23日の都議選で、自民党が全勝した。59人全員が当選である。
参院選を前にして、なんとも危機感が深まる状況だ。
それ以外にも、「危機感」を募らせる要素はこの国に満ちている。
憲法改正。生活保護切り下げに代表されるような、弱者を切り捨てる政策。原発の再稼働。高い安倍内閣支持率。そして、ヘイトスピーチ。
しかし、その「危機感」が多くの人と共有されているかと言えば、決してそうではない。何か、今の状況に対して危機感を持つ層と、まったくそうでない層が二極化している気がするのだ。
何百年か、それ以上に先の核廃棄物処理よりも、目先の経済。というか明日の生活。多くの人が弱者への優しい目線などを持つ余裕もなく、日々、仕事と生活に追われている。生活保護バッシングも続いている。そんな状況の中で、この危機感をどうやって伝えたらいいのだろう。
そんなことを思っている時、遅ればせながら読んだのが安田浩一さんの『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)だ。
在特会とは、言わずと知れた「在日特権を許さない市民の会」。本書はそのルポルタージュである。
読みながら、なんだか気が遠くなる思いがした。彼らが街頭で発する差別的な言葉に、読み進めるのが辛くなった。しかし、一人の人間として話す彼らの言葉が、時に非常に理解できたことも衝撃だった。何度も何度も、自分が右翼団体に入る前の、あのどうにもならないほどの苛立ちの日々を思い出した。
当時の私は、何もかもがうまくいっていなかった。高校を出て美大に行こうとしたのに大学は2浪するし。学校では「頑張れば報われるのだ。だからどんなに辛いことがあっても歯を食いしばって耐えろ」と言われ続けていじめにも耐え、受験戦争を戦ってきたのに自分が社会に出る頃には「バブル崩壊で今までの神話は全部嘘になりました」と梯子を外されるし。進学を諦めてアルバイトを始めれば、そのフリーター生活からの出口どころか、「社会」への入り口もきっちりとガードされてるし。メディアでは「夢見る使い捨て労働力」なんていうものすごい侮蔑語で馬鹿にされてるし。挙げ句の果てにはバイト先で「日本人は時給が高くて使い物にならないから、時給が安くて働き者の韓国人と取り替えたい」とか堂々と宣言されるし。いつの間にか、私は国内にいながら国際的な最低賃金競争の最底辺にいた。自分が最底辺だという自覚は、確実にあった。それなのに、みんな「甘えている」「怠けている」「働く気がない」などと罵倒するのだ。低賃金でいつクビになるのかもわからない中、誰かがしなければならない単純労働を担っている私を全否定するのだ。どこにも居場所がないし、誰も認めてくれないし、誰も必要としてくれないし、どこにも帰属する先がない私は、「日本人である」ということにしかすがる場所がなかった。そして「国家」しか、帰属する先がなかった。
そんな時の気分を、まざまざと思い出した。
『ネットと愛国』には、在特会メンバーのこんな言葉が登場する。
「我々は一種の階級闘争を闘っているんですよ。我々の主張は特権批判であり、そしてエリート批判なんです」
私が右翼にいた頃、「階級闘争」なんて言葉は知らなかった。だけど、確かに、そんな意識はどこかにあったように思う。ただ、大きな違いは、当時私のいた団体にとっての最大の「敵」はアメリカであり、在日コリアンの人々や中国、韓国が敵だという発想はなかったということだ。
本書では、在特会について、以下のように語る人の言葉も収録されている。
「連中は社会に復讐してるんと違いますか? 私が知っている限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」
具体的な加害者として語られるのは、大手メディア、公務員、労働組合、グローバル展開する企業、左翼全般などだ。
「なんとなく高学歴で、なんとなく高給与で、なんとなく守られている」イメージ。しかも「情報を独占し、安定した職を独占し、誰かに守られ、そして発言する回路を持っている。代弁者も多い。でありながら、聞こえの良い『人権』や『福祉』を声高に訴える者ばかりだ。弱者の味方ヅラしながら、自分たちは居心地のいい場所を独占し続けているではないか。富まで独占している。偽善者であり、略奪者だ――」。
本書では、在特会に集う人々に対して、「うまくいかない人たち」という表現が登場する。「うまくいかない人たち」が、変革の側につくのは当然だろう。それは、「橋下人気」(慰安婦発言以降、人気は下降線の一途を辿っているが)とも重なる。
「市民が期待したのは橋下が既成の秩序を壊すことである。公務員の数を減らし、給与を下げ、事業を次々と民間に任せるのだと橋下が叫ぶたびに市民は熱狂した。これは大阪市長選を取材した記者に聞いた話だが、公務員の間では『反橋下』の声が強かったものの、公務職場の下請けで働く低賃金労働者の間では、圧倒的に『橋下支持』が多かったという。
『うまくいかない人たち』による『守られている側』への攻撃は、一般社会でも広がっているのである」
そして今、「うまくいかない人たち」は、既にマイノリティではない。ブラック企業という言葉に代表されるように、正社員だってちっとも「守られて」などいない。この国で普通に生きてきた多くの人が、この十数年で何か大きなものを「奪われた」と感じている。多くの人が、確実に辛酸を舐め続けている。だけど、その原因がなんなんのか、わからない。在特会は、そんな人たちに「敵」を提示する。
安田氏は、こう指摘する。
「現在の左翼は、『守り』一辺倒の運動だ。平和を守れ。人権を守れ。我々の仕事を守れ。片や在特会など新興の保守勢力は、それらすべてを疑い、『ブチ壊せ』と訴える。左翼が保守で、保守が革新という”逆転現象”が起きているのだ」
今、在特会に象徴されるような動きは、多くの人々の「気分」が一部、表面化しただけのものに過ぎないのかもしれない。それを思うと、更に危機感が込み上げる。しかし、何かに対して「守れ」などと言った途端に「既得権益」と判断されてしまうような空気を思うと、どこから何を言えばいいのかわからなくなってくる。
最後に、本書に登場する印象的な言葉を引用しよう。
「在特会は、『生まれた』のではない。私たちが『産み落とした』のだ」。
なんだか途方に暮れるばかりだが、この国の「歪み」を、改めて思い知らされている。
東京・新大久保などで繰り広げられるデモで飛び交う、
耳を覆いたくなるようなヘイトスピーチ。
安田浩一さんはその後ろに、積極的に声はあげずとも、
どこかでそれ(ヘイトスピーチ)に共感している、
もっと多くの人たちがいる、とも指摘しています。
これもまた、紛れもなく私たちの社会が生み出した光景。
その視点なしに、問題は解決しないのかもしれません。