伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2014年2月15日@渋谷校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

講師:阪田雅裕氏
(弁護士、「アンダーソン・毛利・友常法律事務所」顧問、元内閣法制局長官)

講師プロフィール:
和歌山県出身。東京大学法学部卒業後、大蔵省へ入省。1981年内閣法制局第一部参事官に就任。その後、大蔵省大臣官房参事官、内閣法制局第1部長、内閣法制次長などを歴任し、2004年から内閣法制局長官。2006年退官し、弁護士登録。アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問就任。また、社会福祉法人全国盲ろう者協会理事長、大阪大学大学院法学研究科客員教授などを兼任する。主な著書に『政府の憲法解釈』(有斐閣、2013年)、『「法の番人」内閣法制局の矜持』(大月書店、2014年)など。

 安倍政権がめざす憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認をめぐり、いま大きな議論が起きています。2013年8月には、「集団的自衛権の行使は、9条が認める自衛権の行使の範ちゅうにはない」とする歴代政府の見解に異を唱えてきた元駐フランス大使の小松一郎氏が、政府の憲法解釈を担う内閣法制局の長官に就任しました。こうした動きに対して、かつて小泉政権時代に内閣法制局長官を務めた阪田雅裕先生は、立憲主義の立場から懸念を表明し、「こんなことが許されれば、国家の統治に対する信頼が失われる」と指摘しています。今回は阪田先生から、内閣法制局がどのように憲法解釈を積み重ねてきたのかについて、そして今回の憲法解釈の変更の問題点についてお話しいただきました。

■法律とは何か

 民主主義国家では、法律以外の手段では、国民の権利を制限したり、国民に義務を課したりすることはできません。国の施策は基本的には法律によってでしか実現できないのです。だから、法律家だけではなく政治や政策に関わる人すべてに、リーガルマインドが必要とされるのです。
 リーガルマインドとは、論理的に、理屈でものを考えて正しく判断ができる力のことですが、より実質的には社会のいろいろな問題を法的に、つまり公平・公正に解決する能力と言えるでしょう。

 憲法と法律の役割について考えてみましょう。憲法は法律の親分のように考えている方もいるのですが、それは間違いで、両者は全く性質の違うものです。法律は万能の統治手段ですが、その法律を縛る唯一のものが憲法です。どちらも法規範ではありますが、「守れ」と命じている客体が違います。法律は、統治権力が国民を縛るもの、一方、憲法は統治権力が守らないといけないものです。そして、その統治権力である内閣が法案を国会に提出する際に、内容が憲法に適合しているかどうかをチェックするのが、内閣法制局なのです。

 ちなみに、法令の中で法律の次にランクが高いのが、内閣が閣議決定をして制定する「政令」ですが、これも内閣法制局がチェックします。府令や省令は、内閣総理大臣や各省の大臣がそれぞれの権限で決めるもので、政令よりも下位の法規範です。それらについては内閣法制局のような外部の組織がチェックをしませんので、少しレベルが低いのが実情です。

■内閣法制局の役割

 内閣法制局は、日本でももっとも歴史のある役所のひとつで、内閣制度ができた明治18年に誕生しています。主な仕事は2つあり、一つは法律問題について内閣に意見を述べること。そしてもう一つが、今申し上げたように内閣が国会に出す条約や法案のチェックをすることです。これが仕事の4分の3ほどを占めています。
 どのような視点で法案をチェックしているかというと、そもそもその内容が法として成り立つかという点があります。また、法律は強制力を持ちますから、法的強制に適する内容かという点、それから成立させた法がもし「ザル法」になってしまったら法全体の信頼を損なうことになりますから、実効性が期待できるかという視点も重要です。
 また、「立法合理性」といって社会の実態を把握して、今起きているさまざまな問題を評価し、それが立法によって解決できるかどうかを分析する必要もあります。これがずれていると問題の解決にはつながりません。また、法律は統治、つまり人権を制約する手段ですから、常にいわゆる比例原則を頭に置いて、必要最小限度の規制にとどめることも大切です。

 このように、法制局は法案をさまざまな観点から審査していくのですが、その一丁目一番地は、「憲法に適合しているか」ということです。なぜかといえば、もしつくられた法律が、何年か後に憲法違反ということになってしまうと大変なことになるからです。新たにできた法律は、合憲であることを前提にしていろいろな社会的事実が積み上がっていきます。あるとき突然それが違憲ということになると、その大前提が崩れて、社会生活に大きな影響が出てしまう。だから裁判所も、違憲判断を出すことに慎重になるのです。そのようなことは、あってはならないことです。

■憲法と自衛隊の海外派遣

 憲法は国家に対する命令なので、政府は当然それに従わないといけません。一方で、内閣法制局は政府の機関なので、政府が望む政策が実現するよう努力をします。もし憲法と政府の方針に矛盾が生じた場合は、憲法規範の中でどのように整合性が取れるかを考え、さまざまな論理を積み重ねていきます。「この政策はダメです」というのはすごく簡単ですが、それでは責任を果たすことができません。
 例えば自衛隊の海外派遣について考えてみましょう。いつも問題になるのは、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」という9条2項の文言です。自衛隊は「戦力」にはあたらないのか、違憲ではないのかという議論がありますね。
 憲法には9条だけがあるのではなく、国民の基本的人権を保障した規定がたくさんあります。たとえば13条では、国民の幸福追求権を定めていますが、これは、そのような権利が守られる環境を、国が整えるべきだということなのです。
 もし、外国の軍隊が攻めてきたら国民の生命や財産が危機に瀕します。憲法9条は、そのようなときにも政府は指をくわえて見ていなさいと命じているわけではない。国民の基本的人権を守るために行動することは認められるということです。政府は、自衛隊はそのために必要な最小限度の実力組織であり、だからこそ9条で定める「戦力」にはあたらないのだと主張してきました。このような前提で考えると、日本が外国から攻められたときの自衛以外の戦争は9条によって禁止されていることになるのです。そのため日本が外国の攻撃を受けてもいないのに、自衛隊が外国に出かけて行って戦争をすることはできないと考えられてきました。

 そもそも、現在では国際社会の合意として、侵略戦争や不正な戦争はやってはならないと決められています。
 ではやっていい戦争、「正しい」戦争とは何でしょうか? まず、国連憲章の規定にある、国連決議に基づく制裁としての戦争が挙げられます。これは1991年の湾岸戦争がそうでした。もうひとつが集団的自衛権です。自国と密接な関係のある国が攻撃を受けた場合、それを助けて戦争に加わることです。現在の国際社会においてはどの国も、この集団的自衛権によるものでない限り、戦争をすることは認められないのです。
 ですから、集団的自衛権の行使が可能になるということは、自衛隊が海外に行って武力を行使することができるということです。だとすると、自衛隊は海外の軍隊と同じ「戦力」になってしまいます。それは結局、憲法9条は特別の「平和主義」を定めていない、つまり9条が法規範として何らの意味をもたないということになるわけです。

■立憲主義の危機

 憲法に書いてあることが政府にとって都合が悪いからといって、その解釈の仕方を変えるというのは間違っています。「時代が変わったのだから」という人もいますが、法律は時代に合わせてしょっちゅう改正が行われます。なぜ憲法だけが例外になるのでしょうか。時代に合うように憲法の規定も変えていく。そのような努力をするのが政治家の仕事ではないでしょうか。
 私の立場から申し上げると、以前議論になったように、憲法改正に関する手続きを定めた96条の改正を進める方がはるかにまっとうです。憲法の規定はそのままなのに、時の内閣がそれまでとは全く異なる解釈をする、こんなことをやっていて、日本は「法治国家」だとか「立憲主義国家」だというのは、たいへん恥ずかしいことだと思います。
 
 現在の状況は「立憲主義」の危機といえます。それを守っていけるのは国民の声、世論だけです。一人一人が「解釈改憲は不当だ」と訴えていくことが必要です。

 

  

※コメントは承認制です。
内閣法制局と憲法
阪田雅裕氏
」 に1件のコメント

  1. tamasanjin より:

    集団的自衛権の保持は、本来の9条に照らせば、明確に違反である。なぜなら、9条には「戦争は放棄する」「戦力は保持しない」と書いてあるからだ。しかし、今の日本は9条を「戦争は放棄しない」「戦力は保持する」と解釈改憲してしまった。戦争を放棄せず、戦力を保持する日本が、日本を守るために戦う用意のある外国を守るために戦ってはいけないなどという理屈は成り立たない。その上、集団的自衛権は国際法でも認められている。「9条が骨抜きになる」と警告する人がいるが、9条は既にその背骨が完全に抜かれている。集団的自衛権の保持に反対するなら、護憲論者はまず9条の解釈を本来の「戦争放棄・戦力不保持」に戻すべきである。一人の自衛官もいない、一円の防衛費も使わない敗戦直後の日本に戻すことを主張するなら、集団的自衛権の保持にも反対する資格がある。

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