雨宮処凛がゆく!

 震災と原発事故からちょうど2年半が経つ。

 この原稿がアップされる9月11日、「福島・区域外避難と私たち〜苦難と希望の先にあるもの〜」が18時30分から日司連ホールで開催される。

 このイベント、久々に私も「主催」の一人としてかかわっているものだ。

 きっかけは、今年の4月11日。四谷の教会で東日本大震災復興支援チャリティイベントが開催され、私も出演したのだ。

 そこで、福島から東京に避難している女性たちが作ったDVDが上映された。震災当時の写真とともに、この2年間の様々な出来事が綴られたDVD。彼女たちを取り囲む状況に、ただただ言葉を失った。

 強制的に避難させられる地域の少し外側に住んでいたこと。原発事故の直後、放射線量が高いことなど何も知らされずに子どもの手を引いて水を求める行列に何時間も並んでいたこと。政府は「安全です」と繰り返すものの、子どもが尋常ではない鼻血を出し始め、避難を決めたこと。

 しかし、「自主避難」だからこその苦悩もある。時に「避難したことを非難」され、「帰りたい」と思っても「自ら進んで勝手に避難した」と言われてしまうかもしれないので弱音を吐くこともできない。今の福島に残る人たちとの間に生まれてしまう軋轢の問題もある。だけど、子どもを守りたい。そして、避難しない・できない人たちにも様々な事情があることも知っている。

 この日のイベントのあと、福島から東京に避難している女性たちと夜遅くまで話した。「あの日」から東京に避難してくるまでの様々な心の動きや、避難の経緯。東京の避難所となっていた「赤プリ」での生活、そして今に至るまでの話や今後の生活への不安を聞き、「これは多くの人に知ってほしい!」と思った。

 「何か、一緒にイベントをやりましょう!」

 あれから、5ヶ月。遂に実現するのが9月11日のイベントなのである。

 この日の午前中には、東京地裁で「福島原発被害東京訴訟」の第二回公判が行なわれる。避難者が国と東電を被告に原発事故の責任を追及する訴訟で、私は「東京訴訟サポーターズ」の呼びかけ人にもなっている。

 この訴訟で、原告から提出された意見陳述書にも、避難者の苦悩が綴られている。

 いわきから母子を避難させ、今は自らも東京に避難している男性は、以下のように書いている。

 当時、市の公式な発表では、『いわき市は被曝していない』ことになっていました。約1年後、放射性ヨウ素による初期内部被曝があった事が、報道により明らかになりましたが、空間放射線量が毎時約20マイクロシーベルトを越えた日もあったにもかかわらず、被曝の実態や汚染については隠蔽されていたのです。

 『放射能は笑っていれば来ない。心配する者が病気になる』という不可解なメールが拡散され、県内各地で、外部被曝のみの話で安全を謳う、無責任な講演会が開かれ、ラジオは『復興の妨げになっているのは放射能汚染を怖がる心です。』と連呼していました。しかし、手元のガイガーカウンターは、連日恐ろしい数値を示しており、私は周囲の認識とのギャップに悩まされました。

 原発事故後の福島には、避難区域の外であっても、放射性管理区域に相当する線量の場所がたくさんあります。然るべき安全管理のもとで慎重に業務を行うべき場所です。ところが、実際には、そこで人々が生活しており、食事も育児もしています。1平方メートル当たり数万ベクレルを超える土の上で、子どもたちが泥だらけになってスポーツをし、草むしりをするというのは、本来あるはずのない状況です。私は、実測値や文科省が公表しているデータを元に、危険を軽減する方法を提案してきました。しかし、その行動自体が誹謗中傷の対象となっていきました。

 ほんの少し抜粋しただけでも、あまりにも複雑な状況が浮かび上がってくる。

 11日のイベントでは、この日の裁判についても解説がある予定だ。

 ということで、当日の呼びかけとなってしまうが、ぜひ、多くの人に参加してほしい。

 メインはなんといっても避難者の方々とのトークだ。私が聞き手となり、これまでのこと、そしてこれからのことを存分に語ってもらおうと思っている。

 あの日から、2年半。

 汚染水が垂れ流され、一向に「収束」の目処すら立たない「原発」は、人と人との関係までをもズタズタにしている。

 意見陳述書には、以下のような記述がある。

 福島では、多くの分断が生まれています。空間線量や賠償金の額、原発からの距離など、どれも個人には責任のないことがきっかけになり、怒り、憎しみが生まれ続けています。ただの自然災害ならば起きなかった深い溝が、県内に幾重にもはびこっています。

 こんな悲しい現実に対し、福島第一原発の電力の恩恵を受けてきた私たちに何ができるのか、改めて考える場にしたいと思っている。

 

  

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第272回 あの日から、2年半。
の巻
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    避難するのか、とどまるのか。どちらを選んでも迷いと不安は消えず、人と人との関係にさえ“きしみ”や分断が生まれていく。それもまた、原発事故がもたらした、あまりに大きな被害でした。当事者ではない私たちに、何ができるのかはわかりません。
    けれど、「知らないふり」を続けることだけはしたくない、と思います。福島県二本松市で暮らし続けている、佐々木るりさんへのインタビューなどもぜひあわせてお読みください。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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