雨宮処凛がゆく!

生活保護の「改正」に反対するデモで。

 この連載でずーっと触れてきた「生活保護改正案」だが、6月26日、参議院で安倍首相に対する不信任決議が成立し、「廃案」となった。

 まずは問題だらけの「改正案」が廃案となったことに、ほっとしている。何度も触れてきた通り、改正案は水際作戦の合法化や扶養義務を強化するような方向が強く打ち出され、「最後のセーフティネット」に大穴が空いてしまうようなものだったからだ。

 が、ほっとしてばかりもいられない。今後、さらにひどい形で改正案が出てくる可能性は非常に高いからだ。

 しかし、今は廃案を喜びたいと思う。そして改正案が廃案となった背景には、しつこく院内集会やデモを繰り返して来た「運動の力」もあると、信じたい。というか、「これは私たちが廃案にしたのだ!」くらい思わないとやってられないってもんだ。ということで、とりあえずは一人、猫2匹とともに祝杯を上げようと思う。

 また、ここ最近のもうひとつの「朗報」としては、6月19日、「子どもの貧困対策法」が成立したことも上げられる。

 貧困問題が注目されて数年。中でももっとも問題視されてきたのが「貧困の世代間連鎖」である。この国の子どもの貧困率は15.7%。約6人に1人の子どもが「貧困」ライン以下の生活をしているのだ。

 子どもの貧困が深刻なのは、やはり教育を受ける機会を奪われてしまい、それによって人生の選択肢が狭まってしまうことだろう。

 最近も、高校の奨学金だけで100万円近くを返済しなければならないという話を聞いた。大学や専門学校に進学すれば、更にお金がかかる。そうしてアルバイトなどをしながら頑張って卒業し、就職できたと思った途端に高校と大学(もしくは専門学校)の奨学金の返済が始まるわけだ。ただ「教育を受ける」ことが、家庭の経済力によっては「債務奴隷」への道に直結してしまうような状況。長らく放置されていたこの問題が、「子どもの貧困対策法」でどう変わっていくのか、注視していきたいと思っている。

同じく。

 さて、もうひとつ、「貧困」を巡る問題で注目したい報道があった。

 それは昨年度、全国のホームレス支援の施設に助けを求めた人のうち、30代以下の人が初めて30%を超えたのだというNHKの報道である。 

 ホームレスの人のための自立支援センターに支援を求めたホームレス状態の人は、昨年度で4354人。そのうち30代以下の人は、1421人。30代以下の人は年々増加傾向で、このたび初めて3割を突破したというのだ。

 若年ホームレスも、子どもの貧困同様、注目されてから数年が経過した。08年に登場した「ネットカフェ難民」という言葉をメディアで聞かなくなってきたからといって、当然ながら問題は解決していない。ただ、既に「若年層のホームレス化」が常態化したというだけのことにすぎない。

 若年ホームレスは、見た目ではそうとわからないケースがほとんどだ。また、路上だけでなく、ネットカフェや飲食店を転々としているので、なかなか把握できない。しかし、それだけの人がホームレスの人たちの自立支援センターに助けを求めているという状況に、改めて、「貧困の深刻化」を感じたのだった。

 なぜなら、現場を見ていて、彼ら・彼女らは「なかなか助けを求めない」という傾向があるように思うからだ。助けを求める時は、本当にギリギリの状態になってから。所持金が尽きたとか、もう何日も食べていないとか、本気で生命の危機を感じるような状況でないとなかなか「SOS」を発さない。そう思うと、30代以下だけで1500人近くが、全世代だと4000人以上がそこまで追いつめられた果てに施設に助けを求めているわけである。が、中にはその手前で自殺に追い込まれてしまったり、路上で命を落としている人も少なくないはずだ。

 ちなみに、最近知った怖い数字がある。この連載を読んでくれている人ならご存知の方も多いと思うが、1日に5人近くが餓死しているというものだ。2011年の1年間だけでも「栄養失調」と「食糧の不足」で亡くなった人は、なんと1746人にものぼるのである…(厚労省人口動態調査より)。ただただ、言葉を失うばかりだ。

 さて、生活保護法改正案が廃案となり、子どもの貧困対策法が成立し、しみじみと思ったことがある。

 それは、この国に巣くう病巣は、じわじわと広がっているということだ。「病気」があることが発見されてから長い時間が経ち、根本的な「治療」が遅れる中で、それは確実に、この国を蝕み、そして人々の命を脅かしている。

 しかし、「アベノミクス」という言葉に象徴される空気の中で、多くのことが忘れ去られようとしている。今の貧困に多大な責任がある自民党のやってきた数々の労働・生活破壊の政策が、なぜ免責されてしまうのか? これが私にとって、もっとも大きな疑問である。

 「忘れる」という意味では、原発も同じだ。あれだけの事故を起こし、多くの人が苦しみのただ中にいるというのに、これまでの原発政策に多大な責任がある自民党は再稼働の方向に突き進み、なぜかそれを表立って非難する声は多くの場合、黙殺されてしまう。そうして「経済のためなら再稼働も仕方ない」というような言葉が、いつの間にかあちこちから聞かれるようになっている。

 もうすぐ、参院選が始まる。「忘れる」ことは、人間だからある程度仕方ないのかもしれない。しかし、投票となると話は別だ。「忘れっぽい有権者」は、ある意味でとてつもなく罪深く、無責任な存在だと思う。というか、「どうせあいつらすぐに忘れるんだから」とナメられまくってきたことが、今の状況を作り出すことに確実に一役買ってきた。

 だからこそ、私は忘れないでいようと思う。というか、基本的にしつこい性格なので、忘れたくても嫌なこととかをなかなか忘れられない。人生、そんな性格によって随分損をしてきた気もするが、「投票」はこの「しつこさ」を有効利用できる唯一くらいの機会だ。存分にいろいろと思い出し、一票を投じたい。

同じく。

 

  

※コメントは承認制です。
第266回 広がり続ける「病巣」の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    追いつめられても「助けて」と言えない――。
    若年層に顕著なその傾向については、
    以前にも雨宮さんが指摘してくれています。
    まもなく参院選。貧困について、原発について――
    これ以上、「忘れっぽい有権者」でいるわけにはいきません。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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