて欲しいと思います。正義は人の数だけあって、誰か特定の人の正義だけが尊重されて良いというわけではありません。「正義のために頑張ります」という人が弁護士に向いてないというわけではありませんが、人の意見を受け入れる柔軟さがあるかどうかは重要だと思います。どちらかと言えば「人と人との橋渡しになりたい」と考える人の方が、弁護士に向いているのではないかと思います。
法律家としての心構え
最後に、弁護士としての心構えをお伝えします。私はお客さんのタンスの整理をしますという立場で相談を受けています。どういうことかと言うと、その人の心をタンスに見立てているのですが、そのタンスにはぐしゃぐしゃに衣類が詰まっているとします。衣類が外に溢れ出して、もうそれ以上入らないし、欲しいものが見つからないような状態はストレスになりますよね。私はそれを並べて、必要なものといらないものとに仕分けする役割です。それがしっかり収まるようになればストレスもなくなる。タンスをうまく整理できない人たちが相談に来るので、法律という分野の知識を使って、たたみ方やしまい方を教えるのです。タンスが整理されると、本人が悩みだと思っていた事が、実は悩みではなかった、ということがわかるんです。
100歳を超えられた医師の日野原重明さんは「命とは時間です」と言われています。私たち弁護士は、ある人がストレスを抱えて毎日夜も眠れない状態を解消するという仕事です。大事な命を問題のために消費してしまうのではなく、人生の喜びの為に時間を使って欲しいと思います。そのためにお手伝いをする。現実的には、法律相談の回答の半分以上は「あきらめなさい」というものなんです。でも、だから意味がないのかというとそうではなくて、違う価値があることを提示して、見直すきっかけにしてもらうこともできます。例えば遺産がもらえなかったとしても、違う見方ができるようになり、その事で思い悩まなくなれば、それはそれで収穫なのです。
これは私自身についても言えるんですね。子どもの事で裁判所を辞めたとき、私は人生の壁に突きあたったと思っていました。でも最近は、壁だと思っていたものは転換期のことなんだと考えるようになったのです。自閉症の息子がいなければ、志布志の素晴らしい人たちとの出会いもなかったし、今の自分もありません。皆さんの中には今後、法曹になる方もいるでしょうし、司法試験をあきらめなければならなくなる人もいるかもしれません。でもそれで今やっている事が無駄になるわけではありません。その経験も、新しい出会いを生むきっかけになります。
私の孫は聾学校へ通う小学5年生です。医師に聾と判定されたときは親はパニックでした。私は常日頃「人権」のことを語り、子どもの教育に関わる講演活動を続けていました。その時、孫の声が聞こえてきたのです。「おじいちゃん。いつも人権のことを語っている様ですが、私の人権もよく考えて下さいね」と。試された思いました。「かわいそう」「かわいそう」と言っても何も解決にならないと考え、筑波技術大学(聾の大学)主催の「国際研修プログラム」にお願いし、参加したのです。訪問先は、大学、高校、現地の聾しゃの人たちの交流でした。”百聞は一見に如かず”。平等を勝ち取るために「闘争心」を強調する世界ろうあ連盟会長。障害者を健常者の側へできるだけ引っ張り出そうとする北欧の精神。いま、孫は空手を習い「8級」を獲得しました。学習習慣もついてきました。しかし、これから思春期にかかります。本当の問題が生じるのはこれからだと思っています。「かわいそう」では何も解決になリません。日々目の前の事実から逃げないで過ごすことが大事かと思っています。親には”自分をもっと鍛えよ”と孫が生まれてきたと伝えています。 「大事な命を問題のために消費してしまうのではなく、人生の喜びの為に時間を使って欲しいと思います」。本当にそう思います。